第3話 目前の自由

 あの日、目前に自由があった。魔薬作りの過酷な日々がようやく終わろうとしていた。魔薬が完成したら二人は解放される。そういう約束だった。


 それが、たった一夜で変わってしまった。


 薪を抱えて大釜の部屋のドアを開けた時だった。グウィオンが突然呻き声を上げた。


「ああああぁぁ頭があっっっ!! 頭がぃぃい痛いぃぃ!!」


 モルダは驚きのあまり抱えていた薪を落としてしまった。床に散らばる薪。だがそんなことに気を留めてはいられない。脚立の上にうずくまるグウィオンを、かすむ視界の向こうに捉えて叫ぶ。

 

「グウィオン、どうしたの!?」


「く、来るなァ!!」


 駆け出そうとしたモルダは、彼のその一言で両脚が凍り付いてしまった。


 グウィオンは両手で頭を抱えて痛みに耐えていたが、遂に空気を引き裂かんばかりに咆哮した。


「ウァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 智恵、学問、霊感――三つの叡智が脳を通して全身にインストールされる。


 大釜の様子がおかしかった。


 釜の中で煮詰まり圧縮されたエネルギーは、これまで魔法がブラックホールの如く取り込んできた。しかしその魔法が釜の外へ取り出されたことでエネルギーが行き場を失い、残薬がゴポゴポと異様に湧き立ち膨張し始めていた。


 しかし、モルダはその時、何が起きているのか知りようもなかった。


「グウィオン……」


「モルダ、ドアを……!! ドアを閉めろォォオオオ!!」


 咄嗟にその通りにした。


 続く爆発音――


 爆風で鉄のドアが吹き飛ぶかと思った。無数の石礫いしつぶてが飛んできてガンガンパラパラと恐ろしい音を立てる。言われた通りにドアを閉めていなかったらと思うとゾッとした。やがて瓦礫の音が静まり、ハッと我に返る。


「グウィオン……!」


 傷だらけのドアを押し開けると、モルダの視界は薄いベージュ色に染まり、ゴホゴホとむせ返った。室内は壁が崩壊し土煙に満ちていた。割れた窓から風が吹き込み、土埃を海岸へとさらっていく。モルダはいつもの視界が戻ると、そこにあるはずの物がなくなっていることに愕然とした。


 大釜が……


 大釜もグウィオンがいた脚立も、何もかもなくなっていた。

 床一面に黒と赤の斑模様が広がっている。


 グウィオンがあの爆発に巻き込まれたのだとしたら――床の斑模様が、彼の変わり果てた姿なのだとしたら――そう考えてゾッとした。けれど、それは幸い違ったようだ。血や肉の焦げる臭いはしない。床の斑模様は恐らく、大破した大釜と魔薬。


 それなら、グウィオンは一体どこへ――?


「グウィオン……?」


 友の名を呼んだが返事はなく、

 割れた窓を掠める風が、

 ひゅぉぉぉ……と虚しく鳴るだけだった。



 あれからもう九ヶ月。

 グウィオンのいない生活に少しずつ慣れ始めた自分がいる。


 カラッ風がひと吹き。

 もうすぐ中庭の掃除も終わる。


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