22.書き上がった三つの物語

 一つ目の小説は書き上がるまでに二日かかった。バシレオスには頑張ってもらって、二日で一万字程度の小説を書き上げてもらった。

 私が手で書いていたのならば、これだけで一週間はかかっていただろう。美しい文字で印刷されたように書き上げるバシレオスの技術の高さに、私は感心してしまった。


 二つ目の小説も書き上がるまでに二日かかった。こちらも一万字程度の作品で、二人の視点を入れ替えて二千字ずつで話を切り替えていく。

 駆け落ちの日に雨が降って決行できなかった部分に関して、どちらの感情も書きたいという気持ちがあったからだ。

 こちらもバシレオスが体裁を整えて美しく書き上げてくれた。


 三つ目の小説は難産だった。

 ロミオとジュリエットという題材はあるものの、月の帝国の貴族社会が私にはよく分かっていない。苦心しながら、対立する二つの家を考えて、その家の女性たちが争い合っている間に、二人が出会った場所も考えなければいけなかった。

 ロミオとジュリエットは仮面舞踏会で出会うのだが、月の帝国にはそのようなものはない。

 早くに亡くなった父の墓参りの帰りに体調を崩した男性が、知らぬままにお茶会を開いていたもう一人の男性の屋敷で手当てを受けるという設定にした。

 これも現実味はないのかもしれないが、ご都合主義も小説には必要だ。

 お茶会で出会った二人は恋に落ちるが、家が対立していることを知る。


 三つ目の小説は書き上げるのに三日もかかってしまった。文字数は一つ目や二つ目と変わらないのに、内容が難しかったのだ。

 古典を題材にするとは私にはレベルが高かった。

 それでもいいものは書けたと思う。


 途中挫けそうになることもあったが、干し柿のように濃厚な甘みのデーツを齧って私は小説を書き上げた。


 千里様を通して皇帝陛下に出来上がったことを伝えると、皇帝陛下は喜んで千里様のところに渡って来られた。


「イフラースに話をしようと思っていたのだ。それにも同席するであろう?」

「させていただけるのであれば、同席したいです」

「シャムスと共に来るがいい」


 小説を読む前に皇帝陛下はシャムス様と私を連れてイフラース様の部屋に行った。イフラース様はイフサーン様を止めようとしていたということもあって、後宮に毒物を持ち込んだが、罪は問われずに側室のままだった。

 隣りのイフサーン様の部屋は今は完全に無人となっていて、イフサーン様は城の地下牢に捕らえられている。


 皇帝陛下がいらっしゃるとイフラース様は髪を隠したままで絨毯の上に深く頭を下げた。


「イフラース、私と取引をせぬか?」

「取引で御座いますか? 皇帝陛下は私に何でも命じることができるはず。取引に意味などないでしょう」

「心を閉ざすでない。イフラース、イフサーンの罪を軽くしてやろうと言っておるのだ」

「イフサーンを処刑しないでくださるのですか!?」


 硬い口調で心を閉ざしていたイフラース様が、イフサーン様の名前を聞いて顔を上げた。イフラース様の肌は以前に比べて荒れており、それだけイフサーン様の心配をしていたのだと分かる。


「イフサーンは処刑しない。城を離れた辺境近くに飛ばして、性奴隷とする案もあったが、あれでも私の夫だった男だ。それもしない」

「それならば、どうされるのですか?」

「今、デメトリオが軟禁されている塔がある。それが西の塔で、反対の東の塔に見張りを付けて軟禁することにする」


 首を切られることはない。性奴隷にもされない。一生塔から出られないかもしれないが、食べるものに困ることもなく、病気になれば医者も呼ばれる立場は守られる。

 それを聞いてイフラース様は深く頭を下げた。


「皇帝陛下の恩情に感謝いたします」

「それで、イフラース、私の願いを聞いてくれないか?」

「願い、ですか? 私にできることならば」


 答えたイフラース様に皇帝陛下は説明をした。


「もう少しすると、私を主催とする茶会が開かれる。そこには宰相やこの帝国の重要な職に就くものはほとんど呼ばれる。その場でイフラースには踊って欲しいのだ」

「踊りならば、少しは踊れます」

「踊っているうちに神がかりになって、神託を受けて欲しい」

「神託を……!?」


 信心深いイフラース様にとっては偽の神託を告げるというのは抵抗のあることだろう。硬い表情になったイフラース様に、皇帝陛下は真剣に告げる。


「『我は神なり! 神は平等に愛する限り夫を何人持ってもいいと言った! 皇帝は平等に夫を愛せていない! 皇帝に複数の夫を持つ資格はない!』と」

「そ、そんな、畏れ多いことを!?」

「言って欲しいのだ」


 絨毯の上に膝をついて皇帝陛下はイフラース様の手を握る。手を握られてイフラース様が大いに戸惑っているのが分かる。


「私は千里一人しか愛せぬ。そのことで後宮のどれだけの男を不幸にしているか。そなたもその一人であろう? 神託さえ下れば、私は後宮を解体できる。後宮を解体した暁には、そなたにはちゃんとした妻を紹介しよう」


 それだけではない。

 後宮にいた全ての男たちに嫁ぎ先を用意する。


 皇帝陛下の力強いお言葉に、イフラース様も決意をしたようだった。


「分かりました。そのように致しましょう。そうすることで、イフサーンの処遇がよくなるのですね」

「約束しよう」

「あんなことをしでかしてしまった兄ですが、私にはただ一人の兄なのです。どうかよろしくお願いします」


 こうして皇帝陛下とイフサーン様との間の話はまとまった。


 千里様の部屋に帰って、皇帝陛下はお茶を飲みながら私の書いた三つの小説を読んでいる。読むとすぐにシャムス様に渡さないで、今回は何度も見直して、深く深く読み込んでおられた。


 ひと作品目を読み終わって、皇帝陛下がシャムス様に小説を渡す。そのまま二作品目を読んで、ひと作品目を読んだシャムス様に渡す。三作品目も同じだった。


 じっくりと読み終わった皇帝陛下はぽつりと小さく呟いた。


「これもよかった。とてもよかったのだが、やはり、私は伝達がアズハルやイフサーンやイフラースやニキアスやジェレミアをモデルにした小説の方が……」

「あれは諦めてくださいませ。アズハル様のお母上の宰相閣下も来られるのです。内容が露見したら伝達殿のお命が危ない」

「そうであったな。若干味気ないが、これで我慢するか」

「味気ないところはありましたが、素晴らしい物語だったではありませんか」

「そうだな。悪くはなかった」


 皇帝陛下の萌えを最大限に引き出すことはできなかったが、私は何とか及第点の小説が書けていたようだ。読み返しながら皇帝陛下とシャムス様が額をくっ付け合うようにして話している。

 迫力のある美女が二人で、読んでいるのはボーイズラブ小説というのがどうしても私の中ではシュールに映ってしまう。


「異民族に捕らえられた男に、最後、抱かれることを決意する男騎士! 女に散々なぶられて来た男のために、自分が抱かれる方を選ぶなど、健気で尊い!」

「帰ったら婚約者がいるので、一夜だけの思い出なのですよ」

「そこもとても切なかった! どうして二人が結ばれぬのか! だがこの余韻がまたよい」


 及第点かと思っていたら、皇帝陛下もシャムス様もそれなりにこの作品を気に入って下さっているようだった。


「二つ目の物語は、暦の使い方が絶妙だったな」

「新月の日に会って、雨だと暦が分からなくなるのもリアリティがありましたね」

「平民には暦が行き渡っていないのだな。平民にも暦の読み方が行き渡るような政治をせねばならぬな」

「ご立派でございます」

「それにしても、最後に駆け落ちが雨で流れてしまって、苦しむ二人の切なさよ!」

「これは泣ける物語でしたね」


 泣けるとまで言っていただけた。実際に逞しく美しい皇帝陛下とシャムス様が目を潤ませているのが、言葉だけではないのだと実感させてくれる。

 二つ目の小説も好評のようだった。


「三つ目の物語は、ちょっと表現が難解で、物語に入り込むのが時間がかかったな」

「伝達殿も新しい表現や描写に挑戦したかったのかもしれませんが、前の簡素な方がよかったですね」

「内容は間違いなくよかった。二つの対立する家の間で揺れ動く二人」

「最後は家同士の和解にまで持ち込まれていて、悲劇ではなくてよかったです」

「そうだな。悲劇は読んでいて憂鬱になる。伝達殿の作品は悲劇でも美しくまとめられていていいのだが、悲劇ばかりが続くのはよくない」


 三つ目の小説は若干評価が落ちてしまって、私は悔しい思いをしていた。

 描写や表現に凝って頑張って書いたつもりなのに、簡素な方がいいと言われてしまう。バシレオスに表現を添削してもらった甲斐がなかった。


「伝達はそのままでいいのだ。今後も私の直属の吟遊詩人として物語を書き続けてくれ」

「恐れながら、皇帝陛下、後宮が解体されたら、私はどうなりますか?」

「皇帝直属の吟遊詩人は続けてもらうが、そなたも然るべき場所に嫁がせるつもりだ」


 然るべき場所に嫁がされる。

 私は千里様の元にいて、シャムス様と取材に出かけられれば幸せだったのに、そんな未来が崩れるかもしれない。


 動揺を隠して私は頭を下げて「心得ました」と答えた。

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