28.結婚式

 遂に後宮にいた約八十人の男性の行き先が決まって、私の番になった。

 皇帝陛下の元から嫁ぐということで、私は一番いい着物を着て、その上に黒い衣装を纏って顔も黒い布で隠した。顔を隠す黒い布を留めるのは、千里様が下さった蜜の国からの贈り物、葡萄の形の金属のブローチだ。

 正式な格好で後宮から出て来た私に、真っ白な女性の色である騎士団の上着を着たシャムス様が迎えに来て下さる。

 シャムス様に手を引かれて、私は馬車に乗った。


 月の帝国の馬は日の国の馬よりも体格がいい。馬車に乗るのは初めてだったが、力強く走る馬を見て私は感激していた。

 城下町を少しだけ走って馬車はシャムス様のお屋敷につけられる。広い庭のあるお屋敷は柵に囲まれていた。


「男性だけが暮らす棟があるので、そこでは楽な格好をして過ごすといい。待ちに出るときには少し窮屈だろうが、その格好をしてもらわないといけないが」

「街に出られるだけで楽しみです」

「浴場にも行って構わない。私が護衛につけるときにはそうするし、できないときには護衛を付けさせる」


 シャムス様の家はかなり裕福なようだった。

 広大な敷地に巨大な屋敷が建っていて、男性だけが暮らす棟もあるという。


「ようこそおいでになりました。シャムスの母です。伝達殿は皇帝陛下直属の吟遊詩人。皇帝陛下の元に行って物語を語ることもあるのでしょう?」

「皇帝陛下が望む限り、物語をお届けします」

「シャムスが伝達殿をお守りします。シャムスは我が娘ながら、戦神の守護を得ているような強い女なのです」


 馬車を降りるとシャムス様のお母上に迎えていただく。

 皇帝陛下の乳姉妹ということで、シャムス様は皇帝陛下と一緒に私のボーイズラブ小説を読んではしゃいでいたり、私と取材に出かけて事件解決に尽力したりしているイメージしかなかったが、相当お強いようだ。

 確かにイフサーン様とイフラース様の姉に襲われたときも冷静に迅速に対応していた。

 そんなシャムス様に惚れ直しつつも屋敷の中に入ると、大広間の絨毯の中央に敷物が敷かれていて、ご馳走が並んでいる。

 ひよこ豆のスープに、ひよこ豆のペーストと平たいパン、平たいパンで羊肉を挟んだものもあるし、米とサフランを炊いて鶏肉を添えたものもある。砕いた小麦と羊肉のミンチと玉ねぎを挙げたコロッケのようなクッベや、薄焼きのパンで羊肉と野菜を巻いた料理もある。


「羊肉が多いですね」

「祝いの席では羊を何頭使ったかが富の象徴になるのだ。我が家もこれくらいは見栄を張らねばな」


 美味しそうな料理を前にして、私は布で顔を隠しているので食べることができない。シャムス様も今日は結婚式の花嫁なので食べることができない。

 この料理は全部振舞われるために作られているのだ。


 食べたい気持ちを抑えて我慢していると、屋敷の兵士が声をかけて来る。


「皇帝陛下のおいでです」

「お迎えせねば」


 立ち上がるシャムス様に、私も立ち上がって玄関まで皇帝陛下をお迎えに行った。

 皇帝陛下は輝くような白い衣装を身に纏い、白い帽子を被っている。燃えるような赤い髪が背中でなびいて美しく皇帝陛下を彩っている。


「私の乳姉妹のシャムスが、私の直属の吟遊詩人の伝達と結ばれるのは誠にめでたい! 今後ともシャムスは伝達を守り、私の元に物語が届くようにするのだぞ?」

「はい、生涯伝達殿を守って行こうと思っております」

「伝達、シャムスは私の大事な乳姉妹だ。シャムスの母は私の乳母。シャムスは兄弟姉妹のおらぬ私の実の姉妹のような存在だ。どうか、シャムスにも家族を与えてやってくれ」


 つまりは、シャムス様に赤ん坊を与えるように皇帝陛下は仰っている。

 そんなことをはっきりと言われるとは思わず口ごもってしまう私に、シャムス様が代わりに答える。


「伝達殿は私が可愛がります故、ご心配なく」


 そうなのだ。

 この世界においては、男性が女性を抱くのではない。

 女性に男性が抱かれるのだ。


 前世との価値観の違いに混乱してしまいそうになるが、やることは同じだろうと思っておく。そのやることに関しても、私は前世でも経験がなく、今世でも当然経験がないので、前世で受けた性教育の授業と、今世で父から習った褥では女性に従うのだという教えくらいしか参考になるものがなかった。


 父上、もう少し具体的に教えてくださってもよかったのではないですか!


 ちょっと理不尽に思いつつも、皇帝陛下を大広間に招いて、お茶を振舞う。お茶はシャムス様の計らいで、緑茶が用意されていた。

 緑茶ならば淹れ方が分かるので、少し冷ましたお湯を茶葉の入ったポットに入れて、小さなカップに流し入れる。

 白い衣装を着たシャムス様の妹君も結婚式の場に出ていた。


「シャムスはずっと結婚を拒んでいて、こんな年になってしまいました。しかし、それが伝達殿と出会うためだったのならば、二人は運命なのでしょう。神が導いた二人の運命に祝福を」


 シャムス様のお母上に祝福されて私とシャムス様は手を取り合う。シャムス様は名残惜しそうに私を送り出す。


「本来結婚式は男女別々なのだ。伝達殿は男の部屋に行っていてくれるか?」

「男女がひな壇に並ぶことはないのですか?」

「皇帝陛下がおいでになっているから、特別に伝達殿を女の部屋に招いた。ここから先は別々なのだ」


 説明されていなかったので驚きはしたものの、月の帝国の結婚式がそう決まっているのならば仕方がない。

 私は男性の部屋に移動した。

 男性だけの部屋では着飾った男性が顔を覆う布も体を隠す黒い衣装もなく、豪華な服で絨毯に座っている。食べ物も女性の部屋と同じようにたっぷりと用意されていた。


「伝達殿、よくいらっしゃいました。私はシャムス様の妹の夫です」

「私はシャムスの父。どうかこれからよろしくお願いします」


 皇帝陛下直属の吟遊詩人という身分をいただいている私は、シャムス様の家でも大事にされる立場のようだ。


「伝達殿は日の国からいらっしゃったとのこと。お部屋は日の国のものを揃えてあります」

「シャムスが気合を入れて揃えた調度品をご覧になりますか?」


 見たい気もするが、まずはお腹を満たしたい。

 何より、私は楽な格好になりたかった。

 黒い布を取って体を隠す黒い衣装も脱ぐと、着物と袴姿になる。皇帝陛下に輿入れしてきたときにも着ていたものだが、これが一番いいもので、私の婿入り衣装として仕立てられたものだから、結婚式の今日には相応しい気がしたのだ。

 着物を見てシャムス様の妹君の御夫君とお父上が目を輝かせる。


「それは着物ですね」

「エキゾチックでとても美しい」

「この細かな刺繍は伝達殿がされたのですか?」

「は、はい。皇帝陛下に輿入れするので、衣装を美しく整えるように母から言われました」


 着物に施されている細かな刺繍は、全て一針一針私が縫ったものだった。

 故郷の日の国では一番美しいとされた桜の模様を刺繍している。


「見事な刺繍ですね」

「伝達殿は刺繍の達人のようですね。私たちも習わねば」


 義理の弟と義理の父となる二人と、私は仲良くできそうだった。


 お茶を飲み、料理を食べてお父上とシャムス様の妹君の御夫君と話す。


「シャムス様の妹君にはお子はおられるのですか?」

「いえ、まだ……。母君は、シャムス様を産まれてから、皇帝陛下の乳母になったので、妹君が生まれるまでに時間がかかっておりまして」


 皇帝陛下の乳母になれば、皇帝陛下がある程度大きくなるまでは妊娠でおそばを離れるなどということは許されない。皇太子殿下だった皇帝陛下は、先帝陛下のたった一人のお子で、先帝陛下は皇帝陛下を生んだ後に、男子を二人死産で失って、子どもを生むのを諦めたと聞いている。

 たった一人の皇太子殿下をお育てするのだから、シャムス様のお母上も命懸けだっただろう。


「シャムス様と妹君は幾つ年が離れているのですか?」

「八つです。私とは今年、結婚いたしました」


 シャムス様の妹君はシャムス様の八つ年下と言うことは、今年で十七歳になられたわけだ。月の帝国では十五歳から十八歳くらいが結婚適齢期と言われている。


「シャムス様と同じ年に結婚できてとても嬉しいです」


 シャムス様の妹君の御夫君は私に微笑んで言ってくれた。

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