第陸話 突き当りの浴場と一周する推理

「そして、私は春休みの間に大阪に引っ越した。喧嘩別れってやつさ。きっと、唯一の友人を失い、命より大事なギターを手放して、生き甲斐がいだったバンドをやめた上に、失恋といじめが重なって、ついに耐えきれなくなったんだろうな。全部、私のせいだ。アイツの大事なものを、全部私が奪っちまったんだ。どうだ、ヒマリ。幻滅しただろ?」

 ミドリさんは自嘲気味に笑ってみせた。ヒマリは首を横に振った。

「 ううん。私もバンド活動が禁止されているなんて知らなかったし、ミドリお姉ちゃんは悪くないよ。むしろ悪いのは、なんにも気づけなかった私のほう。『屋上事件』のこともそうだし、私はお姉ちゃんのこと、なんにも知らなかった。妹失格だよ」

 唇を固く結ぶヒマリをミドリさんが励ます。

「アイツはアンタを心配させたくなかったんだよ。だからアイツはアンタに何も言わなかった。アンタは悪くないよ。責めるんなら、自分じゃなくて私を責めてよ。原因をつくったのは私なんだから」

 ミドリさんはそう言ってヒマリの手を取り、自分の頬にぶつけた。悪いのは自分、ということだろう。

「ね?」

 ヒマリは不満そうな顔をしながらも、反論の言葉が見つからず、悔しそうに黙っていた。


「二人はどう思う?」

 バスを降りた後の宿までの道中、ヒマリは俯きながら訊ねた。日はすっかり暮れ、電灯の無機質な光が辺りを照らし始めていた。

「どう思うって、何がよ」

「ミドリさんの話だよ。ミドリさんは自分が全部悪いんだって言ってるけど、私にはそうは思えなくて」

 ヒマリは小石を蹴った。小石は小さな音を立ててみぞに転がり落ちる。

「僕もそう思うよ」

 僕がそう言うとヒマリが顔を上げた。今にも泣きそうな情けない顔だ。

「どうして?」

 僕はわざとらしくため息をついて見せた。まったく、ヒマリは勉強は出来るのに、どうしてこういうことは分からないのだろう。

「どうしてって、当たり前だろ。ミドリさんがした話は嘘なんだから」

「う、嘘!?」

 目を点にして驚くヒマリをアカネは呆れたように見つめる。アカネはどうやら分かっていたようだ。

「嘘か、あるいは不完全か。どちらにせよ、あの話だけでマシロ先輩の自殺の原因を推測することは不可能だよ」

「ちょ、ちょっと待って。どういうこと? なんで嘘とか不完全とかになるの?」

 今度はアカネが大きなため息をつく。アカネがヒマリの腰のあたりを指さす。

「チケットよ」

「チケット?」

 ヒマリはズボンのポケットからチケットの半券を取り出した。

「そのチケットは、ミドリさんが大阪に来てから結成したバンドのライブチケットでしょ。去年の秋頃に絶交したなら、どうしてそんなもんをマシロ先輩は持ってたのよ」

「そ、それは……そうだ! ミドリお姉ちゃんがお姉ちゃんと仲直りするために一方的に送り付けたとか」

「じゃあ、なんで3枚なのよ。普通1枚でしょ」

 ヒマリはもう一度3枚の半券に目をやる。

「それに、ヒマリが自分で言ってただろう? 『私には、この3枚のチケットが、コーセーくんとアカネちゃんと一緒に大阪に行ってこい、という、姉からのメッセージのように思える』って。つまり、マシロ先輩がミドリさんに3枚のチケットを要求したんだよ」

 僕の補足を聞いてヒマリはに落ちたようだ。

「でも、なんでミドリお姉ちゃんは嘘を?」

 アカネは腕を頭の後ろにやりながら先行する。

「さあね。言いたくないことでもあったんじゃない? 例えば、実はミドリさんがマシロ先輩にもっとえげつないことをしていた、とか」

 ヒマリはアカネを走って追いかけ、力強く抗議した。

「ミドリお姉ちゃんはそんなことしない!」

 ヒマリのすごい剣幕にアカネは困った顔をする。

「例えば、って言ってるでしょ。ちゃんと話聞きなさいよ」

 僕はヒマリの頭をポンと叩いてなだめた。

「とにかく、もっと情報がないと、考えようにもまともに考えられない。今日はもう遅いし、明日から情報収集をしよう。ね?」

 ヒマリは自分を落ち着かせるように大きく息を吐き、コクリと頷いた。


 部屋に戻るとすぐにお婆さんが夕食を持ってきてくれた。僕たちは黙々とそれを食べた。いつも一番元気なヒマリがしおれているうえに、僕もヒマリも一日中動き回ってもうヘトヘトだったのだ。一方、アカネは元気が有り余っているらしく、ぐったりしている僕たちを呆れた表情で見た。

貴方あなたたち、本当に高校生? 若者らしく少しは元気にしてなさいよ」

「アカネこそ、本当に人間なの? 人間らしく少しは疲弊してなよ」

「コーセーくん、アカネちゃんは実は人間じゃないんだよ。本当の正体は霊長類アカネ科アカネ属のアカネアカネアカネなんだ」

「誰がゴリラゴリラゴリラだ。人をけなす元気だけはあるみたいね」

 かろうじてアカネをいじる元気はあるみたいだが、相変わらず表情は暗いままだ。疲れというより、ミドリさんの話が頭から離れないのだろう。僕も忘れないうちに、今日得た情報を整理しておかないと。僕は食べ終わると席を立った。

「じゃあ、僕は少し散歩してこようかな」

 アカネは「いってらっしゃーい」と言って、手を小さくを振った。


 外はすっかり闇夜に包まれていた。宿の周辺は静かで、夏虫の声がよく聞こえる。僕は歩きながらミドリさんの話を思い出していた。

 ミドリさんは嘘をついている。本当はマシさんと彼女は、少なくとも彼女が大阪に行ってから数週間は仲が良かったはずだ。でなければライブのチケットを請求したり、あげたりはしないだろう。しかも、マシロ先輩はライブのチケットを請求する段階で既に自殺を考えていた可能性が高い。でなければチケットを3枚も用意しないはずだ。つまり、マシロさんが自殺を決心したときはミドリさんとの関係は良好だった。すなわち、マシロ先輩の自殺の原因はミドリさんとのトラブルではない。

 となると、自殺の原因を生みそうな場所は限定される。ライブハウスには行けなかっただろうから、学校か家か……いや、家でトラブルが起きていたら、さすがにヒマリが気づくだろう。ということは問題が起きたのは学校か。

 いや、でもマシロ先輩は僕たちをミドリさんの元に導いたのだ。学校でのトラブルが原因であれば、『屋上事件』のように学校内にヒントを残すべきじゃないか? しかし、問題が起きそうな場所は学校以外考えられない。……もしかして、学校で起きた問題にミドリさんが関係している? でも、他校にいたミドリさんがどうやって? ミドリさんが彩雅高校に来れる機会は、それこそ文化祭ぐらいしかなかったはずだ。いや、それだとミドリさんが言っていたことと一緒だ。まずい、推理が一周してしまった。


 僕は宿の近辺を何度もまわりながら、終わりのない推理を続けた。3周目を終え、宿の前まで来ると、僕は大きくため息をついた。仕方ない。風呂でも浴びてリフレッシュするか。とりあえず下着と浴衣を取りに行こう。

 部屋に戻ると、アカネとヒマリの姿がなかった。いったい、どこに行ったのだろう? 考えられるのはやはり風呂か。もし風呂だとしたら、今は女性客が利用する時間帯ということになる。入ろうと思ってたんだけどなぁ……僕は思わず肩を落とす。

 いや、でも待てよ。入れ違いで散歩に行ったという可能性もあるのではないか? アカネは元気が有り余っている様子だったし、散歩はヒマリの気分転換にもなるだろう。まあ、正解は風呂場に行ってみれば分かるか。僕は散歩に行ったという一縷いちるの希望に賭けて風呂場に向かった。風呂場は一階廊下の突き当たりにあるはずだ。



 

 

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