第15話 わたしが紋章を諦めるはずがないでしょう?
「ガーラント卿、緊急事態です!」
誘拐されたセイリオスを助けると約束したティアナは、ジョシュを連れて上司であるガーラントの執務室へ押しかけていた。
「ティアナ、なにごとだ。君の仕事は殿下の婚約式の取り仕切りだ。緊急事態など起こるはずもない」
「そんな悠長なことを議論している場合ではありません、わたしの権限をお戻しください!」
「無理なことを言う。
「わたしが紋章を諦めるはずがないでしょう? 紋章は、おやつとして食べても少し暴走はするものの美味しくて役立ちますし、謎を解く過程も非常に美味です。けれど……」
じゅるり。
あの大紋章の謎を思ったら、いつの間にか口の中が唾液で溢れていた。ティアナは少しも気にせず唾液を啜って、ガーラントに力説した。
「自分で謎を解いた紋章を食べるとき。それが最高に頭と舌をとろけさせるのですから!」
ティアナがどのような顔をしてガーラントに迫ったのか。
ガーラントは長い長い息を吐き出してから、首を振る。縦ではなく、横へと。
「……わかった、とそれで私が言うとでも? ティアナ、ジョシュ、報告を。すべてはそれ次第だ」
「そうですよね、わかりました」
そういうわけでティアナとジョシュは、ガーラントに応えるために、今はマリアとともに尋問塔特別接待室で待っているレオンから聞いた話と、事の経緯を並べ立てた。
あの大紋章を最高に美味しく食べるためにも、セイリオスの身の証を立てるためにも、中級紋章官としての能力と権限を取り戻し、紋章鑑定を終わらせなければ。
ティアナは焦る気持ちを抑え込み、淡々とガーラントに報告を行う。
「セイリオス卿が王家の血を引くなら、保護されて然るべきです。誘拐したのはレオン卿が指摘したようにグレバドス公爵家の手の者でしょう」
「なぜ、グレバドス公爵家が出てくるのかは、不明ですが」
ジョシュがティアナの言葉に付け足した。
グレバドス公爵家が出てきたのは、ファラー子爵の主家であるから、という単純な理由ではないはずだ。
そんなに単純な理由なら、
「グレバドス家……グレバドス家……。ああ、なるほど。あの噂は真実だったのか」
「ガーラント卿、なにかご存知ですか?」
噂と聞いてティアナが思い当たるのは、マリアから聞いた話しかない。
「もしかして、乙女のあいだで流行っている、王弟殿下と秘密の恋人の噂……とか?」
「ああ。私も伊達に歳を食ってはいない。当時、王弟殿下には禁断の恋人がいて、その恋人とのあいだには子どもがひとり産まれている、という噂がまことしやかに囁かれていた」
「それって、禁断なんですか? それとも秘密なの?」
「どちらもだ。禁断で秘密なんだ。噂の相手はグレバドス公爵家の御令嬢だからね」
ガーラントは椅子を回転させるのを止めて、片目を瞑ってそう言った。開かれた琥珀色の眼が鋭く光る。
ティアナはガーラントが言わんとしていることに気づいて、ハッと息を呑んだ。
「そういうわけですか。グレバドス公爵家は議会派、けれど御令嬢の相手は王室そのものである王弟殿下。産まれてきた子どもは政治利用の標的となるから」
「グレバドス公爵が噂を信じ、
「……ファラー子爵家とグレバドス公爵家が繋がったな」
ジョシュの言葉にティアナは無言で頷いた。
確かめたいことは、あとひとつ。誰がティアナの紋章鑑定を邪魔したのか、だ。
ティアナは神妙な面持ちでガーラントに尋ねた。質問するというよりは、確認するために。
「……ガーラント卿。もしかして今回、あの大紋章の鑑定審査を中断させたのは、国王陛下ですか」
「どうしてそう思うんだね、ティアナ」
「わたしが気付いたことを、
現状、国王とティンジェル公爵の関係は、ティアナのこともあってギスギスしているけれど、それとこれとはまた別だ。
仕事人間であるティンジェル公爵ならば、ティアナ憎し、国王憎しで手を抜くようなことはしない。
時折、公爵憎しの顔を覗かせてしまうティアナも、ティンジェル公爵のその部分だけは信用していた。
——そこだけ、そこだけなんだから。
心の隅でわだかまる複雑な思いを、今は無視をしてティアナは冷静に告げた。
「あのまま紋章鑑定を進めていれば、セイリオス卿は遅かれ早かれファラー家の跡取りとなりました。……子爵の言い分は聞き入れられずに。その後、卿は、グレバドス公爵家へ養子に入り、亡くなった王弟殿下の忘形見である、と大々的に喧伝されたことでしょう。そして議会は議会派に有利となる」
ガーラントはなにも言わない。両手を皺が出始めた壮年の顔の前でピタリと合わせ、ジッとティアナを見つめている。
ティアナは
「セイリオス卿はやはり、グレバドス公爵家の者に連れ去られたのでしょう。それは別に問題ではありません。セイリオス卿を巡る政治的な思惑も、好きにしたらいいんです」
「では、ティアナ。なにが問題なのか完結に述べたまえ」
「問題なのは、セイリオス卿が妖精女王の加護を受ける王族の血を引いている、ということです。そしてセイリオス卿はファラー子爵夫妻に虐げられてきました。そんな彼を見て、哀れに思わない人間はいない」
ティアナの言葉にジョシュがハッと息を呑んだ。
「……無駄に消費させられた魔力を戻そうとする、ということか」
「そう。過去、ジョシュがわたしを助けようとしてくれたときのようにね」
遥か昔、ジョシュが魔力的飢餓状態のティアナを助けようと魔力を渡したとき、ティアナを閉じ込めていたとある塔は周囲を巻き込みながら全壊した。
あのときはまだ幼く、魔力を受け取る側も、渡す側も未熟だったからか、その程度で済んだのだ。
「待ちたまえ。君たちにしかわからない話は、ご遠慮願えないだろうか」
ティアナがジョシュとふたりの世界へ入り込む前に、ガーラントが釘を刺す。
咳払いをするガーラントの声に気づいて、ティアナはようやくその顔に微笑みを浮かべた。
深呼吸を一度。大きく息を吐いてから、そして吸う。
歌うように滑らかに言葉を紡ぎ、真剣な眼差しでガーラントをまっすぐ捉えた。
「すみません。でも、大事なことなんです。普通の貴族であれば、空になった魔力を回復させようと
ティアナはそこでひと区切りした。ガーラントから視線を外さずに手を握る。いつの間にか手のひらが汗でしっとりと湿っていた。
再度、呼吸を整える。
「ほんの少しのきっかけで魔力暴走を引き起こしてしまうほど、魔力循環がよいのです」
ティアナは妖精女王の魔力を人工的に宿した紛い物。
けれどセイリオスは違う。彼はティアナと違い、本物だ。
紫色の眼の奥で、真紅の光が爛々と燃える。
いつも紋章だけを見て追いかけているその眼には、セイリオスの身を案じる光で濡れていた。
ティアナの潤む紫眼に射抜かれたガーラントの喉が、ゴクリと音を立てて上下する。
「セイリオス卿が……いえ、セイリオス殿下なら、王都は半壊しますよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます