第1章 『最悪な愛のカタチ』

【第1話】  裸の王様

 ――不特定人物銃撃事件 2日前


 見知らぬ情景が目に飛び込んでくる。自分の知らない世界、そう容易くお目にかかることなどできないそんな世界、ではない。

 本来この部落で住んでいる者然り、この世界に生を授かった者であれば皆知っているべき世界だ。


「………」


 で、あったはずだが記憶喪失の自分にそんな共通は通じない。ここも失った記憶の一つなのだから。

 それ故に『外出時には衣服を纏う』、なんて教養もこの男には無かった。


「んぎゃー!あんたなぁに、服も着ずにこんなとこほっつき歩いてんだい。いくらここがド田舎やからってそりゃあかんで。はよ、服を着てくれ……おーい、聞こえとるかー?」


「……?」


 純一無雑な悪人に突如として、奇声じみた年増の悲鳴が襲い掛かる。それとともに問答の要求も同時に行われるが、そんな要望に男が聞く耳をもつはずもなかった。

 このご時世に服を着ない者など二つに一つしかない、ヤバい奴かイかれてる奴だけだ。


「そっか、じゃあその服を俺に寄越せ」


「はい?」


「そしたら納得いくだろ?てめぇはうるせーし、丁度良い」


「……!頭おかしいんかあんた!口を開いたかと思って聞いてみれば何がうるさいじゃボケ!こんな町中を裸でうろつき回ってたらそりゃツッコむわ!」


 イかれた男がおかしな事を口にすると、それには至極真っ当な意見が返ってくる。

 普通ならここで無視されてもおかしくはない、というのにわざわざ乗ってくれるという点では耳障りではあるが温情な老婆だ。

 

 すると、遠方から鈴の声と地を擦る音とが歪な双方の像に寄ってくる。


「ちょっと、お兄さん!そこで何やってんの!あぁ、こんにちは」


「高橋さん、この人ヤバいのよ。急に歌女の服脱がそうとして――」


「あーね、はいはい。それもう40年経ってるから。それに、このお兄さんも分からんだろ。んで、本当のとこは?」


「ホンマだわ!」


「お…」


 未練たらしく騒がしい主張にどこか冷酷な台詞が続いていく。老婆はそのまま歌劇を直行しようとするが、無情な警棒がそれを制止する。

 悟った様子の警官に老婆は深く首を傾げ、説明が不可欠なのだとも悟る警官はそれ以上に深く嘆息していく。


「あれですよあれ、忘れました?数年前、名前なんだったかな…。まあその、その人がさ男の人担いできてそれで植物状態で今も寝てるっていう――」


「あ…」


 老婆は妙な男を凝視したあげく、急に黙り込んでしまう。それを不気味がる男は一歩引く姿勢をとるが、老婆は容赦なく攻めていく。


「元気になったんだねえ。ホンマに良かったわ、良かった…」


 年寄り特有の突如の感涙に驚愕する。さっきまで憤慨してたはずの状態から、一変してしまったのだから。

 その様子に男はすっかりあっけにとられていた。


「急にどうしたんだお前…。怖えからやめてくれ」


「そう、そうやな。知らんもんな、ごめんな。お前が起きる時がワシの生きてる内に来るとはなぁ…。うゎああ…」


 そう言ってさらに涙ぐみ、喋れるようでもない歌女に代わって警官がさらに説明を続ける。


「君はね、8年前にもうなるのかな?女の人にここへ突然運ばれてきたんだ。特別、傷があるってわけでも無かったんだけど、意識がなくってね。それで恐らく君がここに来る前、こんな感じの家から出てきたと思うんだけど、そこで女の人が8年間ぐらいずーっと君の面倒を診てたってわけなんだ」


 とりあえずの話を終えた警官は覚えていないかと横の民家をしつこく指し示す。



 ――ただ、そんなのは知ったことかと男の記憶には綺麗な風貌の女だけがひたすらに再生されていて



「みんなが心配してたんだ、もちろん女の人が一番なんだろうけどーー」


「アイツか…」


「なんだあの人、今日は居たのかい。珍しいねー。いっつも遠出なんかして、一か月居ない、なんてざらだからさ」


「そうなのか」


「そうだよー。僕も見かけたのなんて一桁あるかないかで……いや待って、じゃあなんで君裸なの…?」


 珍妙な男も記憶が無いながらにやりとりを交わせるようになったが、警官がそれ以前の問題に切り込んでいく。



 ――この男はあの人が居たにも関わらず、何故こんな容姿でここまで歩いてきたのか



「鬱陶しかったんだよ、何がミナちゃんだ。ふざけんのも大概にしろってな」


「えぇ…冷たいなー。いやまぁ嬉しかったんだよ、起きてくれてさ。それを君は良くは思わなかったのかは知らないけど…」


「知るか」


 男の憂さ晴らしを警官も一度はなだめてみるが、すぐさま無意味だと知りそれ以上を口にしない。

 

 そのつもりだったのだが、男の背面に近寄る憤怒の形相を浮かべた赤鬼を確認し、急遽止めに入る形にならざるを得なくなる。


「ちょっと君…!」



 なんとか止めないと――、



「なんだそんな化け物をみたような…。あ、いやすまん。ここでは服を着るのが普通なんだな、悪かった。以後、気を付ける」


「いや、どこもかしこも普通だけどな……じゃなくて!」


「どうしたんだよ…あのアバズレもよさっさと言ってくれりゃあ良かったのによ」


「……痛いぞぉ」


 と、努力はした。だが、どうも止みそうにもない不平不満に警官は見切りをつけることにした。

 なぜなら金棒は、既に男の頭目掛けて振り下ろされていたからだ。


「本当にアイツは無能だな。これじゃ、とんだ恥晒しだっての。てめぇの名前とかどうでもいいんだよ。やっぱ、アバズ…いでっぇ!!」


「…誰がアバズレですって?」


 よくよく赤鬼を注視してみると、その正体はこの世のものとは思えない程の美貌の持ち主であり、男を匿っていた張本人である事実に、警官は遅れて気づくことになる。

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