医療都市アレクリン〜感情を失った薬学者が大切な人のために薬をつくるおはなし〜

白水47

プロローグ 悪い夢


「何故こんな面倒な研究をせねばならんのだ」


「患者さんたちのためです!」


「こんな病気などを研究する前にやることが山ほどあるだろう」


「ですが実際に年々患者さんは増えてきています! ワクチンだけではなく特効薬とっこうやくも必ず必要になってきます!」


「君に何がわかる。それに君はまだ学生だろう」


「医療科学に年齢や経験は関係ありません! 私は人の役に立つ研究がしたいんです!」


「黙ってAIが決めた薬だけを作っていればいいものを……」


「お願いします! 『ネオンフィーブびょう』の研究をやらせてください!」


「はあ……、そこまで言うのなら一人でやって見ればいい。ただし、わしは責任を取らんからな」


「ありがとうございます!」



 たくさんの本に囲まれた狭い部屋で、初老しょろうの男性と若い女性が言い争っている。


 二人とも白衣を着ているので、医者か研究者だろうか。


 女性をよく見ると、紫がかった黒髪、肩にぎりぎり届かないセミロング、高くはない身長、痩せ型、整っていると言えなくもないが、鋭い目つきが目立つ顔立ちだということが分かる。


 ここまでを確認してやっと気づく。


 ——ああこれは夢だ。

 ——昔の夢をみている。

 ——しかも悪夢だ。

 ——またこの夢か。


 結末を知っているにも関わらず映像は容赦ようしゃなく流れ続ける。


「AとCは前に試した。こっちはまだよね」

「うーん。変化なしか」

「次はBとFの組み合わせならどうかしら」

「反応はあるけれど、大きな変化はなさそうね」

「それでも一歩前進のはず!」

「まだまだやるわよ!」


 理科室の様な場所に女性はいた。


 女性は机に向かい、一心不乱に作業を続けている。目がキラキラと輝き、手には試験管とスポイトが握られている。机の上には、試作品の山が積み上げられていた。


 ——希望に満ちていた。

 ——必ず成功すると考えていた。

 ——失敗もつらくなかった。

 ——この薬がたくさんの人を救えると思えば。



「皆様、ご多忙の中、お集まりいただきありがとうございます!」


わたくしは、このたび、長年の悲願であった『エルストロびょう』の特効薬の開発に成功しました!」


「教授はお一人で今回の薬を作られたのですか!」


「ええ、これは私が一人で開発した新薬です!」


「おお、素晴らしい!」


「この薬は多くの人を救いますよ!」


「さすが、『サカミマ大学病院』次期院長候補筆頭だ!」


「教授は寝る間も惜しんで患者さんたちのために働いたらしい!」


「サカミマの聖人だ!」


「何かご質問がございましたら、挙手をお願いいたします!」


 記者会見の様子が映し出されている。


 カメラのフラッシュによって、会議室は白で埋め尽くされていた。白衣を着た初老の男性が、大勢の記者から賞賛の言葉を浴びている。


 男性は満足そうな顔をしていた。


 ——喜んでいた。

 ——成果が得られたから。

 ——哀しかった。

 ——なかったことにされたから。


「なぜ呼ばれたのか分かるかね」


「……分かりません」


「そうか、まあいい。だが言いたいことはあるだろう」


「あの薬は私の研究の副産物ふくさんぶつです! 教授は何も関わっていない!」


「そうだね、事実はそうだ。だが証拠はない」


「証拠がなくても、みんな知っています! 私が研究を続けていたことを!」


「君が研究をしていたのは『ネオンフィーブ病』だろう。『エルストロ病』ではない」


「屁理屈じゃないですか! 実際に私は薬を開発しました!」


「知っているさ。だが君は私にしか報告しなかった」


「それは……」


「ちょうどよかったのだよ。もうすぐ院長選挙なのでね」


「そんなの嘘をついていい理由にはなりません!」


「嘘も時には必要なことなのだよ」


「もういいです。私は別に名誉が欲しいわけじゃない。研究に戻ります」


「ああ、その必要はないよ」


「は……?」


「君の研究はもう必要ないと言ったのだ」


「……おっしゃっている意味がわかりません」


「万が一にも汚名をこうむるわけにはいかないのだよ」


「君の研究室は全て片付けておいた」



 女性は狭い部屋を飛び出す。廊下を走って、研究室のドアを勢い良く開ける。


 そこには何もなかった。


 四年間の研究成果である『エルストロ病』の特効薬だけじゃない。


 膨大な数の失敗作、組み合わせの結果を示した資料や参考にしていた論文、実験で使っていたスポイトや試験管や動植物。机の中や収納を引っ張り出しても、手袋一つすら残っていなかった。


 女性は絶望し、座り込んでしまう。


 そこに初老の男性がやって来て言う。


「君の学籍は削除しておいた」


「ありがとう。わしの役に立ってくれて」



 ——どこかで信じていた。

 ——努力は無駄じゃない。

 ——意味のないことなんてない。

 ——だから全てを失う。



「……っ!?」


 飛び起きて、ひたいの嫌な汗を拭う。


「まだ、暗いじゃない……」


 カーテン越しの外の世界を見てつぶやく。


 最近よく眠れない日々が続いている。


「仕方ない……」

「顔でも洗おう……」


 口に出すことで無理にでも体を動かす。顔を洗い終えた後は、何もする気が起きず、じっと壁を眺めていた。


まぶしい……」


 いつの間にか、かなりの時間が経っていたらしい。窓から差してくる光を浴びて、少し頭がすっきりする。


「朝ごはんを食べに行こう……」


 動きやすい服装に着替えるために立ち上がる。


 鏡を見ると、ただでさえ悪い目つきが寝不足でさらに悪くなっているが、気にせずに玄関を出る。


「行ってきます」


 誰もいない部屋に向かって、私はそう言い残した。

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