第22話 闇一匁

「痛ッ」


 クレアルに刀で刺された左肩を控え室に常備されていた医療用糸で縫合し終えた俺は、一息つくために椅子の背もたれに体を預けた。


 決勝へ向けて少しでも休憩しようと思ったが、脇腹に違和感があることに気づく。


 おそらく、クレアルにもらった蹴りだ。痛み的に内臓への損傷ではない、だとしたら骨か・・・・・・どうやらもう、長期戦を戦ってられるだけの余裕はないみたいだ。


 それに、クレアルの魔剣術を暴くときに使った魔力を喰う炎。この刀の固有能力だが、そう何度も使うことは避けたい。すぐにどうこうなる訳ではないが、デメリットも少なくない。


 加えて、使い慣れていないせいか、思っていたよりも魔力を必要以上に供給しすぎてしまった。おまけに、絶炎ぜつえんまで・・・・・・。


 とはいえ、闇一匁やみいちもんめを温存できたのは大きい。俺の総魔力量と体力的に考えても、あれは一日一回が限度だ。


 幸い、体力的には十分な状態で次は決勝。剣術から離れていたこの四年間、時間を見つけて体力強化を続けていたのも功を奏した。

 もう何かを温存するようなこともない。


 思い切り戦える分、今までの試合よりも精神的には幾分かマシなことがせめてもの救いか。


 俺はモニターに映った二人の試合映像を眺める。

 リーバ・オルソが試合を棄権し、マルク・ハーソンが俺の決勝の相手となった。


 ゆっくりと立ち上がり、破いてしまった制服は着直すことなく椅子にかけた。半袖の黒シャツに学校指定の黒ズボンという姿になっていることに気づいて苦笑する。


 今思い返してみれば、俺の着る服は昔から黒ばかりな気がする。別にそれが嫌という訳でもないが、今度ユアに黒以外の服を選んでもらうのもいいかもしれない。


 ・・・・・・ユア。


 ユアのことを考えていると、なぜか体中から力が溢れてくる。

 疲れているはずなのに、不思議と力が湧いてくる気がするんだ。


「──よしっ、いくぞ!」


 俺は僅かに緩めた口元をきつく結び直し、最後の戦いへと歩みを向けた。






 剣術祭に出場する各選手に用意された控え室。そこから試合会場へと続く通路で、マルク・ハーソンは、祈りを捧げていた。


「神よ・・・・・・あぁ、神よ。どうか、どうか私に神のご加護を──」


 マルクは制服の内ポケットから一枚の写真を取り出すと、涙を流した。


「母上・・・・・・あぁ、母上。会いたいです、会いたいですっ、うっ、うぅっ」


 この仕事をやり遂げれば、大金が母のもとへ入る手筈となっている。


 マルクの家は昔から貧乏で、女手一つで家計を支えてくれていた母にいつか恩を返してあげなければならないと、幼少の頃から常々思っていた。


 そして、そのまたとないチャンスが訪れたのだ。


 ──いいかい、マルク。お前は真面目でとても優しい子なんだから、その優しさをいつか誰かに分け与えてあげられるような人になりなさい。


「うぅ、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、母上っ」


 マルクにとって、その誰かは母以外に考えられなかった。

 例え、自分にどんな不幸が起きたとしても。

 母が幸せでさえあれば、それ以上は何も望まないと────


「・・・・・・行ってきます、母上」


 先程とはまるで違い、マルクは決意を固めた面持ちで止まっていた脚を動かし、会場へと歩みを進めた。






 通路から姿を現し、会場中から沸き立つ歓声を一身に受けながら俺は歩みを進める。

 先程まで青く澄んでいた空には雲がかかっていて、いつ一雨きてもおかしくない空模様となっていた。


 舞台に足を踏み入れ、先に舞台に上がっていたマルク・ハーソンの姿をモニター越しではなく直接この目で視界に捉えた。


 真っ白な汚れ一つない制服に身を包み、白に近いブロンドの髪色に糸目と少し痩せた体型が特徴的な男。白い肌から滲み出る異風にも見える顔つきは、貴族と立ち会ったときを想起させる。


 それでも、見た目に惑わされてはならない。


 決勝という負けが許されない条件での相手。つまり、クレアルより強いことも考えられる。大佐か、もしくは階級以上になにか秀でた力を持った手練れである可能性もある。


 そのはずだ、そのはずなんだが・・・・・・。


 俺に向けて、マルクが最初に口を開いた。


「まさか、あのクレアル殿を倒して私の前に姿を現すとは、恐れ入る」

「・・・・・・ああ、そりゃどうも」

「容赦も、手加減も無用。本気の立ち合いを所望する」

「・・・・・・」


 クレアルと対面したときに感じた、異様な殺気などは感じられない。

 それどころか、なんだこの奇妙な感覚は・・・・・・。


 それ以降、特に話すこともなく電子掲示板に表示される試合開始までのカウントが秒刻みになった。


 俺は集中状態に入るために口から息を深く吸込み、ゆっくりと鼻から出す。


 訪れる、束の間の静寂。


 俺たちの間には勿論のこと、会場中が。

 都市全体が静まり返ったかのような静けさはこれまでにない緊張感で包まれていた。


 勝敗判定ロボの試合開始音が鳴った瞬間、俺は一直線にマルクに向かって走り出す。


 先手必勝という訳でもないが、グズグズと試合を長引かせているような余裕はない。

 俺はマルクの間合いに入るな否や、一気に加速して縦から一太刀を仕掛ける。マルクは難なく剣で受けるとそのまますり抜けるようにして俺の刀に加わっている力に逆らうことなく俺の右横に移動し、左側から横一直線に剣撃を浴びせようとしてくる。

 俺は刀先を下に向けてそれを防ぐが、二撃目、三撃目と太刀筋が乱れることはない。


 上手い、この手慣れた動きはただ鍛錬するだけで身につくような技術ではない。


 だが、なんだこの違和感は。


 目前に迫るマルクの追撃。しかし、踏み込みが浅い。俺は甘く入った斬撃をいなし、魔剣術を使おうとするが何かを感じ取ったのかマルクは大きく後退した。


「・・・・・・?」


 必要以上に俺の魔剣術を恐れているような引き方にも、多少の違和感を感じる。

 俺とは魔剣術系統の相性が悪いのか、それとも・・・・・・。


「一つ、君に聞いておきたいことがある」


 マルクは俺からさらに大きく距離を取り、警戒した構えを解かず話し出した。


「黒道優雅・・・・・・仮に君がこの剣術祭で優勝したところで我々北帝国が東王国と同盟を組むなどと、本気で考えている訳ではあるまい?」


 そのことについては、俺の中では既に答えが出ている。


「同盟・・・・・・そんな話もあったな。けど、関係ないさ。優勝することが東王国側にとって不利になるということはないだろ。俺は、自分に出来ることをやるだけだ」


 表向きで北帝国との取引を承諾してしまった以上、もう皆が助かるには正攻法でいくしかない。例え俺が剣術祭に優勝したにも関わらず北帝国が軍隊を連れてやってくるような最悪の事態に陥ったとしても、こちらは〝裏切られた側〟として他国に救援を求めることもできる。

 特に西公国なんかは北帝国が取引違反をしたとあればそれを皮切りに休戦協定を破棄し、助力を惜しまないはずだ。


「君なりに、色々と考えているようだな」


 マルクは一人で勝手に納得したような顔をする。


 俺もいくつか聞きたいことがあったが、その中でもさっきから頭の中を埋め尽くしている疑問を解消することにした。


「・・・・・・あんた、階級は?」


 そう俺が言葉を発した瞬間、デリアルの表情が急変した。


「か、階級・・・・・・? なぜそんなことを聞く。関係ないだろう、君には」

「もちろん、答えたくないなら無理に答える必要はない。そもそも敵にそんなこと教える義務なんてないしな」


 大佐か、中佐か。それがわかるだけでも俺の経験からある程度は戦略が練りやすくなる。あの剣術の腕で大佐だとしたらそれを活かすために魔剣術を使う可能性も高い。闇一匁に使う魔力量を考えると魔剣術も多用できない。


 ・・・・・・できることなら使いたくない。あれを使わずに勝てる相手なのか、早い段階で見切る必要がある。


 そう思考を巡らせている間にもデリアルの様子はおかしくなっていった。


「・・・・・・階級、階級・・・・・・どいつもこいつも口を開けばそればっかりだ・・・・・・」


 デリアルは構えを解いて棒立ちになってしまっている。それどころか目の焦点も定まっていない様子だ。


「そうさ、私は確かに下位幹部さ! だからって、それだけで私の価値を決めるのか!? 私が・・・・・・非魔剣術使だというだけで!」


 ついには頭を抱えながら下を向いて子どものように喚き散らし始めた。


 非魔剣術使・・・・・・さっき大きく後退したのは、そういうことか。


 北帝国上位幹部と下位幹部には明確な格差がある。それは〝魔剣術使であるのかそうでないのか〟だ。

 今の時代、魔剣術使の数は著しく減少傾向にある。言うなれば存在自体が貴重そのものだ。どれだけ剣術の技術が粗末なものだったとしても、魔剣術使としての資格を有しているだけで上位幹部に推薦される可能性は高まる。


 一方、どんなに純粋な剣術の腕に長けていたとしても、魔剣術が使えない非魔剣術使である者は、良くて下位幹部止まりだ。それだけ魔剣術の有無で戦闘力に差が出てしまうのは周知の事実だが、例外だって存在する。実際、こいつの剣術は大したものだ。戦略次第では上位幹部少佐レベルの相手と相内ち、もしくは勝つことだって決して不可能ではない。


 それだけにこいつ自身、劣等感よりも自分はもっとやれる、自分の力はこんなものではない、そんな感情が強く表に出ているようにみえる。


 だが、これは決勝だ。こんな後のない状況でただの下位幹部を選出し、起用するとは考えられない。なにかあるはずだ、なにか・・・・・・。


 俺は一層警戒心を強めながら構えに移る。


「・・・・・・お金が、いるんだ。頼む、降参してくれ」

「金? 何を言い出すかと思えば、そんなもののために降参する気なんて俺には」

「そんなもの、だとッ」


 マルクは、俺の顔を睨みつけるようにして声を荒げた。


「クククッ、金に困ったことのない奴はいいなぁ、羨ましい! でも、余裕ぶっていられるのも今だけさ! 君は私には勝てないッ」


 マルクは制服の内ポケットから一枚の黒い紙切れを取り出した。


 それを見た瞬間、俺は構えを解いた。

 それどころか、刀を下して棒立ちでその場に立ちすくむ。


「お前・・・・・・それ・・・・・・どこで・・・・・・」

「ふははははは! いいなぁその顔! 元特殊暗殺部隊隊長だかなんだか知らないが、君みたいな貧乏人の気持ちも分からない、強者が怯えた顔をするのを一度見てみたかったんだ!」


 俺は全力でマルクに向かって駆け出した。


 なんてことだ。


 魔剣術の間合い外に大きく引いたのは、このためか!


「もう遅い! 契約はすでに完了している!」


 マルクは黒い札を自分の顔面を覆うようにして当てると、辺り一帯に暴風が吹き荒れた。


「くっ・・・・・・」


 黒い紙からは粒子状の魔力が漏れ出て、マルクを包み込んだ。

 周囲に真っ黒な骨のような物体が出現し、甲冑のようにマルクの体中を覆いつくす。


 顔も大半部分が骨で隠れ、マルクは黒い骸骨のような姿に変貌した。


「マルク・ハーソン! お前っ、禁忌を犯したな・・・・・・!」



 ────悪魔の契約書。


 それは、特定禁忌物に指定されている負の遺物。

 二百年前に英雄アーガスが悪魔を封印した際に、一枚の紙に封じ込めたと言われている。

 しかし、アーガスが封印した力は長い年月で徐々に弱まり、現代では悪魔と契約を誓うことでその力をその身体に宿すことができると言われている。


 ・・・・・・自身の命と引き換えに。


「力が・・・・・・力が漲るッ!!」


 マルクの身体からは、目に見える程の黒い魔力が溢れ出ている。


「なぜだ・・・・・・お前、自分が何をしたのかわかっているのか! そんな力を得たところで、数刻ともたずに死ぬんだぞ!」


 マルクは俺の話に耳を向けようともせず剣を振った。

 漆黒の竜巻が凄まじい速度で俺に襲い掛かる。


 これは──いや、避けるのはまずい!


 後ろにいる観客席を意識し、避けずに迎え撃つ。

 俺は黒炎を出し、竜巻を正面から受け止める。


「ぐうっ、ああああぁアアアッ!」


「ははは、無様だな! 魔力さえ自由に使えれば、私だって戦えるのさ! それどころか、この力さえあれば・・・・・・くくくっ、ハハハハハッ」


 マルクは剣を軽く振り、さらに大きな竜巻を俺に向けて出現させた。


「くっそおおおぉッ」


 重なった竜巻は大きく渦巻き、俺から逸れて観客席へと向かった。


「しまっ──」


 竜巻は観客席に直撃し、阿鼻叫喚の悲鳴が響き渡る。


「はははっ、今ので何人死んだかなぁ!?」

「・・・・・・クソッ」


 俺は竜巻によって切れた頬の血を手の甲で拭う。


 今の竜巻・・・・・・普通の魔剣術じゃない。


 これが、悪魔の力・・・・・・。


 このままだと、さらに死人が出る。

 契約が切れるまで待っている余裕などない。


 もう、をやるしかない。


 俺はマルクの反対方向に、腕を真っ直ぐに伸ばして刀先を向ける。


「なんだ、まだ何かするつまりか。言っておくが、何をしたところで無駄だ! 今の私は最強なんだ、ハハハハハッ!」


 契約した悪魔の魔力によって、精神汚染が深刻化しているように見える。

 奴が油断している今がチャンスだ。頼む、間に合ってくれ。


 目を閉じて心の中で意識を刀に集中。

 静かに、呼びかける。


 ────黒焔くろほむら、聞こえるか。

 ────聞こえたら、返事をしてくれ。


 すると、刀から俺の脳内に魔力粒子が流れ込んでくる感覚。


『うん、きこえてるよ。ひさしぶりねっ、ゆうがくん』


 あどけなさの残った少女のような声が、俺の頭の中で響く。


 ────闇一匁を使いたいんだ、急いでほしい。炎はで頼む。


 しかし、黒焔の声は俺の望むものとは異なっていた。


【ゆうがくん、もしかしてアレをとめるつもり?】

 ────ああ、そうだ。だから、早く──

【むりだよー。じゃ、アレはとめられないよー】


 予想と違った受け答えに、思わず精神が途切れそうになる。


【ゆうがくん、やみいちもんめしよー】

【ねぇねぇ、はやくー】


 こんな、こんな馬鹿な話があるか。

 もう、誰も殺さないって決めたのに。なのに、俺は──


【はやくしないと、またいっぱいのにんげんがしんじゃうよー】


 その瞬間、俺の脳裏に大切な人たちの顔が浮かぶ。


 そうだ、迷っている場合じゃない。

 俺は、守ると誓ったんだ。


 そのためなら、俺は──


 ────分かった。の炎、全開で頼む。

【りょうかーい。もちろん、あのひとはしんじゃうけど、へいき?】


 ──ああ、問題ない。


「いつまでそうしているつもりだ! もう一発いくぞ・・・・・・っ」


 マルクは剣を大きく振りかぶろうとしたようだったが、体が突然硬直したように動きを止める。


 そして、俺とマルクの周囲が真っ黒な闇に染まる。


「なっ、なんだ!? 貴様、何をした!」

「マルク・ハーソン・・・・・・お前にはこれから十二の罰を受けてもらう」


 俺の言葉に順応するように全身が黒に染まった三人の少女がマルクを囲むようにして現れる。


【【【ふふふっ、よろしくね】】】


「なんだ、こいつらは・・・・・・くっ、体が・・・・・・動かない・・・・・・っ」


 俺の真っ直ぐに伸ばした腕に続く刀の先、その真下に一つの黒炎が灯された。

 そして、マルクを中心に十二の炎が反時計回りに円状に一つずつ順番に灯される。


「こ、こんなのばかげてる。ありえない! これは夢だ、そうに決まってる! だって、私はさっきまで確かに試合場にいたはず──」


 そうだ、馬鹿げている。


 視覚情報を操作して、一種の幻覚作用を働きかけることなど。

 だが、今から起きる悪夢のような行為は紛れもない現実だ。


 俺はゆっくりと、口を開いた。


「遊んであげよう、闇一匁」

【【【あっそんでくっれるのっやっみいっちもんめっ♪】】】


 俺の掛け声に反応し三人の少女がマルクの周りを全く同じ速さ、同じ歩幅で回り始める。


 その外側に大回りに囲むように灯された十二の黒炎。俺は自分の足元に灯された黒炎の位置から腕を真っ直ぐに伸ばしたままゆったりと歩き始めた。


 まるで、止まっていた時計の針が回り始めたかのように。

 黒炎に刀が接すると同時に俺は言葉を添える。

 まずは、一つ目。


「あんよが欲しい」

【【【あっんよっがほっしい♪】】】


 その瞬間、一つ目の黒炎が消える。

 そして、マルクの脚に黒炎が燃え移った。


「ああああああああああああしがあああああああづいぃぃいいいいい」


 マルクの外装を形作っている黒い骨はそのままに、痛みに耐え切れず発した叫びが響き渡る。

 だが、無情にも黒炎の勢いはおさまることを知らない。通常の炎とは違い、痛覚を刺激する魔力粒子が燃えた箇所を収束・発散し続ける〝拷問の炎〟だ。無理もない。


 俺は歩みを止めず、刀が二つ目の炎に差し掛かる。


「おててが欲しい」

【【【おっててっがほっしい♪】】】


「ああああああああああああああいだいいだいいだいいだいいだいいあぢいいいい」


「お腹が欲しい」

【【【おっなかっがほっしい♪】】】


「頭が欲しい」

【【【あったまっがほっしい♪】】】


「お目々が欲しい」

【【【おっめめっがほっしい♪】】】


「あぁぁぁっ、母上えっ、母上えぇっッ」


 マルクには、同情の余地がある。

 だが、闇一匁やみいちもんめは一度始まってしまえば最後まで死ぬことすら許されない。


 歩みを止めることなく、六つ目。


「お耳が欲しい」

【【【おっみみっがほっしい♪】】】


 七つ目。

「お喉が欲しい」

【【【おっのどっがほっしい♪】】】


「──────ッ」

 焼けただれた喉で悲鳴すら出せずに、マルクが悶絶する。


 八つ目。

「内臓が欲しい」

【【【なっいぞぉがほっしい♪】】】


 本来なら、ここで終わりとなる。


 ここまでなら、数日は激痛に苦しむことになるが実際に火傷を負ったり、命に関わるような重傷を負うことはない。


 だが、ここから先は痛覚だけではない。


 人間にとって、本当に大事なものを奪っていくことになる。

 俺の脳内に、マルク・ハーソンが大切にしているもの、その情報が流れ込んでくる。


「愛情が欲しい」

【【【あっいじょおがほっしい♪】】】


「優しさが欲しい」

【【【さっさしっさほっしいっ♪】】】


 大切なもの。それは、人間の人格を形成するのに必要な何かだ。

 八つ目までとは違い、痛みも感じなければ苦しむこともない。

 ただ、無情に消えていくだけ。


 そして、十二回目に達したとき。


 闇一匁が終わりを迎える。


 なぜなら、そこで最も大切なが奪われることとな、るの・・・・・・だか、ら──

「・・・・・・? 命が、欲しい」

【【【いっのちっがほっしい♪】】】


 俺の予想とは違い、十一度目で目的に達する。


 しかし、どういうことだ? なら、マルクが一番大切にしているものは──


 そして、焼かれたはずのマルクから、小さな声が漏れ出た。


「────は、ぅ・・・・・・ぇ」


 マルクの周囲を大きく周り終えた俺は、元いた位置に戻り最後の黒炎に刀をかざす。


「・・・・・・ッ、すまない、すまないっ・・・・・・母親の・・・・・・記憶が、欲しい」


 マルクの全身が激しくて燃え盛り、漆黒の炎に包まれていく。


 ・・・・・・俺は、一体何をしているんだ。これじゃあ、まるで俺は──


【【【やみいちもんめしゅうりょおー、おつかれさまでした♪ またね、ゆうがくん♪】】】


 少女たちの声を最後に、俺の視界は暗闇の世界から再び試合場に戻った。


 途端に足元がおぼつかなくなり、その場で尻餅をつく。


「・・・・・・終わった。これで、やっと」

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