第27話 売春JKとくたびれOL

 その人に気がついたのは、なんでだったか。とにかく、行動を開始しようと思ってテントを出た。その時にふと、いつもはない影があるなと思って見上げたのだ。

 そこに居たのは、OLだった。橋の手すりを乗り越えて、飛び降りを図っているように見えた。

 その時脳裏に過ったのは、死体と化した母親の姿で。目の前であの再演が成されるのは嫌だったから、わたしは思わず動き出していた。橋の脇にある階段を駆け上がり、橋に手をかけるその女性に声をかけた。


「まって!」


 それと同時に手を伸ばし、彼女の手を掴む。ギリギリで間に合った事に内心安堵する。

 ゆらりとした動きで、OLがこちらを見る。

 ――なんて眼をしているのだろう。彼女はまさに絶望をその眼に宿らせていた。

 その眼が問いかける。なんで邪魔したの、と。そんなの、目の前で死なれるのが嫌だからとしか言えない。

 わたしはその眼を無視して、


「おねーさん、死ぬんならさ、最期にわたしを買わない?」


 いつもの定番文句を改変した言葉を放った。それから、彼女を手すりの内側に引っ張りこむ。


「買う……?」

「そう、買うの。売春ってやつ」

「……ぁ」


 OLは自分の頭を一度殴り、二度三度と殴りつける。わたしはそれを慌てて止めた。


「死ねなかったんだ……私、死ななくちゃ……」

「だから、死ぬ前にわたしを買わないかって言ってるの。おねーさんだって、そのまま死ぬよりイイコトしてから死にたいでしょ?」


 ホントは死んでほしくないけど。ていうか、死ぬにしてもこんな所で死なないでほしい。目につかない所でやれと言いたい。


「……いいよ、買ってあげる」


 呟くように、OLが言った。わたしは彼女の手を取り、ホテルに連れて行くのだった。




 で、さてどうしようどうしようと内心いろいろなプランを考えながら、平然といつものようにキャラを作って話を進める。

 会話をするうちに、どうやら彼女には経験がないらしい事、ウブな事を知った。だから自身のキャラクターを少し小悪魔気味に設定した。

 ホテルに着くと、照明で彼女の姿がよく見えた。中性的な顔立ちで、少しキツめの目つき。化粧はこれが全くされていないっぽいのに、えらく美人に見える。

 身長はわたしより十五センチほど大きいか。だいぶ高身長な部類だと思う。

 いわゆるイケメン女子に分類されるであろう女性だ。これでウブとか、ギャップ萌えにも程がある。

 自己紹介を済ませると、彼女の名前が雨宮澪ということがわかった。だから、


「澪おねーさん」


 と呼ぶことにした。




 澪おねーさんは、控えめに言って不安定な人だった。見知らぬ子供相手にボロボロ泣きながら心情を吐き出すぐらいには。

 それに加えて、自己肯定感が低い。ご飯もろくに食べないなど、自分を蔑ろにしている節がある。

 その最たる例が、


『お金払うから、すぐ名古屋に来てくれる?』


 とかな子おねーさんに言われて名古屋の病院に行った時のことだった。

 病院の待合室で、わたしはかな子おねーさんと合流する。


「ごめんねぇ、急に呼び出しちゃって」

「ううん、大丈夫だよかな子おねーさん」


 でも意外だ。彼女はわたしとの行為に満足していない様子だったから、なぜそんな彼女がわたしを呼び出したのか、しかもなぜ病院にという疑問があった。


「でね、今日は一個お願いがあるんだけど……会社の先輩が怪我で倒れちゃって、一人にしたら病室で仕事しかねない人だから監視して欲しいんだけど……頼めるかな?」

「なるほど、わかった。かな子おねーさんは?」

「あたしは先輩の仕事肩代わりしなくちゃだから。今から急いで会社に戻らないと」


 彼女は財布から十枚ほど一万円札を取り出す。


「これで足りるかな?」

「それは、全然足りるけど。けど、いいの? 結構な大金だし」

「いーのいーの。先輩に使うお金なら惜しくないから」

「……そっか。その先輩のこと大事なんだね。羨ましいな」


 最後のは小声で。今のわたしを大事にしてくれる人はいないから、それが羨ましかった。


「わかった、引き受ける」

「うん、お願いね。あ、でも勧誘しちゃダメだからね」

「しないよそんなこと。怪我人相手に営業しないって」


 かな子おねーさんと別れて、病室へ。

 そこに居たのは、澪おねーさんだった。

 世界は狭いということを、この時知った。澪おねーさんがかな子おねーさんの先輩だとは。

 それよりも、不安だった。病室に横たわる澪おねーさんに、いつかの父親を連想したから。

 わたしは彼女の右手首に自分の手を当てる。大丈夫、脈はある。生きてはいる。

 ……そっか、そういう事なのか。視界の端に、包帯が見える。彼女の左手首に巻かれている。


「澪おねーさん……」


 彼女はリストカットして、その結果倒れたんだ。普通は倒れない程度の出血でも倒れるなんて。

 でも、一番問題だったのは、彼女が目覚めてからだった。


「心当たりないのよね」


 と、言ってのけたのだ。その瞬間理解した。あぁ、この人はすでに取り返しがつかないほどに壊れているんだって。

 自傷行為をして、しかもその記憶がないなんて、それこそ心が壊れきっていなければあり得ない。

 いや、そんな事は自殺しようとしていた時点でわかりきっていたか。



 ……では、わたしは?



 平気な顔で売春して、倫理観も壊れたわたしは、それはもはや狂っていると言えるのではないか。

 それよりは、苦しみから逃れようと自傷する方がまだ、人として正常なのではないか。

 そこまで考えて、そもこの自問自答に意味などないことに気がついた。正常か否かをわたしが決める権利はないからだ。

 でも、誰かに大事にされている分彼女のほうがマシかもしれない。そう思った。




 動物園デートに誘われた時、最初に感じたのは困惑だった。なぜ彼女はわざわざお金を払ってまで、わたしとデートしようとしたのかが理解できなかった。

 以前彼女にコインランドリーで出会った時に、対価の話をした。暗に、わたしを抱く権利があると伝えたつもりだった。

 彼女はその対価に、わたしとのデートを望んだ。

 その時のわたしには理由がわからなかった。



 動物園でナンパされた時、澪おねーさんは助けてくれた。その姿が瞼に焼き付いて消えない。




 デートの日の夜、わたしはホテルで澪おねーさんに聞いてみた。わたしを抱かないのか、と。

 すると、


「エリナちゃんの気持ちを無視してるような気がして──」


 と返ってきた。あぁ、この人は優しいんだ。こんなわたしにも、優しくしてくれるんだ。

 それがすごく嬉しかった。ここ一年弱、わたしは誰からも優しくされなかった。だから、ハッキリと優しさを示されて嬉しかった。

 そして今から数時間前──。


「あ、がぁ……やめ、で……」


 息ができない。上に乗っかった男が気道を圧迫しているせいで、苦しい。

 行為には及んでいなかった。この男にはその意志が感じられない。その代わり、



 殺される。



 どうしてこうなってしまったのか、そこに割く思考能力が酸欠でなくなっている。

 あぁ、失敗した。こういう時の逃げ方を知らないわたしは、ここで死ぬ。


「いや、だ……」


 死にたくない。死にたくないから、必死で抵抗した。抵抗して、抵抗して、いきなり手が緩む。

 見ると、男がキレ気味な顔でこちらを睨んでいる。足が彼の急所に当たったらしい。

 半ば本能だけで、彼の手元からすり抜ける。全力でホテルの部屋を出て、繁華街の中に紛れる。服の乱れを気にしている余裕はなかった。


「はぁ、はぁ、は──」


 息を整え、思考を冷静に。

 それが良くなかった。


「殺される……とこだった?」


 背筋がゾワッとする。死体になるところだった。両親と同じように、死体になってしまうところだった。

 死ぬとは何か。それはわたしが消える事。わたしの世界がなくなる事。

 けど、そっちの方が幸せだったかもと思ってしまった。あの時は本能的に生きようとしていたけれど、誰かに体を売って生き続けるより、殺されていた方が良かったかもしれない。



 誰もわたしに優しくしてくれない。

 誰もがわたしの事を奴隷扱いする。



 それなら、死んでしまった方がよかった。あぁ、そうだ。死んで、両親の元へ──。



『エリナちゃんに嫌われたくないし、傷つけたくない』



 そう言ってくれたのは誰だったか。


「澪、おねーさん……」


 彼女だけは、わたしに優しくしてくれた。

 本当はダメな事はわかっていた。わたしは売女で、彼女はわたしを買っている。それ以上の関係性にはなってはダメだと理解しているのに、心は彼女に縋りたがっていた。

 だから、震える手でチャットを飛ばした。


『助けて』


 と。




 ここまでの話をするのに、どれほどの時間がかかったのだろうか。途中泣きながら、澪おねーさんに全てを話した。

 彼女はわたしの話を真摯に聞いてくれた。途中で口を挟む事なく、わたしの吐露を聞いてくれたのだ。


「……ごめんね、こんな話。困るよね……」


 わたしは涙を拭う。拭った先から、涙がどんどんと溢れてきてキリがない。

 澪おねーさんがわたしに手を伸ばした。涙を掬い上げ、


「わたしにはその辛さはわからない。それはエリナちゃんだけの辛さだから、わかるだなんて無責任な事は言えない。だけど、話してくれてありがとう」


 それから抱きしめてくれた。

 暖かい。今まで色んな人に抱かれてきたけど、初めてここまでの暖かさを感じた。


「……澪おねーさん、わたし、わたしは……もう、嫌だよ……誰かとエッチするの、もう……」


 初めて、誰かにその心情を伝えた。それからわたしは、泣き続けた。澪おねーさんはわたしの背中を優しく撫で、泣き止むまで抱きしめてくれた。

 その時間は永遠に思えて、だけど今までのように苦痛の永遠ではなかった。

 やがてわたしが泣き止んだ時、澪おねーさんが口を開く。


「ねぇ、エリナちゃん。エリナちゃんが良かったら、もう売春なんかやめて、それで──」


 彼女は遠慮がちに、


「私と一緒に暮らさない?」


 そう言ってくれたのだった。

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