第13話 許されない正義
すっかり日が暮れた頃に俺は自宅に着き、シャワーを浴び終えてから着替えを始めた。
制服に嘔吐物の臭いが残っていないかを確認して、念のために消臭スプレーを吹きかけておく。
外に出る前に、自分の身なりを確認してみた。
着替えた服装は全身真っ黒で上は半袖のシャツ、下は長ズボン。基本的に寝る前の服装はこれで固定している。
少し冷えるようなら何か羽織ってもいいが、今日は少し暖かい。
髪も結ばずに楽な格好のまま俺は自宅を出て、ユアの家へと向かった。
ユアの家は俺の住んでいる家とは違って広い。おまけに二階建てだ。
決して綺麗な家というわけではないが、俺とは違い庭の手入れなんかも行き届いてるのは性格の表れだろうか。
庭の周辺を囲むようにして綺麗な花壇まであるのは彼女の趣味だ。
俺は狭いほうが掃除なんかも楽だからと、つい今住んでいる方の借家を選んでしまったが、こうして改めて見てみると、手入れ次第で差が一目瞭然である。
俺の家かユアの家のどちらを借りたいかアンケートをとったら、百人中百人が後者を選ぶだろう。
まぁ、そもそもの話、俺たちの卒業後にここら辺にわざわざ住もうなどという物好きがいるのかは疑問ではあるが。
家の外側にある階段を上り、ユアの待つ二階のドアを軽くノックする。
「今、開けるわ」
古びたドア特有の決して心地が良いとは言えない音を出しながら、ユアの綺麗な声と共に開かれる。
「・・・・・・へ?」
あまりにも予想外のユアの姿に、俺は思わず間抜けな声を出す。
ユアの服装は、フリルのついた純白のワンピース。
ユアがこんな可愛い私服を持っていたことにも驚きだが、問題はそこではない。
ワンピースの丈が短く、ユアの生脚が曝け出されている。
年頃の女の子なのだから脚を出していても別におかしなことではないのだが、ユアは黒タイツやズボンで脚の露出を隠していることが多く、普段は見ることのできない部分だ。
俺の視線は、必然的に釘付けになる。
「あ、あんまり脚ばっかり見ないでよ・・・・・・ユウガのエッチ」
「え・・・・・・あ、ごごごっ、ごめん! 」
俺は苦し紛れの言い訳をしつつ、ユアから視線をそらす。
顔が熱い・・・・・・きっと、俺の顔は真っ赤になっていることだろう。
まさか、こんなところで自分の女性免疫のなさを恨む日が来るとは。
「顔が真っ赤よ? ユウガのそんな顔、初めて見たかも」
ユアは俺に近寄り、顔を覗き込んできた。
よく見ると胸元も少し大胆だ。大きな胸が強調されて見えて妙にいやらしい気分になる。
「・・・・・・ユウガも、男の子だものね」
ユアはまたも俺の視線に気づいたのか、身を守るように胸を両腕で隠す。
なぜか、ユアの表情は嫌悪感を感じているようなものではなく、むしろ、満足げな表情だった。
しかし、これは紛れもない不可抗力だ。
好きな異性がこんな格好で近寄ってきたら誰だって顔ぐらい赤くなるし、視線だって自然に向いてしまうのは仕方のないことではなかろうか。
だが、そんなことを言えるはずもなく、俺は俯いた顔を上げられずにいた。
「とりあえず、中に入って」
俺はゆっくり深呼吸をして、心を落ち着けてからユアの部屋に上がる。
「お、お邪魔します」
ユアの借家の二階部屋には何度か上がらせてもらったことがあるが、エリーナと一緒に住んでいたときと、インテリアはほとんど変わっていないように見えた。
右奥に二人用のベッド、左手前には小さめのテーブル。
そして、左奥の掃き出し窓からはバルコニーが顔を覗かせている。
エリーナの私物がなくなったからだろうか。
一見すると、こまめに清掃が行き届いている小綺麗な部屋だが、そこら中の壁にはユアのコレクションである剣や刀が飾られている。
中にはそこそこ上等に見えそうな代物まで。
と言っても、全て観賞用の飾り物であり、本物ではないが。
東都剣術大学校で学生に配布される給料も、この趣味につぎ込んでしまっていることは明白だった。
「ユウガ、お腹空いてない?」
「あぁ、大丈夫。なんか食欲がなくて」
「・・・・・・そう」
ユアもお腹を空かしているわけではないのか、俺の返事を聞くと掃き出し窓を開けた。
ユアがバルコニーに素足で入り、ベンチに腰を掛ける。俺も後に続き右隣に座った。
バルコニーの四隅には、少し大きめのろうそくが立てられている。
辺りが全て見えるほど明るくはなく少し暗いが、これが中々いい雰囲気を出している。
丘上に建てられた家の二階なだけあって、このベンチからは都市中の絶景が一望できた。
剣術祭前日だからか、東都剣術大学校の近辺が多くの明かりに包まれていた。
賑やかな声がここまで僅かに聞こえてくる。
今年も、前夜祭が開かれているのだろう。
「それで、あの・・・・・・なんでそんな格好を・・・・・・?」
俺は恐る恐る聞いてみた。
ユアは少し恥ずかしそうにワンピースの裾を下に引っ張りながら顔を赤くする。
「ち、違うの。今日のために可愛い服を買ってみたんだけど・・・・・・その、試着しないで買ったからサイズが合わなくて・・・・・・」
なるほど、そういうことか。確かに言われてみれば元々は清楚なデザインの服なのだろう。
丈がもう少し長ければ、ユアの魅力をより一層と引き立てる普段着になっていたに違いない。
それに・・・・・・今日のため、か。
「懐かしいな。一年前に約束したよな、今度は二人っきりで花火を見ようって」
「・・・・・・もしかして忘れてた?」
ユアは俺の顔を見て、悪戯っぽく睨んでくる。
「いや、もちろん覚えてたよ。誓って、さっき思い出したとかではなくて」
俺は慌てて否定するが、ユアは少しむくれた表情をする。
一年前は、大勢で一緒に剣術祭前日に毎年打ち上げられる花火を見た。
そのとき、ユアとこっそり約束したのは昨日のことのように思い出せる。
「まあ、いいわ。ちゃんと来てくれたし」
ユアの許し言葉を貰い少しほっとしていると、そのまま質問をしてきた。
「今日、何があったの? なんであんな事に・・・・・・」
そうか、今日のことをユアにはまだ話していなかった。
俺は今日の出来事を全て話した。
剣術祭で優勝できなければ東都剣術大学校の全学生が北帝国に売られること、エリーナが剣術祭出場者に選ばれそうになり俺があの醜態を晒してしまったこと、何から何まで・・・・・・。
ユアは、何も言わずに俺の話を黙って聞いていた。
話が終わり、しばらくすると都市の中心辺りから花火が打ち上げられた。
心地のいい音を出しながら火薬が上空で炎色反応を起こし、飛散する。
「綺麗ね」
今まで黙っていたユアが、ぼそりと呟く。
今の俺の話など、まるで聞いていなかったかのように、何事もなかったかのように・・・・・・。
まるで、本当に聞きたいことは別にあるかのように。
全ての花火が打ちあがり終えると、前夜祭で盛り上がっていた声と明かりも徐々に消えていく。
やがて声が聞こえなくなり、静まり返る夜空の下でユアが質問してきた。
「ユウガがこの前言ってた・・・・・・師匠ってどんな人?」
この前というのは、美術館に行った日の帰り道のことだろう。
あの日にうっかりそんなことを話しかけてしまった記憶がある。
「・・・・・・
「し、知ってるわ!」
ユアが勢い良く立ち上がるが、慌てた様子でベンチに座り直した。
「えっと、意外な名前が出てきたから・・・・・・。わたし、その人の火炎式魔剣術の論文とか全部読んでて・・・・・・ひ、密かに憧れてて・・・・・・その人が、ユウガの師匠?」
俺は頷く。
「ああ。・・・・・・そっか、涼火ってこんなとこまで名が通ってるのか」
俺がそう言うと、ユアが驚きの表情を見せる。
「知らないの? 黒道涼火って言えば、東都剣術大学校が創立されて以来の天才よ? 二十年くらい前のまだ飛び級制度があった時代に、史上最年少で数々の分野における大きな賞を受賞した、本当にすっごい人なんだから!」
「ははっ、そりゃすごいな」
ユアのこんなに興奮した顔を見るのは美術館以来、いや、あのとき以上に興奮しているようにも見える。
「って、知ってるわよね・・・・・・ユウガの師匠だもの」
「いや、知らなかったから驚いたよ」
初めて聞いた話だったが、涼火ならそのくらいやってても不思議じゃない。
「まあでも、涼火は性格が荒かったからなぁ・・・・・・まさか、あんな変わった女に俺以外で憧れている人がいるとは思わなかったよ。それも、こんな身近に」
俺は少し笑いながら冗談ぽく言うが、ユアは真剣な表情を崩そうとしない。
「ねえ、その涼火さんって・・・・・・今は・・・・・・その」
ユアは言葉が詰まりながら言いにくそうに聞く。
俺の言い方で何かを察したのだろうか。
俺は静かに、事実のみを口にする。
「・・・・・・死んだよ。四年前に」
「・・・・・・ご、ごめんなさい」
ユアは、本当に申し訳なさそうに謝罪をしてきた。
「いや、いいんだ。昔の事だし、もう気にしてな」
「うそ」
「え?」
ユアは俺が全て言い終わる前に、否定するかのように言葉を被せた。
「そんな顔してる。なんとなくだけど」
・・・・・・そうだ、その通りだ。
俺は四年前から。
あの日から、一歩も前に踏み出せずにいる。
「・・・・・・ユアには、敵わないな」
俺が大きく息を吐きだすと、ユアが俺の左手の甲に手のひらを乗せてきた。
そして、俺の握りしめている左手を右手でゆっくりと包み込む。
「話して。過去に何があったのか・・・・・・全部話して」
きた。
でも、大丈夫だ。
俺は今日、ここで全てを話すと最初から決めている。
「・・・・・・うん。ちょっと長くなるかもしれないけど、聞いてほしい」
嫌だ。本当は逃げ出したい。
全部忘れてなかったことにしてしまいたい。
それでも、もう逃げることは許されない。
────俺のしてきたことは、決して消えない。
罪も、後悔も、失意も、絶望も、全てから背を向けて逃げてきた俺が、今更言い訳などで許されるはずがない。
だから、せめて。
せめて、彼女にだけは。
俺は覚悟を決め、口を開いた。
「俺の本名は
俺は目を閉じ、ゆっくりと。
これまで歩んできた人生を、包み隠さず話し始めた。
西公国北東部にある、人があまり寄り付かない自然に囲まれた村一つない辺地。
俺はそこに建てられた小さな家で育った。
物心がついたときには涼火が母親代わりをして育ててくれていた。
俺は、両親の顔を知らない。
その昔、一度だけなぜ自分には親がいないのか、涼火に聞いてみたことがある。
涼火は隠そうとすらせず、雪の積もる日に夜空の下で俺は棄てられていた事実を教えてくれた。
それでも、別に悲しくなどなかった。
俺には涼火がいてくれたから、そんなことはどうでもよかった。
涼火は言葉遣いが悪く、性格も荒かったが色々なことを知っていて、涼火以外の人間と関わる機会が少なかった俺に礼儀作法などの一般的な教養だけでなく、人としての正しい在り方を教えてくれた。
六歳になった頃、涼火が腕がなまらないようにするためか、夜中に俺に隠れて剣術の型をいくつか練習していたのを目撃した。
そのとき、ようやく涼火が特別な人間だということを知った。
華麗な剣術に、大胆で豪快で荒々しくも、どこか気品溢れる佇まい。
幼少ながら、俺は彼女に強烈に憧れた。
いつか自分もこんな人間になりたい、こんな風になれたら、きっと涼火も俺を拾ってよかったと思ってくれるはず。
そう思った俺は、涼火に本格的な剣術を教えてほしいと頼み込んだ。
最初は気乗りしなかったのか、涼火は俺に剣術を教えるつもりなんかこれっぽっちもないといったように、頑なに拒んだ。
それでも、毎日諦めることなく図々しくも頼んでくる子供の俺に嫌気がさしたのか、それとも、ただの気まぐれだったのか。
今となっては知ることはできないが、護身術という名目で剣を振ることを許された。
その日から、護身術代わりの基本剣術を叩き込まれた。
涼火はすぐに諦めるだろうと思っていたらしいが、俺は真剣に打ち込んだ。
一年で基本剣術を習得した俺を少しは見直したのか、涼火は続けて
今までの指導とは違い、毎日が地獄に変わった。
辛くて、厳しくて。初めて涼火を怖いと思ったのを今でも覚えている。
逃げ出したいと思ったことは何度もあった。
それでも、強くなって、俺を拾って育ててくれた涼火にいつか恩返しをしたい、その純粋なただ一つの思いだけが俺を突き動かした。
十歳になるまでそんな日々が続いた、ある日のことだった。
涼火に、
俺は嬉しかった。初めて、涼火に認めてもらえた気がした。
これで、ようやく涼火の役に立つことができると。
十一歳になってしばらく経った頃、涼火が大怪我をして帰ってきた。
そのとき、初めて俺は涼火がおかしな組織を立ち上げていたことを知った。
当時の組織は人数不足で、涼火一人でかなり無茶な仕事をしてこなしていたと、涼火を担いできた仲間の一人から聞かされた。
俺は組織を抜けるよう説得したが、涼火は言った。
この腐った世界には自分たちのような組織が必要なのだと。
法で裁けない悪は、私みたいな奴にしか裁けないのだと。
俺たちは、揉めた。
胸ぐらを掴み合い、みっともなく激しい喧嘩をした。
でも、涼火は譲ろうとしなかった。
だから俺は彼女を信じることにしたんだ。
例え、それが間違いであったとしても。
今思い返してみると、捨て子の俺を育ててくれた恩人に対して、どうこう言う権利など最初からなかったのかもしれない。
その日の晩、俺は決断した。
俺は涼火の力になるため、自分もその組織に入ると。
涼火は最初こそ反対したが、最後には納得してくれた。
その頃の俺には、涼火が全てだった。
ただ、彼女にだけは・・・・・・幸せになってほしかったんだ。
俺が十三歳になった頃、裏社会でしか成り立たなかったその組織は政府直々に極秘暗殺任務を言い渡されるようになった。
俺たちは人を殺した。
殺して、殺して。
飽きるくらいに、人を殺し続けた。
任務遂行のため、罪のない人を死に追いやったこともあった。
旧友をこの手にかけたこともあった。
だけど、どれだけ人を殺し続けても、悪だけは潰えることはなかった。
────気づけば、俺は十六歳になっていた。
組織はいつしか特殊暗殺部隊と任命され、俺は新しく編成された四つ目の部隊の隊長を任された。
俺の下に着任した新入りの部下たちは最初は俺のことが気に食わなかったみたいだったが、一緒に死線を潜る度に信頼を重ねていった。
寒空が季節の変わり目を知らせる、忘れもしない十七歳の夜。俺たち特殊暗殺部隊は
長く続くことが予想された、歴史にも名を残すであろう北帝国と西公国の大きな戦争。
そのはずだった────が、戦争は僅か十一日で休戦となった。
双方痛み分けという形のまま、停戦状態は四年が経過した今も続いている。
そして、最前線で戦っていた俺以外の特殊暗殺部隊四十三名は・・・・・・その数日の間に戦死した。
「俺は────いや、俺たちは勘違いしていたんだ。この世界から争いがなくなれば、皆が平和に過ごせる時代が必ずくるって。だから、自分たちと関係のない人たちを救うことに何の疑いももたなかったし、法が関与できない悪人を殺し続けた。涼火の考えは決して間違ってなどいないと信じていた。でも・・・・・・間違ってたんだ。俺も、涼火も・・・・・・ただの、大量殺人者だ・・・・・・俺はただ、涼火たちと一緒にいるだけで幸せだったのに、そんな簡単なことにも気づくことができなかった。誰かを救うことができても、一番大切なものを失ったらなんの意味もないことに、俺は全てを失ってからようやく気づいたんだ」
俺の声は掠れ、震えていた。
握りしめていた拳の中の爪が食い込み、痛みで後悔と自分への憎しみを抑えつける。
「それから一年の休養をもらって、涼火の遺書に書いてあった通りに東都剣術大学校に入学した。でも、あの出来事以降、俺は剣を握ることすらできない。剣を握ると、俺が殺してきた人たちの声が聞こえて、俺が命を奪ってきた人たちの手が、体中に絡みついて離そうとしない。自分の中が真っ黒に染まる。殺人衝動が抑えられなくなる。・・・・・・それが、大量殺人者である俺の、黒道優雅の正体だ」
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