第7話 主人公との邂逅


「レア様、もうお体はよろしいんですの?」


 教室へ着くとすぐに、数人の女子生徒が寄ってくる。アランは自然に距離を取ると、一つ後ろの席へと着いた。そこが護衛としての距離なのだろう。


「それが、まだあまり」


 私が言うと、まあ、と一人が頬に手を当てた。一応、機密に近い情報のはずなのだが、さすがレア王女の取り巻きといったところだろうか。上位貴族の集まりである彼女たちは私の記憶が曖昧なのは承知のようだった。


「では改めて自己紹介させていただきますわね。私がエミリと申します。彼女がナリアであの子はトリアですわ」


 エミリが右横のショートボブをナリア、左の二つ結びをトレアと指し示すのにありがとう、と微笑みながらも内心覚えられる気がしないな、とため息をつく。

 それにしても。

 話している感じだと彼女たちはとても上品で、先ほどから言葉にするのは気遣いや優しさばかりだった。こんな子たちと主人公を虐めていたなんて想像もできないなーーなんて、私は少し安心していたのかもしれない。しかしそんな気持ちは次の瞬間打ち砕かれた。


「あら転校生さん」


 私の席の右後ろ、今しがた小さな音を立ててクラスへと入ってきた少女に向けられた三人の顔は、先ほどまでとうってかわって嫌な笑みが張り付いていた。人間、一瞬でこんなに表情が醜悪に変わるものなのかと目の前の変化に軽くショックを受けてしまう。

 私も恐る恐る後ろへ目をやると、やはりというか、そこにはこの世界で初めて目にする「主人公」がいた。


(イチカ…)


 茶色がかった豊かな髪を腰まで伸ばして、学院の制服に身を包んだ主人公。恐らく私がここのどのキャラクターよりも見慣れているシルエットだ。こちらに向けられた目は丸く大きくて、ああこんな可愛らしい顔をしていたのだと、乙女ゲームでは主人公の顔を映すことはあまり無いから新鮮な思いで見つめてしまう。

 私がここにいるのに、イチカという存在が別のものとして今そこにいる。なんだか変な感じだった。


「おはようございます」


 ニコリ、と音が出そうなほど綺麗な笑顔で、先ほどから向けられている嫌味な視線なんてなんのその、柔らかく挨拶をしてくる。その様子にエミリたちからはぎりっと歯軋りが聞こえるが多分、イチカはごくごく素直に挨拶をしているだけだ。一昨日まで彼女を動かしていた私には分かる。


「おはよ」


 イチカへと力無く笑いかけた私に、ギョッとした視線をエミリたちが向けてきた。

 やっぱり主人公らしい主人公だなぁ。可愛いなぁ。そんなことで頭がいっぱいだった私は、イチカの後ろをピタリとついてくる男子生徒が誰よりも驚いた顔を向けていたことにも気がつかなかったのだった。




 よかった、分かるかもしれない。

 あれから意を決して開いたテキストを見て、私はホッと息をついた。並ぶ文字は、私が義務教育を受けてきた過程では通ってきてはいないものばかりであったが、この国の言葉を問題なく話せているようにこの体に染みついている知識もあったらしい。

 それにしても。

 分かって、これか。

 知識はあるはずなのに、開いた問題集の半分も解けない。これは絶対にレア王女の頭の問題だ。

 状況を知っている教師たちから私が授業で指されることはないだろうとは思うけれど、この体を借りる身としてはなんとも情けない。


(ルドルフにも呆れられてたもんなぁ)


 教科書の端を爪でいじる。よれたページでは周辺諸国の歴史が紡がれていた。


(にしてもさぁ)


 今は三限目、問題なく過ごしていたけれど先ほどから罪悪感で胸が痛い。授業ごとの休み時間、彼女が、イチカが誰かと喋っているところなどなく。そもそも朝から彼女に話しかけているクラスメイトなど見た覚えがない。

 それもそうだ。この国の王女から目をつけられている相手など、下手に構おうものなら自身がどうなるか分かったもんじゃない。そんなリスクを犯してまで彼女と仲良くなろうとする者などいるわけがなかった。


(私はどうしてたっけ)


 学力をあげるコマンド選択はあったけれど、そんなものゲームにおいてはボタンひとつで終わることだ。実際は、こうして数十分机に向かっている。

 

(ネフェルムになるには一定の学力をあげなくてはいけなくて、他にも運動とか魅力とか…)


 そもそも乙女ゲームで大事なのは放課後とか学外のイベントごとなのだから、私は学校にいる時間は忙しなく動き回っていた気がする。実際、先ほどから休み時間になるたびにイチカも席を外していた。

 この世界に連れてきた『妖精』とやらはイチカ以外には見えなくて。彼?と話すために人気のいない場所への行動選択もしなければならない。


(忙しいなぁ)


 この先の展開が分かっている私だけでも彼女の力になれたら。

 そんなのは甘い考えであったことを、私はすぐに思い知るのだった。

 

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