第11話 真実を解き明かす
広大な後宮を駆け、
「──
「あ、貴女……?」
「
どこかへの遣いの帰りだろうか、折よく、ひとりで通りすがった宮女を捕まえて、碧燿は息せき切って尋ねた。相手が戸惑う表情を見て、もどかしい思いで名乗ると、その宮女は目を丸くして彼女の頭のてっぺんからつま先までをしげしげと凝視した。
「
不審も
「色々事情がありまして、姿が変わっておりますが。私のことはどうでも良い、桃児さんに急用なんです」
「え、ええ──良く分からないけど、それなら……?」
言葉に納得した訳ではなく、単に碧燿の勢いに気圧されただけではあるだろう。それでも、首を傾げながらもその侍女は頷き、彼女を殿舎の中に通してくれた。
* * *
後宮の殿舎は、ひとつひとつが塀や庭園でほかの建物と隔てられている。主である
「
最初にかける言葉は、走りながら考え抜いたものだった。多くは語らず、けれど
「あ──」
ただでさえ不安げに、辺りを見渡しながらやってきた桃児は、明らかに青褪めて絶句し、あまつさえがくがくと震え始めた。無事でなくなる事態に心当たりがあると、察するには十分だった。
(やっぱり……)
まさか、で見過ごさなかったのは正解だったのだろう。でも、厄介なことが起きていると確定してしまったのを喜ぶ気にはなれなかった。緊張が重く腹の底に
「お静かに。何があったか──想像はしておりますが、確証はございませんし、ここで語ることもできません」
言われるがまま、桃児は無言でこくこくと首を頷かせた。大声を出して人に──
「詳しくお話を伺いたいです。私……今は
「た、助けて……くれるのですか……? あの、私、とんでもないことを──」
(静かにって言ってるのに……!)
桃児は、決して声を高めた訳ではない。でも、今言わなくても良いことだった。問答を長引かせるより、早くここを出たいというのに。
(……ダメ。言うだけ話が長くなる)
相手を怯えさせては、余計にややこしいことになる。危険も増える。焦りも苛立ちも押し隠すべく、碧燿は深く息を吸って、吐き、努めて笑顔を保とうとした。
「……貴女が望んでしたことではないのだろうと思います。事情をしかるべき筋に申し述べるためにも、一刻も──」
早く、と言いながら、碧燿は桃児の手を取った。──取ろうと、した。けれど叶わなかった。
(──え?)
ただでさえ陰に入ってほの暗い視界に、一段と濃い影が落ちた。それを訝しんだのも一瞬のこと、後頭部に強い衝撃を感じて、碧燿はその場に崩れ落ちた。薄れ行く意識の中、桃児がぽつり、と漏らした呟きが耳に届く。
「……ごめんなさい」
碧燿はああ、と嘆息した。あるいは、そのつもりになっただけかもしれないけれど。
彼女が思っていた以上に、桃児は女主人を恐れていた。危険を承知していてなお、隠し事をするなど思いもよらないほどに。この宮女は、碧燿からの呼び出しを姜
* * *
覚醒した瞬間に、目眩と吐き気に見舞われて、
(私……殴られて──)
その犯人は──と、そこまで考えたところで、碧燿は目の前に揺れる、見事な
「
「余計な真似はしないでちょうだいと、言ったでしょうに」
以前は玉を触れ合わせるよう、と思った玲瓏たる声も、今はひたすら碧燿の頭痛をいや増すだけだった。傷に響くというよりも、声に込められた悪意の強さと鋭さが、彼女の心を抉るようだった。
「罪ある者を追及するのが、余計な真似だとは思いませんでしたので」
「盗まれてなどいなかったのよ。……ねえ、どうして、どこまで気付いたの?」
辛うじて憎まれ口めいたことを返すと、さやかな衣擦れが響いて、
(惚けたほうが良い……?)
何も気付いていない、と──でも、言ったところで信じられないだろう、とすぐに考え直す。卑賎の役職とはいえ、
(ここは──
「……
そもそもの切っ掛けは、そこだった。綬帯を盗むことができた者が、いないことになってしまうから。とはいえ、本当に迂闊な偶然で高価な綬帯が
「後宮においては、誰かのお召しは大きな話題ですのに、不審だと思いました。それで──次は、
後宮では、あらゆる部署がそれぞれに記録をつけているものだ。付き合わせて検証しようという変わり者が滅多に出ないだけで、記録は──真実は、常に淡々と積み上げられている。
碧燿が告げようとしている内容に、もう心当たりがあるのだろう。姜
「夜伽に
「あちこち調べ回ったものね。気持ち悪い」
「たまたま、一度に調べられる状況だったのです。……まあ、そうでなくてもいずれ確かめようとしていたでしょうが」
碧燿が疑問を検証することができたのは、同輩の
「月の障りに当たっていたと申告すれば、夜伽の役はほかの方に移っていたことでしょう。不可抗力、自然の理であって、何も悪いことではございませんが──」
「そんなことができるはずないでしょう!? わたくしたちは次なんて待っていられないのよ……!」
考えていた通りの内容の絶叫に、碧燿は顔を顰めた。痛む頭が揺さぶられる苦しみもあったし、巡り合わせの悪さを、その悲痛や絶望を黙って受け入れたであろう数多の妃嬪を思い遣ってのことでもあった。
「……だから、貴女様は桃児さんを身代わりに仕立てた。背丈や顔が、少しでも似ている人を選んだのでしょう。夜の閨で、
獄の中で桃児は言っていた。姜
綬帯を盗んだ犯人がいない、という姜
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