第15話 雷豪

「・・・・・・ん」


 朝日の光が目に入り、反射的に手で瞼を覆う。

 いつもの耳障りな目覚まし時計の音が聞こえない。


 ついに壊れたか、そんな考えが一瞬だけ頭をよぎる。

 俺は瞼を閉じた状態を維持しながらカーテンを閉じようとするが、伸ばした手は空を彷徨った。


 ベッドも俺の普段寝ている硬く狭いものとは違う。


 ・・・・・・あぁ、そうだ。ここは俺の部屋じゃない。


 寝息が聞こえてきて、横を向くとそこにはユアが気持ちよさそうに眠りについていた。


「ユア、起きてくれ。朝だぞ」


 ユアの背中を軽くさするが、全く起きる気配がない。

 それどころか、俺の手を握ってきて離そうとしなかった。


 俺は目の前の壁にかけられてあった時計で、時間を確認する。

 剣術祭が開催されるまで、まだ時間には余裕がある。が、諸々の準備を考えると、あまりのんびりしている時間はなさそうだ。


 俺はゆっくりとユアを引き離して、隣に寝かせた。

 ユアの着ている純白のワンピースはあちこちはだけていて、胸や脚が直視しづらい状況になっている。


 俺が服を綺麗に直してあげていると、ユアが寝言を呟いた。


「んぅー、ゆうがぁ」


 不覚にも、心臓の鼓動が跳ね上がる。

 ユアの寝顔は何度か見たことくらいあるが、ここまで無防備な姿を見るのは初めてかもしれない。


「ユア、あとで起こしに来るからな」


 俺は朝日に照らされて輝く赤く艶やかな長い髪をひとなでし、ベッドから立ち上がると体の異変に気づいた。

 信じられないほどに体が軽い。昨日まではまるで何かが取り付いていたのではないかと疑ってしまうくらいだ。


 それだけじゃない、心の中に常にあった靄みたいなものがさっぱり消えていて気分がいい。


「・・・・・・よし!」


 最低限の準備を整い終えると、俺は急いでユアの自宅を出た。


 天気が良く、陽射しが眩しい。

 だが、のんきに日向ぼっこをしているほど、時間に余裕はない。


 俺は自分の家へと向かって走り出した。







「あった、これだ」


 俺は押入れの奥に長らく放置していた、年季の入った木箱を取り出す。

 中を開けると、そこには一本の刀が収納されていた。


「涼火・・・・・・刀、借りるぞ」


 四年前に使っていた俺の刀は、北西国間戦争後に訪れた鍛冶屋に修復不可能と言われるほどボロボロになってしまったため、入学の際に登録剣に涼火の形見であるこの刀を選んだ。

 この刀は一品限りの特別製だ。

 長い間手入れを怠っていたとはいえ、さび付くこともなければ、刃こぼれすることもない。


 俺は制服に着替えると、刀を持って庭へ出た。

 日差しが眩しく、庭にある木の根元まで歩くと気持ちのいい風と揺れる木漏れ日が相まって、身体から無駄な力が抜けていく感じがした。


「ふぅー」


 一度大きく息を吐き、構えをとる。

 左手で鞘を固定し、右手で刀の柄に手をかけた。

 目を閉じ、木から落ちて宙を舞っている葉を、肌で感じながら意識を集中させる。


 心臓の鼓動が僅かに早まる。

 けど、それがどうしたっていうんだ。

 自分がしてきたことの重さは知っている。

 それでも、今。俺がやらなければならないことは一つだ。


 罪も後悔も。

 失敗も、過ちも。


 全部、背負って生きていくって決めたんだ。

 もう、逃げないと誓ったんだ。


 俺は────


 俺の肌が、感覚的に宙を舞い落ちていく木の葉の位置を正確に捕らえた。


 そして。


 

 ────ヒュン。



 風切り音と共に俺の振った刀が、落ちてくる葉の真ん中を切断する。


「・・・・・・っ、や、やった・・・・・・振れた・・・・・・」


 それは、傍から見るとただの一振り。

 何のひねりもない、ただの試し斬り。


 でも、俺にとっては。


「ははっ、やった! やったぞ・・・・・・やっと、俺にも」


 四年ぶりに刀を振り、脱力感がこみあげてきてその場に座り込む。


 昔と比べると遅い。剣速が鈍ってる。

 それでも、十分だった。


 戦える。俺にも、戦える。

 みんなを守るために、戦うことができる。


 もう、それだけで十分だ。


 俺は喜びに打ち震えながら思わず握り拳を作るが、のんびりとはしてられない。

 その場を後にして、急いでユアの自宅へと走った。




 俺がユアの自宅へ着き、庭へ入るとユアが部屋を出てきた。


 何やら、とても不安そうな顔で辺りを見回している。


 庭にいる俺の姿を確認すると、階段を大慌てで下って、俺に向かって勢い良く飛び込んできた。


 俺はユアを危なげなく受け止める。


「おっと。・・・・・・おはよう、ユア」


「・・・・・・おはようじゃないわよ」


 ユアはそう言いながら俺の胸元に顔を埋めている。


 あ、あれ・・・・・・なんだかご機嫌斜めな様子だ。

 気づかないうちに、何かしてしまっただろうか。


「えっと・・・・・・ど、どうしたんだユア?」


 ユアがふてくされ気味に口を開く。


「起きたらユウガがいなくなってたから・・・・・・また、どこか遠くに行っちゃったんじゃないかって思って」


 ああ、なるほど。そういうことか。

 置手紙くらい残しておくんだったなと思いつつ、俺はユアを抱きしめる。


「大丈夫、俺はどこにも行かないよ。ユアを置いてどこかへ行ったりするもんか」


 俺がユアを抱きしめていると、ユアも抱きしめ返してきた。

 少し、というか、かなり痛い・・・・・・ち、力が強すぎる。


 そんな心の叫びも長くは続かず、ユアが俺の異変に気づいたのか腕を離した。


「ごめん、力入りすぎちゃって・・・・・・」


 謝罪の言葉を口に出している途中、ユアが俺の腰の刀に目を向けた。


「刀!? もっ、もう大丈夫なの!?」


 俺はユアの目を真っ直ぐに見て、頷く。


「ああ、全部ユアのおかげだ。ありがとう」

「・・・・・・よかった。ほんとに、よかったっ」


 ユアの瞳には、少しだけ涙が溜まっているのが見えた。

 ユアにはいくら感謝してもしたりない。


 俺はユアの手を握り、これからのことを説明し始めた。


「ユア、よく聞いてくれ。俺は今から少し準備してから行く。だから、先に行って皆に俺のことを伝えておいてほしいんだ。・・・・・・皆、今日どうなるのか不安だろうから」


 昨日の俺の惨状を見て、不安にならないほうがおかしい。

 俺が普通に戦えるようになったと知れば、少しくらいは気がまぎれるはずだ。


「わかったわ。・・・・・・あれ、そういえば今日は髪結ばないの? 着替えまでしてるのに」

「あ、あぁ。あとで結ぼうと思っててさ。忘れてた」

「・・・・・・?」


 ユアは少しぎこちない俺の返答に違和感を覚えたらしいが、それ以上は何も追及することなく俺たちは一旦別れた。







 俺は一通りの準備を済まし、最後にいつもの黒紐ではなく白紐で後ろ髪を綺麗に結んでから玄関の扉に手をかけた。


「・・・・・・」


 いつもこの言葉を言う度に誰もいない部屋に涼火の姿を重ねていた。

 ずっと、過去に囚われ続けていた。


 でも、もうその必要もない。


「行ってくるよ。・・・・・・見ててくれ、涼火」


 少しだけ笑みを浮かべると、いつもよりどこか晴れやかな気持ちで俺は家を出た。







 思ったよりも準備に時間を割いてしまった。剣術祭が始まるまで、残された時間は

そう多くない。

 俺は走りながら東都剣術大学校へと続く街の大通りに入る。


 大通りの中央。そこには、見慣れた緑髪の大柄な男が腕を組んで立っていた。


「ラ、ラルディオス!? お前っ、なんでまだこんなところに!?」


 早朝に南共和国へ向けて出発したんじゃなかったのか、そう言いかけるとラルディオスは親指で自分の後方を指す。


「時間がない、話は走りながらだ」


 そう言い終えるとラルディオスが走り出し、俺もあとに続く。

 街中だというのに店が一つも開いてない、それどころか人っ子一人いない。

 皆、剣術祭を見るために店を休業して学校の敷地内にある会場に集まっているのだろう。

 毎年、剣術祭の日は早朝から学校に行っていたから気づかなかったが少し異様な光景だ。


 俺はラルディオスに話しかける。


「南共和国は真逆の方向だぞ? それに、お前まだこんなところにいちゃまずいんじゃ・・・・・・」

「寝坊した」

「はぁ!?」


 ラルディオスはいつもの仏頂面で、普通のことのように言う。


「冗談だ。お前が心配で少し出発を遅らせただけだ、そのくらいなら南共和国側むこうにも適当にごまかせるだろうからな」

「・・・・・・そいつは親切にドーモ」


 冗談だか本当のことだか、よくわからない言い回しに内心少し呆れつつ、ラルディオスの腰にさしてある剣に視線を向けた。


 見たところ、どこにでも売ってそうな普通の剣だ。


「お前、予備の剣とかなくて大丈夫なのか?」

「心配はいらん。今から俺はパルクレイア西門に向かいサヤと合流してから南共和国へ向かうつもりだ。予備の剣や刀はサヤに大量に持たしてある」


 サヤ。そう聞いた瞬間、一つ気になってることがあるのを思い出す。


「サヤか。まさか、南共和国にまで一緒について行くとはな」

「・・・・・・」


 ラルディオスが無言でこっちを睨みつけてくる。

 それを見て、聞かずにはいられなかった。


「こんな時に聞くのもあれだけど、サヤとは結局どうなったんだ?」


 ラルディオスは俺から顔を逸らし、表情が見えないようにしながらボソリと呟いた。


「聞きたいか」

「え? そりゃあ、まぁ」

「自分でも、最低なことをしたとは思っているんだが」

「・・・・・・? なんだよ、それ」


 突然の前置きに、嫌な予感が頭をよぎる。


「あの後、告白されてその場で応えられず、今も返事を待ってもらっている」

「へぇ」


 なぜか他人事とは思えないラルディオスの恋愛事情に、つい口をはさみたくなってしまう。


 でも、そのくらいならば最低は言い過ぎだろう。


「そして、サヤには悪いが断ろうと思っている」

「なんでだよ!」


 普通に最低だった。


「サヤのどこが気に入らないんだよ。俺が言うのもなんだけど、今どきあんな良い子そうはいないぞ」


 ラルディオスもそれには同意見といったように、走りながら頷く。


「そうだな。サヤは俺にはもったいないくらい素敵な女性だ。だからこそ、もっと相応しい男がいるだろう」


 俺は呆れつつも、並走するラルディオスに近づく。


「そんなの関係ないだろ。大事なのは、お前がサヤのことをどう思っているかってことだ」

「俺が、サヤのことをどう思っているか・・・・・・」


 ラルディオスは、俺の言葉を反芻するように再び呟き、何かを納得したような顔つきになる。


「なんだかむしゃくしゃしてきたな。今すぐにでも、誰かに八つ当たりしたい気分だ」

「あ、あのなぁ」


 すると、ラルディオスは急停止し、俺も足を止める。


「目の前に丁度良い相手がお出ましみたいだしな」


 俺とラルディオスは、行く先が分かれる道がもう目の前というところまで辿り着いている。この道をそのまま真っ直ぐ行けば東都剣術大学校、左へ曲がればサヤの待つ西門前だ。

 しかし、俺たちの行く手を阻むようにして不思議な格好をした連中がゾロゾロと小道から湧き出てきていた。


「・・・・・・なんだ、こいつら」


 どうやら、剣術祭を観戦しに遥々やって来た客というわけではなさそうだ。

 白いローブを着込んでいて、顔の全貌を確認することはできない。


「お前たちは、南共和国から派遣されて来た犯罪集団の一つ・・・・・・見たところ、悪魔教徒といったところか」


 ラルディオスが確認するように言う。


 悪魔教徒。南共和国では科学力が衰退の一途を辿っており、宗教派閥や未知の麻薬物質の売買を生業としている輩が横行している。

 噂では耳にするが、こいつらがここにいるということは、つまり。


「ふふっ、御名答。我々はそこの剣術祭出場者をここで殺すよう命じられている」


 俺を殺す、か。どういう訳か俺が出場者であることは筒抜けらしい。

 ともかく、これで南共和国が北帝国とグルだったことが確定した。ラルディオスや四学年二十名を南共和国へほとんど強制的に招いたのも、北帝国からの差し金だろう。

 見たところ人数は五十くらいか。少しまずいな、こんな奴らに時間と体力を使っている場合じゃないってのに・・・・・・!


 俺は腰の刀に手をかけると、ラルディオスが右手でそれを静止させた。


「お前はそこで見てろ」


 そう言うと、ラルディオスが俺の前に出ていき、構えもとらずに腰にかけてある鞘から剣を抜き出す。と、同時に敵の一人が白く光り、轟音が鳴り響く。

 敵の一人がプスプスと音を立てて、その場に倒れた。


「・・・・・・は?」


 敵陣営の真ん中にいた親玉のような奴がそんな間抜けな声を発する。

 ラルディオスはなんでもないかのように剣を鞘に戻し、肩の骨を鳴らしている。


「な、なぁ・・・・・・もしかしてあれって・・・・・・」

「あの緑色の髪・・・・・・あの頑丈そうなでかい身体・・・・・・それに、今の雷撃・・・・・・」

「まっ、まさか、まさか・・・・・・ッ」


 敵陣営の連中がポツリポツリと言葉を吐き始める。

 親玉らしき奴も何かに気づいたのか、後ずさりし始めた。


「き、貴様・・・・・・なんでまだこんなところにいる!? と、とっくに南共和国へ向かったはずじゃ・・・・・・」


 ラルディオスは今度は構えをとり、一瞬だけ尋常ではない殺気を放った。


「すまんな・・・・・・寝坊したッ」


 そう言い終えると腰の剣を先程とは桁違いの速さで抜き、横へと振り切る。

 敵陣営の辺り一帯に轟音と共に白雷はくらいが落ち、全員が焦げ臭い煙を出しながら次々に倒れていく。


 俺は苦笑を浮かべつつ、前に立つ男に目を向けた。



 東王国東都剣術大学校四学年、ラルディオス。


 剣術祭三年間連続優勝記録保持者であり、雷を自在に操る剣豪から【雷豪らいごう】の異名を世界中に轟かせた男。


 その名を知らぬ者は、この時代を生きる魔剣術使に一人として存在しない。


 言わずと知れた、現代における最強の魔剣術使である。



「ふむ、これもそこそこ値が張ったんだが、もう使い物にはならんな」


 そう言いながら、刀身が消失してしまった自分の握る剣を眺めている。


 登録剣でもないのにあの威力、こいつの力は本当に底が見えない。

 魔剣術の一点においては世界最強とまで呼ばれるこの男が敵でないことだけは、心底良かったと思うばかりだ。


 ラルディオスが俺に拳を突き出してきた。


「じゃあな。あとのことは任せたぞ」


「・・・・・・ああ。そっちも何があるかわからないんだから、気を付けろよ」


 フッ、と自嘲するかのような含んだ笑みをラルディオスは最後に見せた。

 こいつの場合、それすらも余計な心配なのかもしれない。

 俺たちは拳を突き合わせると、それぞれの向かうべき方向に走り出す。


 あいつは、俺のことを信じてくれている。


 世界最強とも呼ばれる男が、俺が勝つことを信じて疑ってない。同じ男として、これほど誇れることが他にあるだろうか。


 例えどんな相手が来ようと、負ける訳にはいかない。

 全部背負って、俺もあいつみたいに。



 ────胸を張って、生きてみたいんだ。

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