第7話 熟年夫婦

 二人で話し始めて、熱中故に時間の経過に気が付くこともなく、見回りに来た教師も二人のあまりの楽しそうな様子に声を掛けられず、二人がやっとのこと日が沈んだことに気が付いたのは六時を回ってからだった。

 普段と違う時間帯に、誰もいない登下校路。何もかもが普段通りではないせいで、自然と口数も少なくなり、それでも心地の良い沈黙が二人を包んで、優しく背中を押す。


「最近、二年生になって色々と環境変わったよね」

「クラス替えもかなりがっつり変わったし」

「まさか元同じクラスだった人が一人しかいないとは思ってなかった」

「あー、長谷川さん?」

「そうそう」


 浩太郎がいつも宗助と共に下校していることからも分かるだろうが、佐藤家と宗助宅の方向は半分ほどまでは同じだ。片や山の中、そして片や住宅街と、その差は歴然であるのだが。


「俺も人がかなり変わっちゃってびっくりしたけど、浩太郎と仲良くなれたしなー」

「浩太郎……くん、と仲いいよね」

「そーね。なんかつるんでて楽っていうか、気遣わなくてすむっていうか」


 基本的に人の良い宗助であっても、過ごしていて気を抜けるかどうかは人によって変わってくる。受け入れられることと、共にいて楽しいことは別だった。

 その点で言えば、浩太郎は気の置けない友人の中でも、特にストレスフリーで関わることの出来る友人だ。馬鹿を言って、適当に笑いあう。それだけのことではあるが、それだけのことが共にできる友人というのは貴重だ。


 そして、浩太郎と共にいて楽しいということは。

 浩太郎と血のつながった姉弟であり、性格や纏う雰囲気の良く似た朱美は、宗助の信頼感を想定外の方向で得ていることには気が付かず、心の中で浩太郎への嫉妬心を飛ばした。

 心の中で好き勝手言うのは構わないだろうと、ここぞとばかりに『将来禿げてしまえ』だの『華さんに振られてしまえ』だのと思いつく限りの負の感情を詰め込んだ呪詛を吐き出す。


 遠く自宅で無気力に床に大の字になっている浩太郎は、大きく一つくしゃみをして、誰かに噂をされているかもと少し顔を緩める。惨めだ。流石に惨めだ。


 そんな可哀そうな彼のことはさておき、二人の帰り道というのは存外快適なものであった。

 普通、誰か好きな人と時間を過ごすというのは、楽しい物ではあっても、若干の疲労感を伴う。ましてや、緊張や不安が激しいとなれば、その疲労感は表に出て来るほどに重くなるものだ。


 しかし二人は、そのような気配もなく楽しそうに、そして穏やかに笑いあっている。初恋というのは基本的には激烈で、そして時に悲恋に終わる。苦い思い出として記憶する者も居れば、甘酸っぱい思い出として心の奥底にしまい込む者も居る。その筈なのだが、なぜ二人はここまで熟練夫婦の雰囲気を醸し出しているのだろうか。

 昨日まで目を合わせただけで顔を赤くしていたような二人には全く見えない。


 ここまでの穏やかな関係を気づけているのは、偏に二人の人を見る目の結果であった。本音を隠さずにいることの多い田舎の暖かな雰囲気の中で過ごしてきた宗助は、その環境の反面、誰かが何かを隠している雰囲気に過敏になっていた。何が明確にシグナルであるとは言葉にすることは出来ないが、心のどこかで感じる違和感が、居心地の悪さを生み、彼にとっての所謂「疲れ」を引き起こす。そのため宗助が仲良く過ごす相手というのは、お互いに気の許せる相手、隠し事の少ない相手だ。

 そして朱美に関しては、その純然たる観察眼によって、誰が関りを持つに値する人間かを知る事が出来る。人に囲まれて過ごすことの少なくない彼女にとって、何かを話す人間の仕草や表情、そして息遣いを理解するだけの経験を得ることは、難しくなかった。


 宗助は野生の勘で、朱美はその注意深い観察眼で、お互いがお互いを誠実な人間だと認め合っている。それ故に恋に落ち、それ故に歩み寄り、それ故に気を抜いて話せる。

 …………熟年夫婦だ。どう考えても熟年夫婦だ。高校生ではない。


 友人の前ではつい恋心が胸を衝いても、いざ本人を前にするとほっと息をつき、肩の力を抜いてしまう。理想と言えば理想だが、高校生にとってはあまりに刺激のない恋愛。

 恋に臆病な二人にとっては、丁度よいのかもしれないが。


「………───それで、体育のヤマセンがどうなったって?」

「いやなんか、ジャージを表裏で着てたらしい」

「んふふ、気づいた時すっごい怒ってそう」

「もう顔真っ赤。あれはもう赤の色彩標本になれるね」

「あははは、ヤマセンかわいそうなんだけど」


 少し近づいては離れ、指先が触れそうで触れない距離感を保って、二人は歩いて行く。まばらな街灯では夜を照らしきるだけの明るさは足りず、暗がりを通る二人の距離もまばらになって、それでも笑い声だけは絶えず引き起る。


「でもジャージの裏表はまじで分からん」

「えー、そう?」

「なんか、急いで着ると知らないうちに裏表になってる」

「私はジャージあんま着ないし………」

「今度ジャージ着用五秒チャレンジ試してみて。本当に裏表になるから」

「いやチャレンジってして気合入れると余計気が付きそうだけどね」

「………確かにぃ」


 朱美がまた笑った。

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