第七話 攻略対象には重い過去が付き物

 実験の場所に選ばれた桐山ホールまでの道のりはそう遠くなかった。政治家の講演会や、オーケストラの演奏に使われるような広く華やかな建物だ。

 大人数のガードマンと、何やら祭事の道具を持つ人間が外周に見える。部外者が紛れ込んでいないかの確認のための関門で人が詰まっているらしい。現場の人間と目礼を交わし、事前の打ち合わせ通りに緑坊ちゃんを先に誘導する。

 道中も厳重な警備が敷かれているようで安心した。今日ここに居るメイン人物は、どちらもいつ暗殺されてもおかしくない人間なのだ。緒兎一様が国内ランク一位、緑坊ちゃんが二位くらい。

 緑坊ちゃんに至っては、フラグが立てば緒兎一様からも狙われてしまうことになる訳で、要注意対象と至近距離で二人っきりなど、俺としては気を休める暇もない。壁際でいつでも飛び出せるよう待機をしながら、神経を尖らせる。特に二人の動向に気を張って、実験用に緒兎一様の結界が貼られる様子を見守った。

――ん?

 初めての感覚だった。空気中のシックス素粒子が明確に緒兎一様の方へ集まっていく――ある第六感所持者に対し、知覚出来るシックスは一種類だけだ――つまり、俺の第六感と同じ素粒子を、彼も用いているということだ。

(おお……ダブったの初めてだな。……『結界』と『蛇化』で被るとこあるか? 桜ノ宮に伝わる有難い書類とかになら書いてあんのかな)

 ちょっとした驚きに思わず少し前のめりになってしまう。

 俺のそんな驚きは、間もなく更に大きな驚愕に塗り替えられた。

 核さえ防ぐという結界の形成を目にしたことは初めてだったが、それではない。坊ちゃんがそれを打ち消すことに成功し、絶望したような顔をしていたことも、まあ想定内。

 一番驚いたのは――ガードマンの死体と共に、アセビが窓を割り飛び込んできたことだった。

「襲撃だッ!! 各員配置に付け!!」

 遠くで誰かが叫ぶのを聞きながら、全速力で坊ちゃんに近づく。アセビの操る植物が、彼の顔の真ん前で花開こうとしているのが見えて、緒兎一様ともども引きずり倒し、ステージから叩き落とした。持ち歩いている血清をその腹に放り投げ、彼らを背に庇う。

「それを持って、誰でもいいから護衛の下へ!! こいつの第六感は強力な毒物を含んでる!」

 全員に聞こえるようアセビの第六感を明かし、飛んできたナイフを防ぐため右腕を蛇に変える。

(よりによって俺が居る時に来んのかよ……!!)

 アセビは凄腕の殺し屋なのだ。こんな男と殺し合っていては、体はともかく心がすり減る。

 来月の神事が重要なイベントということは知っていたので、休む気満々だったくらい嫌だったのに。それにアセビ相手に、坊ちゃんを守り切れる自信はあまりなかった。ついでに俺が生き残る自信も。

(……まあ、別に死んじまってもいい気はするが。生きる理由……特にないし……)

 生まれ落ちた針葉の分家では致死毒を持つ第六感を嫌煙され、ゴミのようにビニール袋に詰められて本家の前に捨て置かれた。今の今までここで働いているのはその流れだし、衣食住や生育の恩を盾にハチャメチャに脅されながら仕事をしている。

 個人的な事情で緑坊ちゃんには恩――というか、借りがあるので、これまで働いてきたが、ついにそれも今日で終わりとなりそうだ。

(『転生し、ガチャ爆死して、死因草』。柊四、心の一句……)

 早急に辞世の句を詠みつつも、時間稼ぎに腐心する。

 ゴマ粒よりも小さな種が目の前に広がったかと思うと、早送りのように植物が育っていく。どれも猛毒を含むもので、「それはもはや刃物では?」と聞きたくなるような鋭い葉がひらりひらりと俺の視界を埋めていく。

 葉の向こうから風を切る音が迫る。鮮やかな緑葉の向こうから、ナイフを握った拳が、葉ごと俺を切り裂こうと迫っている。

 鋭い突きは固い鱗のある腕で受け流し、切り裂くような一線は身を引いて交わす。

(あ~来世来世。記憶とか引き継がなくていいんだよな……。もう会えない大事な人も家族の記憶も、あっていいことなんか一個もねえんだよな。誰のお世話も出来なくて辛いんだわ)

 ペットを飼えば自分の毒性で死ぬし、周りの人間はみんな針葉に関係する者ばかりだし。分家の人間と同じ場所に配備された時の空気の悪さと言ったらない。あいつら平気で俺を囮に敵前逃亡するからな。

 代替品としてお世話をしていたコレクションたちが気がかりだが、人んちに入り浸りのアセビが何とかしてくれるだろう――などと考える間にも、当のアセビから飛んできた蹴りを受け止め、関節を逆向きに捻り捕縛しようと試みる。難なく対応され首筋を刺されかけた。

 毒性があるという情報がそうさせるのか、ステージで殺し合う俺たちのどちらにも援護はない。一対一で殺し合いながらも、攻撃の間を縫って辺りを確認すると、狙撃手たちが上層の階に立ち並んでいるのが見えた。

 おそらく俺が死んだらあれでアセビを撃ち殺すのだろう。戦闘中は俺の妨害に繋がる可能性があるので控えている……といったところか。当たっても持ち前の頑丈さで(何故か)死にはしないが、多少の硬直時間は生じる。

(坊ちゃん……とついでに緒兎一様も、見える範囲には居なかったな。逃げ切れたのか……? 確認する余裕ねえし分からん)

 それにしても辛い。先ほどから何度も常人なら致命傷の攻撃を受けてしまっている。俺が生きているのは第六感のお陰だ。

「流石に……ッ、そろそろ、キツいな」

 俺の言葉に、アセビは笑い更に肉薄する。知人だというのに手心を加える気が全くないらしい。

 第六感で強化された両腕で、彼を締め上げようと手を広げると、アセビはまるで抱擁に応えるように、俺の反応よりも素早く懐に入り込む。耳元にまで迫った彼は、小さな声で囁いた。

「都合、良い。早く、蛇に、なれ……」

 俺の両肩に手を置き、くるりと一回転し背面に降り立ったかと思うと、そちらから猛烈な殺気を感じる。絶ッ対トドメ刺しに来てる、これ。賭けても良い。

(お言葉通り蛇になるしかねえな……死ぬわこれ)

 完全な蛇化をすれば体長が変わる。それから心臓の位置も。

 シューシューと威嚇音が俺の指先から鳴ると、アセビはうっとりと外套の下で笑みを浮かべていた。

 背中を取られた以上、どこを狙われるのかは予想しかできない。頭かもしれないし、心臓かもしれないし、足や腹を狙われるのも厳しい。しかし蛇になれば、その問題は全て解決する。頑強な体は刃を弾く上、素早く全身を使って締め上げれば――気は進まないが――相手を圧死させることも出来るだろう。

 ただ、こちらもすぐさま蛇になれる訳ではない。第六感の大規模な発動には、大量の素粒子が必要だ。発動さえ出来れば傷は全て癒える。半死半生でも構わない。致命傷だけ避ければ良いのだ。振り向きざま、彼の顔があるだろう位置を狙い掌を広げ視界を塞ぐ。そのまま第六感のための素粒子を集め――え?

 片手間に取り込もうとした素粒子が、殆ど空気中に存在しないことに遅れて気が付いた。動揺する俺に、アセビも何処か困惑した様子で心臓を狙っていた刃をずらす。それでも十分致命傷の位置で涙がちょちょぎれそうだった。いっそ一思いに殺してくれ。

「――止めろッ!! 柊四!」

 ばきんっ、と音を立ててアセビの刃が不自然に止まる。青い炎の燐光が揺れている。それは世界でも桜ノ宮緒兎一しか使いこなせない『結界』の第六感だった。

 俺の周囲がそれで覆われていた。好機と見てか、ガードマンたちは一斉に射撃を開始する。時たま俺に当たるものもあったが、それらは全て緒兎一の結界が弾いていた。

 アセビはそんな俺を上手く肉盾にしつつ、チッと舌を打つと満開の毒花を散らしながら目晦ましを放ち飛びし去る。不規則な動きは俺などよりよほど蛇らしく、弾を避けながら舞台裏へと消えていった。

 ガードマンたちがそれを追うのを見送り、やっと深く息を吐いた。

「死ぬかと思った……」

 雪三が駆け寄ってきて、怪我の具合を聞く。全身ぶっ刺されまくったが全て軽傷だった。救護班が担架を持ってきたのを首を振って断り、雪三に連れられてスタッフルームへと向かう。

(それにしても……俺に「止めろ」って言ったの、緒兎一様だよな? なんで俺を止めた?)

 普通はアセビを止めるところだと思うが、結界に覆われたのは俺だ。内側から出ようとしたが、壁が立ちはだかり、俺は棒立ちになることしか出来なかった。

 緒兎一様は明らかに、俺を閉じ込めようとしていたのだった。

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