32.嫌われる覚悟

「お話中失礼いたします。その、お怒りはごもっともですが。次のお客様がご来店されておりますので、すみません。ご意見はこちらのお電話番号かメールにてお受けいたします」


 割って入り、私は連絡先が記載されているチラシを女性に渡した。

 言ってることには同意だけど、この忙しいときに業務を止めてしまっていることは問題だ。他のお客様も気分良く食事できないだろうし。


「……ああ。すみません、八つ当たりしてしまって」

 多少は溜飲が下がってのぼった血も引いたのか、声は淡々としたトーンに戻っている。

 女性は返金を受け取り、店を後にした。話の通じる人で良かった……


 とりあえず次の人がつかえていたため会計を済ませて、イナバさんにでしゃばった非礼を詫びる。


「すみません、イナバさん。出過ぎた真似をして」

「いえ……フォローに回っていただきありがとうございます」


 叱られるかと身構えていたけど、意外にもイナバさんはなんてことのないような口調で流して業務に戻った。

 憑き物が落ちたような、心ここにあらずのような、覇気が抜けた顔つきが気にかかる。


 やっぱり、さっきお客様に言われたことを気にしているのだろうか。

 気になるけどまずは、この山のような伝票を減らすことだ。


 ちょうど紫苑が買い物から帰ってきたため、めっちゃ助かったありがとうと褒めちぎって食材を受け取る。


「ハルさん、洗い場の状況ですがコップを最優先でお願いします。下げ台とトレーは自分がやりますので」

「畏まりました」

「どんなに忙しくても水分補給は大事だから、こまめに摂ってね。冷蔵庫の一番上にみんなのぶんのポカリ置いてあるから」

「はい、ありがとうございます」


 それから勤務時間を大幅に延長する形になったけど、なんとか遅れていたぶんの注文を捌くことが出来た。

 紫苑がその場にいた全員に聞こえるように『ありがとうございました』と声を張り上げる。


「私の不手際により多大なるご苦労とご迷惑をかけてしまい、本当に申し訳ございませんでした。再研修及びマニュアルを熟読して、再発防止に努めます。今後ともよろしくお願いいたします」


 紫苑は臆することなく、イナバさんに対してもしっかりと謝罪と感謝の言葉を述べていた。

 イナバさんもきついことを言ってごめんなさい、と頭を下げていたことにほっとする。


 アイドルタイムに入り、事務仕事のためノートPCを立ち上げたイナバさんへ私は声を掛けた。


「お疲れさまです。すみません、少しだけお時間よろしいでしょうか」

「どうかされましたか?」

「仕事関係の話なのですが……チェックリスト作成の許可を頂きたく」


 誰しも、ミスに対する恐れを抱いている。怒られたくない、迷惑をかけたくない、無能だと思われたくない。

 とくに新人はその傾向が強いし、上司ももうミスを繰り返してほしくないという気持ちから強く言ってしまいがちだ。


 でも、仕事にミスはつきもの。

 大事なのは『ミスは起きるもの』という心構えで仕事を進めること。

 安心して働ける環境を作るには、ミスを引きずらない仕組みがあること。

 そのひとつが、ミスをしたときの責任が可視化できるチェックリストとなる。


「奇遇ですね」

 私の提案に、イナバさんも似たようなことを考えていたとPCの画面を指差す。

 ちょうど、”Stock”といったアプリを立ち上げているところだった。


「こちらのアプリでしたら、”チェックボックス”の項目があるのでリスト化が容易になります」

「ほー、便利ですね」


 試しに、イナバさんがざっと調理に関する仕事内容を時系列で書き出し、チェックボックスのアイコンを文頭に打ち込む。


 このアイコンをクリックするとチェックマークと取り消し線が自動的につくため、見た目的にもわかりやすかった。


「これからグループLINEでメンバー招待の旨を伝えますので、ログインのほうをお願いします。リストはフィードバックをもとにその都度更新いたしますので、修正案があれば遠慮なくお申し付けください」

「了解です」


 アプリの説明を終えると、イナバさんは少し背中を丸めて独り言のようにつぶやいた。


「……あの、お客様の言った通りです。出来て当たり前のことがどうして出来ないの、といった苛立ちをハルさんにぶつけていました。フォローも、改善案も伝えずただ感情的になって」


 しばらく話を聞いていると、うちの店は業務上のミスが頻発していて、教育の甘さが課題になっていたことを知った。


 店長は優しくてみんなから慕われているけど、嫌われたくないがゆえに叱ることが苦手な欠点もある。


 そのため、店長不在の今だからこそ自分がしっかりしないと、と厳しく目を光らせていたとのこと。


「優しいだけでは、駄目なんだって。部下から嫌われる覚悟がないリーダーは、組織を潰してしまう。それがわたしの、よき上司という考えでした」


 イナバさんの表情は暗い。

 自分の考えは間違ってたんだって拡大解釈してそうなのが、声色から伝わってくる。


 そりゃ、相手を萎縮させるほど強く言うのは駄目だけどさ。

 彼女の掲げた理想は、リーダーとしてのひとつの心構えだとは思う。


 差し出がましいけど、私は口をはさむことにした。


「ですが、不慣れな仕事を割り振ってしまったことと、感情的になってしまった、という箇所を除けば。もともとイナバさんは嫌われる覚悟で、業務改善に努めようとしていたのですよね? 店長には出来ない点を補うために」

「……ええ」

「私は、その考えに賛同します」


 はっきりと、肯定の意思を伝える。

 飴ばかりでも、鞭ばかりでも、人はうまく育たない。何事もバランスなんだね。


「私自身、全部の業務を把握しきれてないのにチェックリストつくるって発言しちゃいましたけど。作成者の手間も考えずに。イナバさんは浅慮だって一蹴はしなかったですよね」


 今は叱ることが苦手な大人が増えているし、叱られることに耐性がない若者も増えている。

 難しいんだよね、成長を願って優しさと厳しさを兼ねた指導をするってのは。


 かくいう私だって、嫌われるのこわーいってブレーキかけちゃって、育てるべき人よりも自分を守ってしまいそうだし。


「イナバさんのような方も、上司には絶対に必要だと思います。……って、ずいぶん偉そうなことを言ってしまってすみません」


「いえ……オオネさんはしっかりしていらっしゃいますね。でも、今回の件は自分が未熟だったことを重く受け止めます。仰ってくださった期待を裏切らないよう、成長していく所存ですので」


 精一杯のフォローに繋がったかは分からないけど、か細かったイナバさんの声はもとの調子に戻っていて安心した。


 さて、次は紫苑との時間だ。

 今から向かうからとLINEを送って、私は待ち合わせ場所へ向かった。

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