4.取り調べの始まり

 月の帝国の後宮には、色んな属国からやってきた妾や側室がいる。

 大袈裟に「後宮に三千人の美男あり」などと語られているが、実際にいるのは八十人ほどだった。

 その中でもお子を二人作って正室としての地位を確立しているのが千里様。千里様は皇帝陛下が皇太子殿下時代に結婚した初めての夫で、皇帝陛下と褥を初めて共にしたのも千里様である。

 初めての相手の千里様をそれ以後ずっと愛し続けているのだから、皇帝陛下もとても一途な方なのだ。


 側室は五人。

 皇帝陛下の従弟で月の帝国の皇族のアズハル様。

 この方はとても気位の高い方で、日の国から来た千里様が皇帝陛下の寵愛を独り占めしていることに不満を抱いているという。

 あの場で皇帝陛下に堂々と口答えができたのもアズハル様だからだった。

 褐色の肌に皇帝陛下と同じ見事な赤毛の男性である。


 月の帝国の貴族の息子で、双子のイフサーン様とイフラース様。

 このお二人は褐色よりやや薄い色の肌に黒髪で、とても容姿が似ている。

 イフサーン様が赤い目をしていて、イフラース様が青い目をしているところが違うのだが、一目で違いを見抜くことはとても難しい。

 双子で美しい容姿なので後宮に送られたと聞いている。


 金髪に白い肌のたおやかなニキアス様は月の帝国が治める属国からいらっしゃった。

 日の国は月の帝国の東にあるのだが、ニキアス様の出身の蜜の国は月の帝国の北にある。辺境の異民族から攻められるのを守ってもらう代わりに、ニキアス様は後宮に送り込まれた。

 ニキアス様は月の帝国の後宮にいることを面白く感じていない様子であると聞いた。


 太陽の国から来たのは、ジェレミア様だ。

 黒髪に黒い目だが、日の国と違って彫りが深い顔立ちをしている。

 体付きも幾分がっちりとしていて、それがコンプレックスのようだが、鍛え上げられた皇帝陛下と比べると細く見えるから不思議だ。

 ジェレミア様は太陽の国の王族だが、人質代わりに後宮に送られて来た。


 側室はこの五名で、それ以外の妾達は王族ではなく月の帝国の貴族の男性や、属国の貴族の男性、それに美しいと言われて後宮に送り込まれた庶民までいるという。


 後宮で自由に動く許可は得たが、まずは私がすべきことはシャムス様と話し合うことだった。

 シャムス様に私が動く本当の理由を知っていてもらわなければ、私は部屋から出た時点から部屋に戻るまで、シャムス様と離れられないので、シャムス様には全て筒抜けとなるのだ。

 疑いを持たれる前に、シャムス様には話しておきたい。


 美しい金髪を一つに括ったシャムス様が部屋に来られたときに、私は髪を布で隠しながら話をしようとした。

 後宮は様々な国のものが集まっているので、その国に合わせた食事や茶を用意してくれている。見慣れぬ可愛らしいパステルカラーの茶器で緑茶を入れてシャムス様に差し出すと、シャムス様は椅子に座っておもちゃのように可愛いティーカップを手に取ってくれた。


 この国では豆が下に沈んだコーヒーという黒いどろどろした飲み物をよく飲むようなのだが、それは私の口には合わなかった。前世の記憶ではコーヒーは豆が下に沈んでいなかったし、あんなにどろどろとしていなかった気がする。

 前世の私はアメリカンのコーヒーが好きだったのだ。

 濃いこの国のコーヒーは苦手だった。


「緑茶だな。あり難くいただこう」

「シャムス様は緑茶をご存じですか?」

「千里様が嫁いで来られてから、皇帝陛下は日の国の文化に興味を持たれて、着物を湯上りに羽織ったり、緑茶を飲んだり、米を食べたりしておる」


 皇帝陛下がハマるものはシャムス様も一緒になって楽しむのだとシャムス様は楽しそうに話していた。

 ボーイズラブの小説を読んだ瞬間、シャムス様はそれを気に入って、皇帝陛下と共有しようとした。それも皇帝陛下が日の国の文化に興味を持たれて、それを取り入れたときのように、シャムス様も皇帝陛下に新しい文化を知らせようとしたのであろう。

 それだけ二人の仲は親密だということだ。


「シャムス様……実は……」


 話し出そうとしたときに、私はシャムス様の月の紋章の刺繍された騎士団の上着の袖がほつれていることに気付く。縫物は男性の嗜みとして、今世で佐野の実家で叩きこまれていたので、私はシャムス様に申し出た。


「袖がほつれております。私でよければ縫いましょうか?」

「よいのか? すまぬ。私は細かいことが苦手で」


 上着を脱ぐとシャムス様はシャツ一枚になって、その発達した筋肉が見える。心臓が高鳴るのを感じながら私は裁縫箱を取り出して袖のほつれを繕っていく。


「実は、私は取材という名目で、後宮にはびこる闇を探りたいのです」


 縫いながら私が話せば、シャムス様は深く頷いてくださる。


「恐らくそうだと思っていた。先の事件は、皇帝陛下も深くお心を痛めていた。あの事件が解決せぬものかと、私も思っていた」

「シャムス様も?」

「調べに行きたかったが、私は後宮に入るためには許可のいる身。他のものは身分の低い妾が死にかけても、気にかけてもおらぬ」


 憤りを見せるシャムス様に、私は縫い終わった上着の糸を切った。


「シャムス様もこれで後宮を自由に動けるようになります。私とシャムス様の目的は同じ。どうか、協力していただけないでしょうか?」

「佐野殿、いや、伝達殿と呼ばせていただこう。私でよければ、できるだけのことはしよう」


 皇帝陛下のことを誰よりも気にかけているシャムス様だからこそ、この交渉は成り立った。上着を返しながら私は、ついでに、と呟く。


「その上着、シャムス様が非番の日に洗っておきましょうか?」

「よいのか!? 私は粗忽もので、すぐに食べ物を飛ばしてしまって……。何故この帝国の女性の衣装は白なのだ。白など、あっという間に汚れてしまうのに」


 嘆くシャムス様の気持ちは分かる。

 私も前世はスーツのシャツをカレーうどんで汚しては悲しい思いをしていた。

 シャムス様のシャツにも点々と汚れがついている。これはしっかりと浸け置き洗いしないと落ちないだろう。


「皇帝陛下に忠誠を誓い、私は自分の人生を捧げると決めた。そのときに、結婚もしなくていいと思ったのだが、夫がおらぬというのは、こういうときに不便だな」


 この世界では女性が働くので男性は家の仕事をする。シャムス様には騎士団の上着を繕ってくれて、上着を丁寧に洗ってくれる男性はいないようだ。

 シャムス様に夫がいないと聞くと私はそわそわとしてしまう。

 初めて会ったときにシャムス様は船から冬の海に落ちた私を助け上げて、裸で温めてくれていた。あのとき揉んだ乳の柔らかさははっきりと手に残っている。


 皇帝陛下の後宮にいるのだから、私がシャムス様と結ばれることはないのだが、シャムス様と一緒に行動ができる。同じ目的を目指して協力ができる。

 そのことは私にとってはとても嬉しいことだった。


 シャムス様と手を組んで初めに行ったのは、側室の中でも一番権力のあるアズハル様の部屋だった。

 アズハル様は私の来訪を告げられて非常に不機嫌で、部屋の前で私とシャムス様はしばらく待たされた。


 部屋に入ることを許されて入れば、アズハル様は目だけしか出ないような黒い衣装に着替えていた。女性のシャムス様が部屋に入るので、急いで着替えたのだろう。

 私は簡易的に髪を隠すだけの格好をしているが、アズハル様は正式な場にも出られそうな格好をしていた。


「皇帝陛下の命であるから、仕方なくそなたたちを通すのだ。用件は早めに終わらせるように」

「取材に応じてくださってありがとうございます。アズハル様は、後宮に来られて何年になりますか?」

「そんなこと、私に聞かなくても記録を見れば分かるだろう! 私に聞くのは、私でなければ答えられないことのみとせよ!」


 さすが、皇帝陛下の従弟君である。

 怒鳴られると皇帝陛下に怒鳴られているようで縮み上がってしまう。


「アズハル様、隠さずにお答えください。実家とは連絡を取っているのですか?」

「何故そのようなことを答えねばならぬ! 後宮に来たときから、実家に戻れぬのは分かっていたこと。そんな甘い覚悟で後宮には来ておらぬわ! 馬鹿にしておるのか!」


 怒りに震えてはいるが、アズハル様は気が強く、正義感も強そうだった。

 アズハル様が格下の妾を自殺未遂に追いやるような性格かどうか私は疑問に思う。


「シャムス、この者をさっさと部屋から出せ! 不愉快だ!」


 シャムス様よりも位は高いので、シャムス様に命じるアズハル様に、シャムス様がはっきりと答える。


「できません」

「なんだと? 私に逆らうのか?」

「佐野伝達の問いかけには全て正直に答えるようにというのが皇帝陛下のお達しです。私は皇帝陛下の命を守ります」


 凛と答えてくれるシャムス様に私は怖気づきそうな気持を取り戻すことができた。


「アズハル様はデメトリオという名前をご存じですか?」

「でめ……? 知らぬ。後宮にそのような名前のものがおるのかもしれぬが、私は下々のものとは交流を持たぬ主義だからな」


 自殺未遂をした妾の名前はデメトリオ。その名前を出して反応を試そうと思っていたが、アズハル様は本当にデメトリオという名前を知らなそうだった。


 高貴な身分ということで、アズハル様が大浴場を使われるときには、取り巻き以外は入れないようにするとも聞いている。

 アズハル様の取り巻きが事件を起こした可能性はあるが、アズハル様はそのことを知らないように思えた。


「正室や他の側室の方についてどう思われていますか?」

「興味はない。私はここにいるだけで実家の地位を確立している」


 皇帝陛下が渡ってくることがなくても構わないのだとアズハル様は暗に言っていた。

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