42.私のしたいこと

 補習に通い始めて2週間ほどが経過した。


 校内、学年もクラスもバラバラの生徒、教師による指導。あと、隣に元カノがいるという緊張感。


 常に張り詰めた空間の中での勉強は、気が散る暇なく学生の本分に頭を働かせてくれる。カンも徐々に取り戻してきた。


 順調、で間違いないんだけど。

 ただ、それとは別の問題も浮上いたしまして。



 昼休みに入り、私たちは体育館2階の観覧席に座っていた。

 もう5月も下旬だから、気温が高い日は蒸し暑く長居はしづらくなってきている。

 今日は曇りだから過ごしやすいけど、そろそろ秋まで足が遠のきそうだな。


 今日のお昼は、以前に約束したお互いがお互いの弁当を手作りする日。

 事前に何が食べたいかを聞いて、リクエスト通りのメニューで構成したつもりだった。


 で。いざ出来上がったものは、食欲をそそられる彩りとは程遠いくすんだ弁当。

 つまり、失敗した。ひとつひとつは美味しいのに、全部足すとなんでこうなってしまったんだろう。


「ぬうぅ……」

「どうしたの? 早く、せっちゃんのも見せてよ」


 催促してくる紫苑が可愛いとか余裕すらかませない。あまりの差に、ランチクロスの結び目をほどくことができずにいた。


 あのときはフルーツロールが彩りをカバーしていたけど、彼女(?)無き本日のお品書きでは地味さが浮き彫りになってしまった。


 最近は忙しくて自分用のお弁当はもっぱらラップでくるんだおにぎりばっかだったし、詰めてなかったツケがここで来るとは。


「もしかして、転んでお弁当をひっくり返しちゃった?」


 包みの結び目に指をかけて固まっている私へと、紫苑が小首をかしげて尋ねてきた。


「大丈夫よ。味がいいことは前のお弁当で分かってるし、多少崩れていても胃に入れば一緒だから」

「い、いやあ……」


 見せて見せてときらきら光る瞳がまぶしくて、心が痛む。

 冷や汗で指先が冷たくなってきた。


 見せづらい。けど、ここでうだうだしてたら紫苑がお昼抜きになってしまう。

 そんな鬼畜なことはできないので、腹をくくるしかない。


 見栄え悪くてごめんねと一言添えて、弁当箱の蓋を開けた。


「て、なんで速攻でスマホ構えるの。映え要素0ですよ。萎えしかないよ」

「どうしてって……私のためにつくってくれた弁当を、撮らない理由がないじゃない。見るのも私だけなのだし」


 ペットでも愛でるような柔らかい表情で、紫苑はスマホを置くと箸を取った。

 そのまま、炊き込みご飯を一口運ぶ。


「ほら、美味しい。べちゃついてもないし、芯が残ってもいない。具も程よく混ざってて、これなら茶碗で夜も食べたいくらいよ」


 心から言っているとわかってしまう顔つきに、二の句が継げなくなる。

 押し黙っている私の口元へと、紫苑がスプーンですくったご飯を差し出してきた。


「本当だって。食べてみたらわかる」

「ど、ども……」


 味見してないわけはないし、なんなら余ったから炊き込みご飯は朝家族で分けた。


 つい数時間前に味わったばかりなのに、紫苑が運べばまったく別の味で美味しく頂けるのはなんでだろうか。

 愛情というスパイスでもかかっているのかと惚気てみる。


「おいしい?」

「……ん」


 顔を伏せて頷く。

 妙に母性のある温かい声を掛けられて、つたない返事にかすれてしまった。


 ぶっきらぼうな私の返事にも臆することなく、『でしょう』と紫苑が微笑む。

 なんでだか、ちょっとだけ目頭が熱くなった。


「しーちゃんのも美味いよ。特にこの卵焼きすごいね、焦げ目なくふんわり焼けるって」


 対する紫苑お手製弁当はいなり寿司。

 二段目は卵焼き、ウインナー、おひたしといったごくごくメジャーなメンツ。


 同じく茶色系統なのに、なんでこんなに美味しそうに見えるんだろう。

 おいなりさんの箸休めに敷き詰められたタクアンとさくら生麩が入るだけで、一気に垢抜けるから不思議だ。


「ありがとう。聞くの忘れて申し訳なかったけど、卵って甘いのとしょっぱいのとどっち派?」

「どっちも食べるよ。おろしかけや出汁入りもいいよね」

「いい組み合わせね。見てたら食べたくなってきたから、ひとつちょうだい」

「はいはい」


 箸でつまんで蓋に置けばいいところを、あえて爪楊枝で刺す。

 私の下心に気づいた紫苑の頬がうっすらと染まった。

 人目が気になるのか、ちらっと周りを見渡す。


「大丈夫だよ、誰も見てないしみんな遠くにいるし。遠目でも、友達同士のスキンシップとしか思われてないでしょ」

「わ、わかった」


 少し逡巡するように視線をさまよわせた紫苑が、あーと控えめな声と一緒に口を開く。


 恥ずかしがってるとはいえ、赤面しながら目をつぶってお口開ける構図ってなんか、その。変な気分になる。

 ぶっ飛ばされるから絶対言わないけど。


「ご、ごちそうさま……」

「こ、こちらこそ」


 甘酸っぱいやりとりが続いている中、空気読めない思考を挟みますけど。

 元カノと話すようになって、私はある気がかりがあった。


 紫苑が、私のしたいことを果たして受け入れてくれるのか。


 アプローチする前に、相手のセクシャリティを知っておくのはとても大事だ。

 かつての反省点を踏まえて、紫苑にはちゃんと聞くところからアプローチを始めることにした。


 けど、彼女として関係が変わったいまも、私は紫苑から『同性も対象に見れる』以外のことは聞き出せずにいる。


 私にとって、性愛は抱く愛情のひとつだ。好きな相手とはもちろん、そういうことはしたい。

 でも、紫苑もそうとは限らない。

 というか、そういうこととは無縁そうな清純のイメージしかない。


 もし、紫苑が元カノと同じセクシュアリティだったら。あったとしても性欲が弱く、いずれレスになったとしたら。

 性欲も対等なカップルってなかなかいないし、この差は努力でどうにかできる問題じゃないから妥協か解消しかないんだよね。


 溜まってないと言えば嘘になるけど、性に結びつかない愛情表現はいくらでもあるのだから。この程度で関係を解消するほど、彼女への愛は浅くない。

 理屈はいくらでも述べられるのに、感情がなかなか割り切らせてくれない。


 悶々と不埒な思考を滾らせていると、ちょんちょんと紫苑が肩を突いてきた。


「なーに?」

「その……前につけたとこ、どれくらい薄くなった?」

「んな」

「あ、いや、どれくらい経ったら消えるものなのか気になって」


 なんでこのタイミングでそれ聞いてくるかな、と身構えたけど紫苑の言葉から本当に単なる好奇心で聞いただけらしい。


 ただ、ここでボタンを外して確認すればいいだけの話。見づらいけど、限界まで顎を下げればなんとかなる。

 けど、このときの私はいまいち引き下がれず、紫苑へと詰め寄った。


 すっと、首の下で結われた毛束を手に取る。


「あのさ」

「ん?」

「……確かめて、みる? いま、手鏡が入ってるポーチ教室だし」


 こんなところで雰囲気作ってどうするって話なのに。

 自分から出たとは思えない妖しい声で、私は紫苑へと尋ねた。


「じゃあ、今日も頑張って」

「……ん」


 ひとつ、ふたつ。ためらいなくボタンが外れて、紫苑がブラウスの前を開く。

 前の場所よりももっと上、首の頸動脈あたりへ、柔らかい唇が吸い付いてくる。強くすぼめられて、また印が刻まれていく。


 彼女のものであることをはっきり身体に遺されていることに、とめどない優越感が沸く。

 だけど、その密着もほんの1分ほどで。あっさり紫苑が離れて、『ついたよ』と告げた。


「ありがと。また頑張れそう」


 言葉とは裏腹に、下ろした腰が上がらない。それどころか、紫苑の腕を引いて自分から離れないように繋ぎ止めている。


 つかんで離さない私に、紫苑が『もう少しつける?』なんて、優しいにもほどがある甘美な提案をする。


 端的に言えば、足りない。

 我慢せよということは分かっている。そういう雰囲気を出すのは早すぎるということも理解している。

 しているけど、止められない。もう少し紫苑を感じていたかった。


「……これで終わりにするから」


 腕を引いて、紫苑を胸の中に引き寄せる。

 間髪入れず、唇を奪った。強く押し当てて、体温を、感触を、刻みつけていく。


 舌を絡ませ腰が抜けるまで堪能していたい欲を、唇だけでなくあますところに残していきたい下心を抑え込んで、ただ、深く口付ける。


「せ、っちゃん」


 どれくらい重ねていただろう。

 胸をぺちぺちと叩く抗議を覚えて、唇を離した。


 荒い息を吐きながら空気をむさぼる紫苑の眉はつり上がっていて、むすっと唇もへの字に曲がっている。

 そりゃ、予告なく奪ったら怒るわな。


「ごめん、いきなりで」

「べつにそれはいいけど……もう、言ってくれたらリップつけたのに」


 そうだった。そういう約束事すら頭からすっぽ抜けて、ただキスしたいということしか頭になかったよ。


 すまぬすまぬとなだめながら頭を撫でていると、険しい表情が徐々にほぐれてきた。しっぽが生えていたらぴんと立ってそうだ。


「でも、なんかせっちゃん上の空だったから我慢してるのかなって気になってた。……これで大丈夫そう?」

「たはは、お見通しだったか」

「だって、付き合い立ててって一番舞い上がっちゃうときでしょ? ストレス溜まってるんじゃないかって……なんか、すごかったもん」

「も、もうああいうふうに奪ったりしないからね」

「べつに、強引なのも嫌いじゃない……から。たまにならいい」


 殺しにかかってるとしか思えない台詞を吐いて、言った本人も恥ずかしかったのか紫苑は顔を逸した。

 隠しきれてない耳の赤さがたまらなく愛おしく思う。


 次はちゃんと言うからとリップに誓うと、塗った状態で今度は紫苑から重ねてくれた。



 そんな感じで季節は梅雨へと移ろいでいき、バイト先も模様替えや新メニュー考案といった忙しい時期へと入った。

 ここのところずっと、店長とイナバさんは遅くまで話し込んでいる。


「突然で申し訳ないんだけど、お願い事聞いてくれるかな? できればハルちゃんも一緒に」


 そしてある日、私は店長から変わった指示を受けたのであった。

 ちゃっかり紫苑も巻き込む形で。

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