47.覚悟はできてる

「おっつー」

 期末考査最終日。試験も無事終わってトイレの個室から出ると、先に出たらしきカンナが手を洗っていた。


「けっこういけた感じ?」

 話題を振ってもいないのに聞いてくる。手応えはわりとあったから、顔にも出ていたのかもしれない。


「自己採点だと7割くらい」

「期末のほうが難しいのに頑張ったじゃん。情報とか最後、基数変換(2進数、10進数、16進数の相互変換)ばっかだったからうちの中では終わってるよ」

「あれは求め方を覚えてないと難しいよね。でも、希望する大学にはまだ遠いかな」


 けっこういけた、ではなく。ほぼほぼできた、というレベルでないとかろうじて入れてもついていけずドロップアウトということも少なくない。


 ちゃんと授業を聞いているなら高得点が取れて当たり前、くらいの意識でいないと受験失敗もありうるからね。


「意識たけー。あのレベルの大学行くって、医者か弁護士ルートなの?」

「強いて言うならしーちゃんのお嫁さんかな」

「真顔で言われるとリアクションに困るわ」


 カンナは引いていたけど、将来の夢は小学生から不動だから仕方ない。

 今の世代は安定志向だし、とりあえず大卒で公務員なっとけってみんな言ってるから行くような子が大半だと思う。


 それだけが幸せな人生のルートじゃないけど、凡人が失敗しづらい人生を歩むのには無難な選択なので。


 紫苑を幸せにするため、私はできそうなことをすべてやろうとしているだけだ。


「知ってたけどあんた重いわ」

「軽いと言われるよりはいいよ」

「その余裕ぶってるとこリア充だなほんと……ま、学業も両立できてるみたいだから何よりだけど」


 ぶっきらぼうな口調がほんの少しだけ柔らかくなる。

 カンナには今回の件で心配をかけちゃったから、カンを取り戻していることを報告できてよかった。


「そういや朗報だけど、君の元カノ次の相手できたっぽいよ」

「まじで? めでたいね」


 本当は補習中に自慢されたから知ってるけど、補習一緒だったことを知られると面倒なことになりそうなので初耳のリアクションを取る。


「しかも校内ってよく出会えたよね。うちの上里先輩も、2年のときに1年と付き合ってたことあるって言ってたし」

「あの人、ノンケっぽいイメージあったけどガチだったんだ」

「過去形だから。いまフリーってことはお試しでつまみ食いしてたとかでしょ」


 カンナ、パイセンに憧れてるわりにはシビアな物言いだ。

 アプリかバーにでも行かなきゃ普通に生きてる中で巡り合うのって難しいのに、女子校って本当に同性愛者率がそれなりにあるのかもしれない。


 次は幸せになってくれることを密かに祈って、カンナとは廊下で別れた。



 テストの日は午前中で帰れるから、まだ日没まで半日あると思うと気分が高揚してくる。紫苑と並んで私は帰路についていた。


 まだ梅雨明け宣言がされていない7月の空は、どんよりとした白っぽい曇り空なのに空気はなまぬるく蒸し暑い。


 なんで陽が出ていないのに33℃もあるんだよ。

 学校から出てそんなに経ってないのに、もうブラウスの下を汗が伝っているんだけど。


「はー、やっとしーちゃんを頂ける」

「あらやだ、一昨日食べたばかりじゃありませんか」


 おばあちゃんみたいな言い回しで突っ込まれる。

 最初の頃はシモ寄りのボケだと会話の成立も難しかったけど、最近は慣れてきたのか切れ味が鋭くなってきたな。


 しばらく今日のテストについて話していると、唐突に紫苑が『……ごめんね』と呟いた。


「どーしましたか」

「いえ……その。私がもっと大人びた見た目だったら変装してホテルに行けたのに……って思ったから」

「あー」


 私服で大人を装ってラブホ行く高校生もそれなりにいるからね。

 けど、私が紫苑を連れ込んだら確実に事案になる。


 ハタチになっても多分、紫苑このまま成長しなさそうだし。

 リアル幼妻が爆誕してまうで。字面にすると妄想が捗るな。


「こうして手をつないでても、年の離れた姉妹って見られることもあったし……ないものねだりなのは分かっているけど、せっちゃんに釣り合う外見になりたかったなってたまに思うの」

「私が補導されかかったこともありましたねー」


 なるほどね。

 私が変な目で見られたりしないか、紫苑は気にしてたわけだ。


 姉妹として勘違いされてんなら堂々と手をつないで歩けるから、むしろ好都合だと色ボケ芹香さんは解釈してたわけだけど。


「気軽にホテルに行けない関係性のほうが特別感あって燃えない? 毎日することが当たり前になると、早々にマンネリ化しそうだし」

「私は……毎日食べさせてあげてもいい、けど」

「いずれそうなるじゃない」

「でも……それまで長い」


 両の人差し指を不満げにつっつきあう姿があざとくて可愛い。

 遠回しな言葉で辿々しく言われるとくるものがある。ここが地面じゃなかったらローリングしてたに違いない。


「一昨日ぶりを待てないのは君だって一緒じゃん」


 突っ込むと、『誰のせいでこんな身体になったと思っているの』と頬を摘まれた。

 その言い回しも却ってエロティックなんだけど。


「私はピルでずらせるけど、せっちゃんはアレ、大丈夫?」

「最近明けたから大丈夫だよ。しーちゃんも服用して何ヶ月か経ったけどどう? 副作用とか出てない?」

「心配していた吐き気や嘔吐とかはないけれど……普通に痛みはある」


 鎮痛剤代が浮くと思っていたのに、と紫苑が頬を膨らませる。

 ピルって飲んだら痛みがほとんど無くなるって聞いてたのにあるんかい。軽減はされているみたいだけど。


「話変わるんだけどさ、結婚指輪って相当高いしいらねって思ってたけどこの期間中に必要性を知ったよ」

「指輪ってずいぶん気が早いわね……どういうこと?」

「こういうことです」


 途中で公園に立ち寄り、木陰まで紫苑の手を引いたところで背後から抱きしめた。

 胸の下ですっぽりおさまってしまう小柄な体躯が可愛くて、後頭部に顔を寄せてしまう。


「せっちゃん……まだ、お外」

「へーきへーき、堪能してるだけ」


 ふわりと、お菓子みたいな甘い匂いが漂ってきて目を細めた。


 出会ったときから変わっていない、むせ返りそうな芳香。

 こんなにいい匂いがする人間は紫苑だけで、時間が許される限りずっと嗅いでいたくなる。


 無意識のうちに紫苑のおとがいを引いていて、『待って』と強い声で静止された。


「こら、だめ、我慢して」

「ちぇー」


 肘で背中をげしげし突かれた。

 まさか白昼堂々外でおっぱじめるなんてことはするわけないけど、ずっと紫苑の香りに埋もれていたから理性が剥がれかけていた。あぶねえ。


 で、本題が逸れたけど指輪の件だ。

 付き合いたてで、少しでも恋人と一緒にいたいという気持ちが強いのもあるけど。

 私も紫苑も、テストが空けるまでキス以上の行為には及ばない取り決めを守れなかった。


 ”したい”という性欲由来よりも。

 ”寂しい”という衝動からお互いをより深く求めるようになって、急速に関係が爛れていった。


「離れていても寂しさを感じないために、あと自制のために。関係を強調する象徴が必要だと思うんだ」

「ああ……それが指輪と言いたいわけか」


 結論にいたり、お互い現実を思い知って大きく息を吐いた。

 どんなペアグッズよりも人目でこのひとのものだとわかる、古から受け継がれてきた結婚の証。


 だけど、学生の身である私たちに手が出る値段ではない。

 そもそも、日常生活で未成年が結婚指輪をつけていたらいろいろ面倒なことになる。


 なので私は、妥協案を提示してみた。


「代わりと言ってはなんだけど……ピアス空けようと思うんだ」

「ピアスって、GLものの作品でやたらと空けるシーンが出てくるわね」

「そうそう。理解が早くて助かる」


 実は私、ピアス穴はいっこも空いてない。痛がりなのもあってイヤリング止まりだった。

 左耳のみに空けることは『同性愛者』を意味すると知ってから、いつか空けようと思ってずるずる今日まで来てしまったわけだ。


「言われる前に先手を打っておくけれど、せっちゃんが空けるなら私も続く。そういう意味があるならなおさら」


 見透かした紫苑に釘を差されてしまった。くっ、しーちゃんに傷をつけることなんかできないって言おうとしたのに。


「ピアスなら常に着けていられるし、おしゃれの幅が広がるからいいわね」

「こ、怖くないの? 耳貫通するんだよ?」

「多少は怖い気持ちがあるけど……初めてはぜんぶあげたいから。貴女にしてほしいの」


 こういう台詞、臆面もなくさらっと言えるからずるいよなあ。どっちがリードされてるのかわかんないよ。


 ピアスの提案が受け入れられたところで、私の家が近づいてきた。

 いよいよ迫るその時間に、ぎゅっと握った手に力をこめる。


「覚悟はできてるから」

「うん」


 短く言葉を交わして、玄関へ足を踏み入れた。

 おかえり、と母親の声が返ってくる。


「あらー、紫苑ちゃんひさしぶり~」

「ご無沙汰しております」


 緊張に満ちた面持ちで、紫苑が母親へ頭を下げる。

 今日、私たちがすべき予定は2つあった。

 ひとつは前々から決めていた、紫苑との約束の夜。


 そして、もうひとつは。


「相変わらずうちの子と仲良くしてくれて嬉しいわ。いいお友達を持ったわね」

「は、はい」


 飲食店のバイトで培った営業スマイルを浮かべて、紫苑が息を吸った。

 肩がわずかに上がって、紫苑の目つきに鋭さが増していく。


「今日は、お伝えしたいことが、ございます」


 つたなくもかしこまった紫苑の態度に、母親がどうしたのと声をかける。

 縋るように指を絡めてきた紫苑の手を握り返して、私は口を開いた。

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