拾われた戦争孤児が魔術師として幸せになるまで
たけ てん
ウィルバートの幼少期
第1話
俺、ウィルバートは6歳の頃から戦場で駆け回っていた。
まだ村で暮らしていた頃から、足の速さだけは誰にも負けなかった。
あの頃、戦争孤児なんて、そこら中に溢れていた。
ただ俺は、少し運が良かっただけ。
俺の、魔力が高いと言われてる真っ赤な瞳が、たまたま中隊長の目に留まった。そして引き取られた。
運が良かった。俺は生き延びられたから。焼き払われた村で生き残ったとしても、食糧なんてない。戦争孤児の中には、衰弱死する奴が大半で、容姿が良ければ奴隷商に攫われ、もっと運が良ければ、孤児院に引き取られるなんてこともあったらしい。
田舎育ちで魔術なんか知らなかったし、隣村には小さな教会に治療の魔術を使える婆さんがいたけど、それ以外は魔術なんて見たこと無かった。
そんなだから教えてくれる人だっていなかった。
戦争がなくて、ずっと村で暮らしていたら、魔術なんか知らないまま一生を終えただろうと思う。
きっと、父ちゃんの畑を手伝って、この村か隣村から嫁を貰って、畑を耕し野菜を育てながら暮らす一生だったと思う。
けど、戦争は起きた。
あれは麦や芋の収穫が終わって、冬が近づいてきた晴れた日の午後だった。
何も知らないまま、武装した人が村に押し寄せた。
人に向かって刃物を振り回し、父ちゃんは「心配するな」と言って玄関をきっちり閉め、獣を捌く大きなナイフを持って玄関を出ていった。
母ちゃんは大きなお腹を抱えながら「何があっても声を出してはダメよ」と言って台所の床下収納に俺を隠した。
外からは、怒号、泣き叫ぶ声、たくさんの足音と、木材が叩き壊される音、色んな音が聞こえた。
ドゴォ! バキイ!
俺の住む家の近くに足音が近づき、玄関を壊された音がして、ごくりと唾を飲み込んだ。
「グゥ」
母ちゃんの声を押し殺したようなくぐもった声が聞こえて、床下収納を隠す床板の隙間から、液体が流れてきた。
水のようにサラサラした物ではなく、少し温かく鉄のような香りがするそれは、血だ。
父ちゃんに狩りに連れていってもらった時に、血を流す仕留めたうさぎが怖くて、ずっと泣いていた時に嗅いだ香り。
どろりどろりと流れて、膝を抱えて小さく震える俺の肩に落ちては背中を伝って床に血溜まりをつくる。
気づいてしまった。この床板の隙間から止まることなく流れて来る血が、母ちゃんの血だということに。
嫌だ。嫌だ! 父ちゃん! 母ちゃんを助けて! 母ちゃんが死んじゃう。母ちゃん!
声は出ない。母ちゃんに声を出してはいけないと言われたからじゃない。母ちゃんを助けるためには声を出して助けを呼ばなければならない事は分かってるのに、喉の奥がカラカラで張り付いて、息を吸うことも吐くこともできず、声が出せない。
ただこの動けない狭い床下で膝を抱え、涙だけがとめどなく流れ落ちていく。
そして俺は意識を手放した。
ーーーーーー
ガタガタガタ バキィッ
床板を剥がされて、火のついた松明の光で照らされた事で俺は眩しくて目を開けた。
あのまま気絶したか、眠ってしまっていたのだろう。
かくれんぼをしていた俺を誰かが見つけてくれた?
ナイフを持って出かけた父ちゃんの姿も、悲鳴も、母ちゃんの……あれは夢だっ……
「ウゥ……」
「生きてるか?」
皺のない綺麗な黒い服を着た男の人に声をかけられ、その腕が俺を掴んで、床下から引き摺り出された。
俺の全身は、真っ赤に血濡れていた。
少し乾いて、服が腕に、背中に、張り付いて……
「か、か、母ちゃんは?」
その男の人に顔を向けると、彼は一瞬目を見開いた後で、静かに顔を横に振った。
マントを翻して立ち上がったその人に促され、壊された玄関から外に出ると、村の中心にある広場へ連れて行かれた。
日が落ちて周りの景色は分からなかったけど、広場には大きな焚き火が焚かれて、そのせいか木が燃えた匂いと煙が辺りに充満していた。
焚き火の向こうに回り込むと、見たことのある近所のおじさんや、お姉さん、おばあちゃん、村の人たちがが、血だらけのまま並べられていた。真っ黒な人みたいな塊も幾つか置いてあった。
何も考えられず、ボーっと並べられた人たちを眺めて、男の人の後について歩いていると、見慣れた服装に目がいく。
「と、父ちゃん……?」
父ちゃんに駆け寄り、手を掴むと、その掌には炭を掴んだかのような火傷の跡があった。肩をゆすって、胸を叩いたけど、酷く冷たい身体の父ちゃんは目を開けなかった。
きっと、父ちゃんは死んだんだ。それだけは分かった。
けど俺は、何も感じなかった。考えないことにした。
そして、父ちゃんの隣の隣に、母ちゃんがいた。
ゆっくり歩いて母ちゃんの元へ行く。
母ちゃんの横に膝をつき、大きなお腹に耳を寄せてみたが、その冷たいお腹はシンと静まり返って、ピクリとも動かなかった。
母ちゃんも、俺のもうすぐ産まれるはずだった弟か妹の命も、消えてしまったんだ。
死ぬってことは知ってた。
父ちゃんの狩りについていって仕留めたうさぎを見た時に、命を奪うことが怖くて、消えゆく命を見ているのが怖くて、それを食べる自分のことも怖くて、ずっと泣いてた。
でも父ちゃんは、
「命を奪って、その命を戴くのだから、残してはいけないよ。このウサギの命は無くなってしまったけど、ウィルバートの命の一部となるんだ。悲しい、怖いではなく、感謝をするんだ」
そう言ってた。
じゃあ、食べられることがないのに失われた父ちゃんと母ちゃんの命は?
怒りも、悲しみも、苦しさも、何の感情も湧いてくることはなかった。
この今にも溢れそうな感情を解放したら、心が身体がバラバラになってしまうと思った。
だから拳をギュッと握って、爪が食い込んで血が滲んでも何も感じない。
感情なんか持ってないってことにして、奥底に、絶対に絶対に出てこないよう奥底に、ギュッと圧縮して閉じ込めた。
父ちゃんと母ちゃんの命は無くなってしまったけど、周りにいるさっきの男と同じ服を着た人たちも、金属の鎧を着た人たちも、俺の命を取ろうとはしなかった。
……別に取ってくれてもよかったのに。
さっきとは別のマントを着た男の人が、手からお水を出して血塗れの俺を洗って風で乾かしてくれた。そして、少しの野菜が入った温かいスープと、硬いパンをくれた。
温かいことは分かったけど、何の味もしなかった。
パンは硬くて噛めなくて、スープに浸して柔らかくして食べた。
スープとパンを食べたら、父ちゃんのところに戻って、父ちゃんの隣に横になっていたら、いつの間にか眠っていた。
朝日で目が覚めたら、誰か俺に厚い布を掛けてくれていた。
起き上がって周りを見渡すと、ここが産まれてからずっと暮らしてきた村だとは分からないくらい酷い状態だった。いくつかの家からはまだ煙が昇っていたし、真っ黒に焼けた家、バラバラに破壊された家、刃物や千切れた布、至る所に血溜まりがあって、農機具や木の破片なども散乱していた。
周りは壊れた家ばかりで、自分が育った家がどれかも分からなかった。
父ちゃんのナイフが、なぜか刃の部分だけ燃えたように真っ黒になって落ちてるのを見た。
明るいところで見る父ちゃんと母ちゃんは、服が赤黒く血で染まり、切り裂かれた痕からは肉が見えていた。顔は真っ白で、他人みたいだった。
俺は、近くの家の脇に生えている黄色い小さな花を摘んで、父ちゃんと母ちゃんの上に、他の横たえられた村の人の上にも、黄色い花があるだけ置いた。
花がもう無くて、全員には無理だった。
そして俺は父ちゃんの中指に嵌められていた金色のゴツい指輪と、母ちゃんの薬指に嵌められていた赤い石の付いた銀色の細い指輪をその指から外し、形見として紐に通して首にかけた。
そんなことをしていると、昨日の男の人に、村を出るから着いてこいと言われ、馬に乗せられた。
もう家族も知り合いもおらず、村も壊滅し、畑も無惨に荒らされ、どこにも行く宛がない俺には、着いてこいという言葉を拒否するという選択肢なんか無かった。
俺はこれから、産まれたこの村を離れる。
今は力が無くて何もできないけど、いつか大人になるまで生きてたら、ここに父ちゃんと母ちゃんと、村のみんなのお墓を建てるよ。
それまでサヨナラだよ……。
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