第4話 一枚上手

 そして日は暮れ、場所は佐藤家のリビング。現在の時刻は既に七時を回っているが、共働きである二人の両親は未だ帰ってきてはいない。

 たっぷりと遊んでから帰って来た浩太郎とは違い、朱美は既に自宅で食卓に向かって教科書を広げていた。彼女は計画的に勉強を進めるタイプで、基本的にその日にならったことはその日の内に仕留めるという意識で日々勉強していた。

 そんな彼女が勿論成績が悪いわけがなく、浩太郎は姉との比較に頭を悩ませる日々を送っている。もちろん、浩太郎自身に学習意欲が一ミリも存在しないのが主な理由であるため、彼も姉を責めるような気にはなれないでいたのだが。


 帰って来た時のまま放り投げられている荷物に一瞬視線を向け、しかしあまりの疲労感に浩太郎はソファへと倒れ込んだ。


「風呂入る前にソファに触らない」


 学校での柔らかな話し方とは違い、弟に向けたその口調は若干鋭い。基本的に何事も無気力で粗雑なきらいがある彼に辟易とした結果ではあるため、仕方がなかった。

 浩太郎はおざなりに呻き声を返しながら、宗助だったらこんなセリフでも喜びそうだな、と頭の中で現実逃避をする。


 ソファから転がるように下り、尚もジト目を向けて来る姉に対して浩太郎は唇の片端を吊り上げた。嫌な予感がしたのか、朱美は顔を引きつらせて教科書へと向き直ろうと姿勢を正す。しかしそれよりも前に、浩太郎は口を開いた。


「今日は天使って呼ばれてたな。前はなんだっけか、女神か?モデルか?」

「………」

「良かったねぇ、楽しそうにお話が出来て。今日なんか宗助も幸せそうだったなー、一日」


 見る見るうちに耳が赤くなって行く朱美を尻目に、浩太郎は更に言葉を続けて行く。


「至近距離で見る朱美さんはかわいすぎてヤバい、とか言ってたなぁー。あとは何だっけ、笑った顔が直視できないぐらい好きだとかなんだとか」


 朱美は何かを話そうと口を開くものの、喉がひきつって肝心の言葉が出てこない。ついには頬にさえ赤みが差してきており、手は所在なさげに太ももの上とパジャマの裾をそろそろと行ったり来たりしていた。


 我慢の限界を超えたのか、朱美が勢いよく立ち上がる。流石に驚いた浩太郎が一瞬肩を震わせた。


「浩太郎だって華さんに何も言えてない」


 朱美が未だ紅潮した顔で言い放ち、今度は浩太郎が動きを止めた。


「いやだからな、先輩はただの先輩だって」

「浩太郎がずっと大切に保管してる写真、誰とのツーショットだっけなぁー」


 うぐ、と、浩太郎が言葉に詰まる。それを見た朱美が得意げな顔をした。

 しかし体を起こした浩太郎は、今度は覚悟を決めたのか、一度小さく息を吸ってから再度口を開く。


「まだ話すことしかできてない人よりはマシだろ。連絡先も知ってるし、ツーショットも持ってるし」

「はぁ?微塵も意識されてない癖に何得意げな顔してるんですー?」

「まだ高校生だから意識されてないだけで大学生超えたらまた変わって来るだろ」

「その時にはきっと華さんにも大切な人が出来てるんだろーなー」


 一瞬華の結婚式に呼ばれる未来が顔を覗かせたような気がして、浩太郎が顔を顰める。


「お前もこっから上手く行くかどうか分からないだろ。話しかけるだけでこんな時間かかったんだったら付き合うまで何年かかるでしょうねぇ」

「私が頑張れば済む話でしょ?」

「急ぎ過ぎて宗助に拒絶でもされたらどうすんだよ」

「いや、だって宗助君私のこと可愛いとか好きって言ってくれてるんでしょ?」

「それは『かっこいい朱美様』ありきの話だろ。実際の性格を急に曝け出されて幻滅される可能性もゼロじゃない。ただノロノロしてるとあっという間に卒業で、そっから先なんも接点もなくなって───」

「あーあー、聞こえなーい!」


 やいのやいの、ぎゃあぎゃあと二人は相手の恋路の障害を論っては、時折ダメージも受けながら、しかし口論は熱を増して行く。

 上の子が女子だと弟は丸くなるとは良く言われるが、双子である二人にとっては丸くなるも何もない。小さい頃から共に過ごしてきたこともあって、距離感は遠くはないが、その分喧嘩も多かった。この程度の口論であれば日常茶飯事だ。特に親が帰ってきていない時間帯であれば。最近はからかわれてばかりいる朱美も若干鬱憤が溜まっていて、それゆえに今日の口論は普段よりも幾分か激しかった。


 朱美は既にシャーペンを手放しており、浩太郎も立ち上がっていて、二人とも段々と身振り手振りが大きくなって来た。

 直ぐジト目になる所といい、恋愛面にあまりにも奥手なところといい、口論の際にオーバーなジェスチャーをするところといい、二人ともやはり双子なだけあって良く似ていた。二人に言えば絶対に認めないだろうが。


「………───だから言っただろ、俺は連絡先も知ってるし、ツーショットだって持ってる」

「だから何?その程度だったら私もすぐ出来るし。何なら明日宗助君と二人で一緒に帰ってみせよっか?」

「できるんだったらな」

「できないわけないでしょ」


 浩太郎は、朱美のそのセリフを聞いて動きを止めた。そして楽しそうに唇の端を吊り上げる。朱美は嫌な予感がして表情を引きつらせた。本日二度目だ。


「………言ったな?」


 ニヤニヤと意地の悪そうな笑みを浮かべるその手には、マイクの絵のアイコンが点滅しているスマホの画面。

 朱美は一気に熱が冷めて行くのを感じた。


 口論は良くするが、一歩上手なのは大体浩太郎の方である。今日も朱美の大変淑女らしいお淑やかな「ぎゃー!」という叫び声が響いた。

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