第8話 凶つ星

 ボレアリス王国は今から大体八百年ほど前に起こった小国が、周囲の小国を制圧し、婚姻などの理由で統連合を繰り返して出来た王国である。

 王国になる前のこの地は、大陸からやってくる異民族の襲撃や、海から渡ってきた海賊たちによって、常に人の生活が脅かされているような草原が広がるだけの土地だったのだという。

 他民族からの侵食が進む草原の中で、羊飼いの青年が真夏の夜、天高く輝く星々へと“この先の安寧をどうか与えて欲しい”と祈った時、宇宙そらからその様子を見ていた星々は、その強い思いに応えるべく、そして青年を正しく導くために、星の声を聞くことが出来る乙女に、星々の力を分け与えることができる星で出来た冠を持たせて、羊飼いの青年が立つ草原へと送り出した。

 羊飼いの青年は宇宙から与えられた冠を戴き、星声ほしごえを聞く乙女を伴い、草原の王として立った。

 王として立った青年は、星々の威光を放つ冠と、星声を聞く乙女の導きによって、大陸から侵略してくる異民族を押し退け、海を渡る海賊たちを制し、そして小さな国を創り上げて見せた。

 彼は創り上げた小さな国を守るために、まず自分と共に武功を上げた臣下たちと、国を治める基盤を共に創った臣下たちへ、自らが戴く星の冠から、輝く星々の力を分け与えた。そしてその臣下たちも彼と同じように、自らを助ける者たちへ星の力を分け与えて行ったという。

 次第に大きくなって行く国は、青年が与えられた星の冠の名を取って“ボレアリス”と名乗るようになり、そしてその冠の下に集まるようになった臣下たちは皆、星を分け与えられたしもべであることを表すために、家名に星の名を持つようになった。


 故に、ボレアリス王国の貴族は皆、星に関する名を持つ。


 ボレアリス王国は宇宙に輝く星が初代国王へ冠を与え、そして星の声を聞き王へ伝え導く、“星声の乙女”がいなければ成り立たなかった王国である。

 と、言うのがなんとこの王国の正式な建国史である。

 そのためボレアリス王国の貴族子女たちは、幼い頃から星について学ぶことが必然とされている。アカデミーで開講されている講義の中でも、天文学は必修科目である。


「……特定の位置にある星々を結んで出来る図を星座と呼びますが、この星座の名とそしてそこで輝く星々の名を我々に伝え残したのは、初代ボレアリス国王に仕えた、“星声の乙女”でした。このボレアリス王立アカデミーに通う皆様方の家名は、全て宇宙に輝く星々の声を聞いた乙女によって伝えられ、そして冠を抱いた初代国王によって分け与えられたものです。皆様方はその星の名に恥じぬように、勉学に励んでください。それでは皆様方、星図と教本を開きましょう」


 ここまでが、天文学の授業の度にカルデア星教団せいきょうだんから講師として派遣されている星教師せいきょうしが必ずする授業の前説である。

 初代ボレアリス国王は、自らを導き、共に国を創り上げてくれた星声を聞く乙女を王妃として迎え入れた。初期のボレアリス王家では、最初に生まれた男児には冠を戴く王の座を、最初に生まれた女児には“星声の乙女”を任せ、政治と信仰を王家が一手に引き受けていた。

 けれど約四百年前頃に当代の乙女が急に『王家と星声の乙女は道を分つべきである』と、星々からのお告げを告げ、その時よりボレアリス王国では政治を担うボレアリス王家と、星の声を聞き民の信仰を担うカルデア星教団に分かれる。所謂、政教分離の仕組みが出来上がった。

 以来、王家はボレアリス王国を貴族と共に治めて、カルデア星教団は星々から聞いた教えをボレアリス王国の民たちへと説いて回っている。

 そのためこれから政治に関わっていく貴族子女を教育する目的の王立アカデミーで、星の声という宗教的教えと共に天文学を教えるのは貴族出身者ではなく、わざわざカルデア星教団から派遣された星教師である。

 星教師は貴族ではないし、爵位も持たないが、大元を辿れば王家から分たれた存在であるため、地位としては公爵か侯爵には匹敵する。

 だから多少長めの説教臭い前説があったとしても、アカデミーに通う貴族生徒たちは大人しく星教師の授業を聴講するのが、いつもの流れのはずなのだが。


「ハドリウム・カストス様、どういたしました?」


 講堂内の視線が一斉にハドリウムの方を向いた。

 わたしもチラッとハドリウムのいる座席を見ると、奴は天高く人差し指を一本立てて手を上げていた。元日本人にとっては大変奇妙に見える行動なのだが、これがボレアリス王国では一般的な挙手の方法なのだから笑うわけにもいかない。

 名を呼ばれたハドリウムはスッと立ち上がると、やけに姿勢良く、そして胸を張って教壇に立っている星教師へと問う。


「星教師様。私たちボレアリス国王の貴族は、初代国王より冠に宿る星の力を与えられたと、先日の授業でお話されていたと思うのですが」

「はい。先週の授業でのお話ですね。皆様方の祖先は、初代国王より星の名と冠から力を分け与えられております」

「その力は私たち貴族とそして貴族の守る民たちへも伝わっている。そのため、ボレアリス国王の国民は皆、必ず星の輝きをその身に宿す。例えば、髪や瞳に」

「おや、それはまだお話していなかったかと思いますが、その通りです。ハドリウム様はよく勉強されておりますね」


 ボレアリス王国は、というより、おそらくこの世界の人間の髪色と瞳の色は、前世の世界よりも多彩だ。

 貴族で一番多いのは金髪だが、叔母や従兄弟のように、絹糸みたいな銀髪もよく見かける。貴族にも庶民にとっても一番ありふれているのは茶髪だが、時折、空の色かと思うような青い髪や、どう遺伝子したらその色になるのだろうといった紫色の髪をしている人もいる。

 瞳の色はさらに複雑化していて、若葉のような緑色もいれば、夕焼けのようなオレンジ色をしている人もいるし、わたしのように真っ赤な虹彩を持つ人間も、多少珍しいがいるにはいる。


(むしろ、日本人みたいな黒髪黒目の方が珍しいちゃ)


 藍色や紺色がより濃くなったような“黒”と言った髪色と瞳は、ボレアリス王国では宇宙の色そらのいろといって、自分達が崇める星々が輝く宇宙を反映しているとまで言われる。

 初代の“星声の乙女”は、その黒髪黒目の宇宙の色を見に纏った乙女であったと、古い遺跡や資料に残されており、彼女を王妃として迎えたため、ボレアリス王家では髪か瞳が、黒に近い藍色や紺色の子どもが産まれやすいと聞く。

 乙女を神格化するためなのか、人々に自分たちは星の僕であると説くためなのか、ボレアリス王国では自分たちの身にまとう髪や瞳の色は、星の力が分け与えられた星の色という教えがある。

 庶民にどう伝わっているのかまでは、残念ながら貴族の娘として転生してしまったわたしにはわからないが、貴族にとっては自分たちの髪や瞳の色は星の力の象徴である。

 特に瞳の色は見るだけでどこの家の人間かわかるくらいには特徴が表れやすいらしく、ドルフィネ家では紫の瞳の子が生まれやすく、わたしの生家であるシリウス家は琥珀色の瞳をしている子どもが生まれやすいはずなのだ。


(残念ながら、わたしは琥珀色でないのやけども)


 そこまで思い立って、わたしはハドリウムがこれから何を言うか予想がついてしまった。ついてしまった上で、また彼のあのとんでも三文芝居を聞いてやろうと思って身構えた。


「星教師様。質問がございます。凶つ星まがつぼし、と呼ばれる“赤い”星について、今ご教示頂くのは可能でしょうか?」

「……ハドリウム様は随分と勉強熱心でいらっしゃるようですね。何故、凶つ星についてお尋ねになりたいと思われたのでしょうか?」

「最近、とある噂を耳にしまして。なんでも、『図書館で噂話をすると、天井で輝く赤い凶つ星に魅入られて、不幸が降りかかる』と」

「はぁ。それはそれは、なんとも奇妙な噂話ですね。ハドリウム様はその噂の真偽を問いたいのでしょうか?」

「いいえ。噂話はあくまでも噂ですから、そのような物の真偽を学びの場で問うなどということは、愚かなことです。しかし、そもそもこの噂話が囁かれることとなった発端は、凶つ星と呼ばれる“赤い”星が、宇宙そらに輝いているということは事実であるためです。故に私は宇宙と星々について我々に教えを授ける星教師様にお尋ねしたいのです。凶つ星とは、本来どのような星なのでしょうか。そして仮に、その凶つ星の力を宿した人間がいるとしたら、髪や瞳は凶つ星のように“禍々しい赤い色”をしているのではないかと」


 “禍々しい赤い色”のところで、講堂中の貴族生徒たちの視線が自分に集まってきた。

 正直、ここまでされるだろうという、予想もついていた。

 幼い頃から同じような視線の集められ方は散々されてきている。事あるごとに炎のような赤毛を指差されては、悪女であった祖母のような気性なのではないかと警戒され、また時には落ちぶれた貴族のお手本だと母の陰口を目の前で叩かれることもあった。

 この真っ直ぐに伸びた赤い髪のことで、苦労することは多々あった。だから髪のことだけ言われても、わたしはあまり傷つかない。むしろ傷ついてたまるかと気丈に振る舞うことすら出来るのに。

 ヒソヒソと、ザワザワと、耳障りなその音は、いつも標的にしてくる赤毛のことではなく、皆がみな一様に、今は伏しているはずのわたしの瞳の色について話していた。

 小さな声で囁かれているはずのその言葉が、わたしの耳にはまるでイヤホンから直接流れ込んでくる音楽のように入ってくる。


「赤毛に赤い瞳だなんて、気味が悪いとは思っていましたけれど、そういう星の元に生まれたと言うならば、納得がいきますわ」

「凶つ星に魅入られているどころじゃありませんのね。ご本人が凶つ星の化身なのではありませんこと?」

「そもそもシリウス家は琥珀色の瞳が特徴だったはず。何故赤い目なのだ?」

「ヴァイオレット様はドルフィネ辺境伯領の生まれだから紫のはずだろう? 両親どちらとの瞳の色とも異なるなど、そんなことがあってよいのか?」

「まさか……」

「仮にそうだとして、赤い目が特徴の家などあったかしら?」

「スコーピオン侯爵家は赤いと聞いたことがございますけれど、まさか侯爵ともあろうお家が、そのようなことをされるかしら?」

「実は貴族じゃないのではありませんの?」


 あぁ、聞こえてくる。

 嫌な言葉ばかりが、耳に入ってくる。

 

 前世ではわたしの精神面を気遣って、わたしが聞いていないだろうと思われたところで、ヒソヒソと回復の見込みがない自分の病状について話されていて、それもそれで傷ついたものだったけれど。


 今世のこのヒソヒソ話達とは比べ物にならない。


 赤い髪の事は聞き飽きるほど聞いたけれど、この真っ赤な瞳については、時折、聞くに耐えない疑問を投げかけられることがある。


 リーデロッタ・シリウスは、本当にシリウス家の現当主、コーパル・シリウスの血を引いているのか。


 リーデロッタ・シリウスの母親は、悪女エスメラルダ・カシオペイアの娘であるヴァイオレット・ドルフィネだ。表向きはシリウス子爵家に嫁いでいても、裏では別の男と繋がっているかもしれない。だから娘の瞳の色が父親と異なるのだろう。

 母の不貞を疑う言葉は、特にわたしが前世の記憶を取り戻した三歳の頃から耳に入ってくるようになった。


(三歳の脳みそに、十六歳の知識がインプットされたせいもあるがやけど)


 この世界は前世のように科学が発達していない。当然遺伝子検査なんてものは存在しない。だから親子かどうかは、目鼻立ちと髪色、そして瞳の色で判別するしかない。


(目鼻立ちは今の父親そっくりながに)


 もしリーデロッタの瞳が琥珀色だったのなら、他家の貴族からも、使用人からも、コーパル本人だって、妻と娘のことを疑いながら暮らすこともなかっただろうに。


「星教師様。凶つ星はやはりその名の通り、人々に悪影響を与える力を持つ星なのでしょうか。我々は星の力を宿している。ならば人々に悪影響を与える凶つ星の力を宿す人間も存在するのではないでしょうか」

「……」


 教壇に立つ星教師はハドリウムの問いかけと、講堂内のざわめきがさざなみのように広がっているのを、困ったように黙りこくって見守っている。

 星教師が生徒達を抑える様子を見せないせいで、講堂内のざわめきの漣は、やがて大きな波となって、わたしを飲み込んで攫おうとしているような感覚がした。


(転生者の特典ちゃ、案外ないんやなぁ)


 前世の病室にいるしかなかったわたしが飽きてしまわないように、前世の母がくれたタブレット端末で読んでいた所謂、異世界転生モノと呼ばれる小説の数々には、転生者だけにある特別な力というものが備わっていて、その力によってその世界で上手く生きていくというのが大体のお話の流れだった。


 だけど、わたしには。

 リーデロッタ・シリウスにはそんな力はない。


(あえて言うがなら、健康な身体が転生者特典かもしれんけど)


 もし、リーデロッタの祖母が元悪役令嬢じゃなければ。

 もし、リーデロッタの産みの母親が落ちぶれ令嬢などと侮られる存在でなければ。

 もし、リーデロッタの髪が燃え盛る赤毛じゃなければ。

 もし、この赤い瞳が少しでも今世の父に似た琥珀の輝きを宿していたならば。


 このざわめきの波に溺れてしまいそうになることはなかったのだろうか。


 この波に飲まれて、辛く苦しいという感情の赴くままに泣き崩れて、講堂から出て行く。

 なんてことをすれば、この講堂中の、それどころかボレアリス王国中の貴族が、やはりリーデロッタ・シリウスの出生には良くない事情が絡んでいたのだと、勝手な憶測が真実として語られてしまう。

 それだけは避けなければいけない。そんなことが真実だと触れ回られてはリーデロッタ・シリウスは、深紅の令嬢から、凶つ星の下に生まれた不義の娘に変わってしまうだろう。

 わたしはざわめきの波に攫われないように、流されないように、耐えるしかない。

一人踏ん張って、この講堂の席にしがみつくしかない。

 それでも、願ってしまう。


 誰でもいい。誰か一人。たった一人でいい。

 わたしを助けて。


「星教師よ。発言を許可してくれないだろうか」


 講堂の一画に据えられた、特別な席に座る、この国でも特別な地位にある人が、教壇に立ち尽くす星教師へと発言の許可を求めていた。


「冠の星々の一つ、カムイ殿下。どうぞ、お話しください」


 カムイ・ボレアリス。

 この国の第三王子が、星のように輝く黄金の髪の間から、濃紺の瞳を光らせて講堂中を見渡していた。

 何故だかその濃紺の瞳と目が合ったような気がしたのは、気のせいだろうか。

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