第3話(4)サファイアの努力

「あ、す、すみません!」


 サファイアが慌てて離れる。


「え、えっと……」


「つい喜びのあまり、だ、抱き着いてしまいました……ご不快な思いをさせてしまって申し訳ありません……」


「い、いえ、別に大丈夫ですが……」


「え?」


「へ?」


「……」


「………」


「きょ、今日はここら辺で上がりましょう! お疲れ様でした! シャワールームはそこの奥にありますから! 入口で待ち合わせしましょう!」


「わ、分かりました!」


 二人はそれぞれシャワーを浴び、着替えを終えて、コートの入口に集合する。


「……あらためてお疲れ様でした」


「は、はい、お疲れ様です……」


「お陰さまで必殺技を編み出せました。もちろん、精度は上げていかないといけませんが……しかし、感覚を掴めたのは大きな収穫です」


「それは何よりです」


「それでは参りましょうか」


「はい……」


 サファイアと山田が並んで歩き出す。


「いきなりトレーニングに付き合わせてしまい、申し訳ありませんでした」


「いえ、こちらも良い運動になりましたから良かったです」


「そう言ってもらうと助かります」


「はい」


「あ、あの……」


 サファイアは眼鏡の縁を必要以上にペタペタと触りながら、口を開く。


「なんでしょう?」


「こ、今後もトレーニングパートナーをお願いしてもよろしいでしょうか?」


「はい、俺で良かったらいつでもどうぞ」


「本当ですか!」


 山田を見るサファイアの顔がパッと明るくなる。こういう顔もするんだと山田は思った。


「本当です」


「そ、そうですか」


「ええ」


「では早速お願いしたいのですが……」


「はい……ええっ、早速⁉」


「はい」


「こ、今度はパスの練習ですか?」


「いえ、サッカーではありません」


「サッカーではない?」


「ええ、こちらです」


 サファイアがビルのあるフロアを指し示す。そこの窓にはチェスの駒のイラストが描いてある。山田が首を傾げる。


「チェ、チェス……?」


「はい、そうです」


「もしかして、チェスもされるのですか?」


「こう見えて日本のアマチュアチャンピオンです。女性部門ですが」


 サファイアが眼鏡をクイっと上げる。


「ええっ⁉ そ、それでも凄いです。文武両道とはこのことですね……」


「それは少し違いますね」


「え?」


「チェスはマインドスポーツとも呼ばれています。立派なスポーツです」


「そ、それは失礼しました……」


「いえ……それでは参りましょう」


 サファイアがビルの中に入っていく。山田もそれに続く。


「ここが……」


「そちらに座って下さい」


「は、はい……」


 山田が座り、サファイアが山田の正面の席に座る。


「……では、一局参りましょうか」


「い、いや、えっと……」


「これも聞いた話ですが、将棋部の全国大会出場にも貢献されたとか……」


「ええ、助っ人として……」


「ならば大丈夫ですね」


「い、いや、大丈夫ではないと思いますが……」


「将棋とチェス、ルーツを辿れば同じです」


「そ、それはそうかもしれませんが!」


「……では、こちらがルールブックです」


 サファイアが近くにあった本を山田に渡す。


「は、はあ……」


 山田がそれに目を通す。少し時間が置いてからサファイアが尋ねる。


「そろそろよろしいでしょうか?」


「こ、駒の動かし方は分かりましたが……」


「結構です」


「ほ、本当ですか?」


 山田が戸惑う。サファイアが促す。


「先手、白番をどうぞ」


「は、はあ……では」


「! こ、これは……初手d4⁉ まさかキングの守りを薄くするとは……その発想はありませんでした。ならばこうです」


「えっと……」


「‼ こ、こうです」


「う~ん……」


「⁉ こ、こうです」


 それから数手ほど進む。


「うむ……」


「! そう来ましたか、なかなか興味深いキャスリングをされますね」


「はあ……」


 山田としてはほとんど適当に動かしているだけなのだが、それは黙っておくことにした。


「ふむ……これでチェックメイトです」


「ああ……やっぱり相手になりませんね」


「いえ、大変参考になりました。お陰で研究が進みそうです」


「そ、そうですか? それなら良いのですが……」


「……そろそろ帰りましょうか」


「あ、はい……」


 二人は家路につく。


「今日はありがとうございました……」


「いえ……」


「と、言いたいところですが」


「え?」


「家に帰ったら、eスポーツで対戦をお願いします!」


「イ、eスポーツもされるのですか⁉」


「自分はスポーツと呼ばれるものを全て極めたいのです! 夕食後部屋で待っています! お先に失礼します!」


「ええっ⁉」


 山田は走っていくサファイアの背中を驚いた顔で見つめる。

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