第5話 モルダの復讐

 早朝、モルダは銀のトレイに赤ワインとグラスを乗せて城の廊下を歩いていた。クレイルィは毎朝、青霊湖で禊を行った後、部屋に戻って赤ワインを嗜む。そのワインを用意するのもモルダの仕事の一つだった。


 今日の赤ワインもいつものように特別製。いつもと違うのは、ワインに毒が入っているということだけ。


 細長い窓から等間隔に差し込む朝日が銀のトレイに反射する。外の爽やかな空気とは裏腹に、モルダの心は復讐心に侵され、突き動かされるようにクレイルィの寝室へと向かった。


 アヴァグドゥに聞いた話がモルダを呪っていた。


 グウィオンを殺した。グウィオンを殺した。己の美が叶わないからといってグウィオンを殺した。わたしの友を殺した。殺した。殺した。だからわたしがこの手で殺す――。



 赤ワインには魔薬の残薬を入れた。


 一年と一日、グウィオンと一緒に作った魔薬。

 そしてあの日、猛毒となった残薬。

 赤ワインと同じ赤い薬。


 これ以上に彼の弔いに相応しい方法はない。


 銀のトレイを持つ手が震える。



 モルダはクレイルィの部屋の前に立った。

 白に金箔で装飾を施した見事な扉をノックする。


 コン、コン、コン――


「クレイルィ様、ワインをお持ちしました」


 青霊湖での禊を終えたクレイルィは白くすっきりとしたドレスを纏い、ベッドの隅で、濡れた長く豊かな金髪を丁寧に乾かしていた。


「ありがとう、モルダさん」


 そう感謝を述べられることを光栄に思っていた。


   昨日までは。


「本日のワインは、『冥界への旅立ち』でございます」


 銀のトレイを窓辺のテーブルの上に置いてお辞儀した。


 クレイルィはモルダに微笑み、優しい声で語り掛ける。


「髪を乾かしたらいただきますね。あなたは少し休んでください。何かあればお声がけしますから」


「お心遣い、アリガトウゴザイマス」


 モルダは再びうやうやしくお辞儀する。


「では、わたくしはこれで」


 部屋を出て静かに扉を閉めた。



 グウィオン――


   グウィオン――


 グウィオン――



 モルダは心の中で何度もその名を呼んだ。

 胸の前で両手を組み、深く深く祈りを捧げる。


 部屋の中でグラスの割れる音を聞き、彼女はそっと扉の前を離れた。




 モルダは、疑うということをあまりにも知らな過ぎた。もし彼女の目が頼りになれば、アヴァグドゥの話が嘘であると、すぐに分かったはずなのに。


 クレイルィにこれ以上の美など必要ない。神界では天界の宝と謳われる程、眩いばかりに美しいのだから。


 美の魔薬が必要だとすればアヴァグドゥの方で、それを欲していたのも彼だった。しかし、どんな美の魔薬も効かず、母ケリドウェンは代わりに叡智の魔薬を作って息子に与えようとした。その魔薬が毒になり怒ったのはケリドウェン。アヴァグドゥも当然はらわたが煮えくり返ったが、自ら動くのは馬鹿ばかしく、全てを母任せにした。


 ケリドウェンは変身して逃げ惑うグウィオンを執拗に追いかけた挙句、麦となり麦畑に身を隠したグウィオンを雌鶏になって食った。


 その一連の出来事に、クレイルィは一指たりとも触れてはいなかった。


 その真実を、モルダは知らない。

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