28.【紫苑視点】口で言うのは勇気がいる言葉
歓喜の声を上げる芹香に、私は力強く抱き寄せられていた。
芹香のやっていることは何もおかしくない。
感極まって、喜びを共有するために誰かと熱い抱擁を交わす。ありふれた光景だ。
なのに、心臓はそうと受け取ってくれない。
うまく呼吸ができず、どんどん息苦しさが増していく。
「……おい、黒川潰れてんぞ」
反応のない私を不審に思ったのか、柿沼さんが芹香を小突く。
だわっしゃぁと擬音みたいな声が飛び出て、芹香が勢いよく私を引き剥がした。
「ごめん大丈夫中身出てない?」
「魂が抜けかけた」
冗句のような本音を返す。
振ったノリも芹香は漫才に消化できる余裕がないのか、ごめんごめんとひたすら頭を下げられる。
「黒川さん、顔真っ赤ですが本当に大丈夫ですか?」
尾花から心配そうに顔を覗き込まれ、ひゅっと心臓が縮こまる。
松岡の『意識しすぎじゃね?』といった指摘から、女子の視線が次々に私へと集中する。
何かを判定するような、生温かさと好奇を含んだ視線に息が詰まった。
なにか言わないと余計に怪しまれるのに、動揺して頭に言葉が浮かんでこない。
落ち着かない私の様子を見て。芹香は驚かせてごめんね、と小声でささやき一歩下がった。
「まつおかー」
「ちょっ、」
それから軽快な声を上げて、芹香が松岡へとタックルでもするように抱きついた。
私のときよりも力強く、というか締め上げていた。相撲のサバ折りかってくらいに。
「痛い痛い痛いなにすんの」
「きみも勝利の余韻に浸ろうぜ~」
その後も、芹香は次々と他のチームメイトにハグをしたりハイタッチをかましに突撃していた。
「なんなんあの馬鹿力……」
解放された松岡は頬を上気させつつ、『加減しろよあいつ』と仲間意識ゆえか声をかけてきた。ぎこちなく苦笑いを浮かべる。
「ごめんごめん、勘違いしちゃって。あれやられたら誰だってああなるわ」
「ううん、気にしてないから」
勘違いでは、ない。
そう言えない己の弱さに、手汗のにじんだ指でジャージの裾を握りしめる。
当事者になったくせして、私は恐れている。周囲の偏見の目を。
芹香もそれを分かっているからこそ、私から注目を逸らすために松岡を始め他の女子に絡んでいったのかもしれない。
味方チームだけではなく、芹香は相手チームまでフォローに周っていた。
さんざん罵倒していたリーダーの自爆によって負けたのだから、最後くらい鬱憤を晴らしてもよかったと思ったが。
それで余計に溝が深まる前に仲裁に入るのも、学級委員らしい芹香だと思った。
なんにせよ、こうして後味よく終われたのだから結果オーライか。
そして約束通り、私達は帰り際にドラッグストアへ寄った。
せっかくだからこの近くの公園でダベろうということで、アイスをかじりながら並んで歩く。
市役所通りの交差点を左に入り、中央公民館を通り過ぎていく。
駐車場の奥を進むと、ようやく児童遊園が見えてきた。
敷地内は広く、遊具も充実している。珍しく、園内には人っ子一人見当たらなかった。
「しーちゃん、空いてるから座りなよ」
「だ、大丈夫」
芹香から腰掛けることを勧められ、手と頭を振った。
どんなに詰めて座ってもこのベンチは4人掛けが限度で、2人は立つことになってしまう。
我先に陣取る子がこの中にいるわけがなく、遠慮するように背後の柵にもたれる子もいた。
「みんな遠慮がちだなー。うちと柿沼見習いなよ」
その中で、松岡は当たり前のように柿沼さんを膝上に乗せた。
椿さんが驚いた目で2人を見やる。
「あなたたち、そんなに仲いいのね……」
「うちらしかいないんだしいいじゃん。禁止される前はチャリの2ケツもやってたっすよ」
確かに、松岡はフレンドリーな子だから誰かと密着していることも多かった気がする。
女子の仲がいい、の基準は恋人同士でしかやらないことも含まれてるから、境界線が分からなくなる。
「じゃ、黒川さんはわたしのところに来ますか? そうしたら清白さんも座れますし」
「……えっ」
「なんで清白さんが反応するんです。もしや気遣って引き受けようとしたとこだったりします?」
「あ、あー、うん。私いちばんでかいし」
「だそうですが、どっちにしますか」
尾花に唐突な二者択一を迫られる。
このまま誰が座るかぐだぐだしていては埒が明かないから、思い切ったのだろう。
「……じゃあ、しびれてきたらすぐに言ってね」
なんとなくお辞儀をして、芹香の膝へとおそるおそる腰を下ろす。
今日ハグされたときに、私は固まってしまって何も言えなかった。
それを見て芹香が遠慮がちに離れたのも、密着されて嫌だったのかと誤解しているかもしれない。
今度は、周りに勘繰られないように。
なんでもない顔をして彼女と密着する。
「あなたたち、そうしていると年の離れた姉妹みたいね」
「いちばんでかい奴といちばんちっちゃい奴が合わさるとなー」
椿さんと柿沼さんの視線に、学校で見たようなひりつく感覚は覚えない。
やってることは友達以上のような気がするが、友達と認識されているだけでこんなにも温度差があるものなのか。
「だって。おねえちゃん」
「ぐふぅ」
からかうように言うと、芹香が盛大に吹き出した。
笑いのツボにしては沸点低くないかと思うが、他の人からも笑いを取れたのでしらけなかっただけマシか。
「オオネさんとおねえさんって似ているから、次からそう呼ぼうかな」
「私が死ぬからやべて」
そんなに面白いことを言っただろうか、私。ここまでツボにはまってくれると別の意味で面白い。
気管に入ってしまったのか咳き込んでいたため、刺激させないように隣の尾花としばらく話すことにした。
そうだ、今日の件を言葉でも補足しておかなくては。
口で言うのは勇気がいる言葉だったため、帰り際にそっとLINEでメッセージを送った。
『ハグ、びっくりしただけで全然嫌じゃなかったから。またしていいよ』
芹香から返信が来たのは夕食後のことだった。
『いいよー』のシンプルな文面の前に、2件ほど送信取り消しの後がある。
……2回も何を誤爆したのだろうか?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます