第2話 聖女ルルア
「結局……王都では、誰も優しくはしてくれなかったわね……」
勝手なものだと思う。
聖女の力を欲し、ルルアの気持ちは無視して連れてきたというのに。
誰もルルア本人に気を遣ってくることはなかった。
年を重ねるにつれ、着るモノは粗末になり、部屋は簡素になっていく。
自分の価値が落ちて行くような気がした。
それについて、誰も何も言わないし、気を使ってくれることもない。
着るモノも、部屋も、どうでも良かったけれど。
なぜかルルアは、とても惨めな思いをした。
本来であれば、婚約者から色々な贈り物がなされるらしい。
だがルルアは、セルジオから何かを贈られた記憶はなかった。
「別に物なんか要らないけど……」
十七歳になったルルアは、成人聖女として日々仕事をしている。
「忙しすぎるのよ……」
子供の頃は気付いていなかった。
仕事もしなければならないし、勉強もしなければならない。
そのせいで忙しいのだと、思っていた。
「みんなの仕事を私ひとりに押し付けて……」
ルルアは既に気付いていた。
聖女としての仕事を殆どひとりでこなしていたことに。
「おかしいと思ったのよ。私と同じように仕事をしていたら、お茶会に出る時間もない筈なのに、って」
同じ年頃の貴族女性も。
年上の貴族女性も。
年下の貴族女性も。
貴族女性は社交に忙しい。
平民出身のルルアは聖女の地位にいても、お茶会に呼ばれることすらない。
第三王子に嫌われていてエスコートをしてくれないから、舞踏会にも出たことはない。
そもそも、華やかな場に着ていけるようなドレスを持っていない。
貴族社会のなかに宝石のひとつも持っていない自分に出掛けられるような社交場はないのだ。
「何の為に陛下は私を第三王子の婚約者にしたのかしら?」
王都に連れて来られ、第三王子の婚約者となった時。
ルルアは故郷の両親に、国王が後ろ盾になってくれた、という趣旨の手紙を書いたように記憶している。
だから、両親はそのように思っているだろうし、ルルアもそう思っていた。
「でも、冷静に考えたら変よね? 私は何もして貰ってはいないわ」
最初の頃は、少しは気を使ってくれていたように思う。
ドレスだって、最初から無かったわけじゃない。
用意して貰ったから、王宮に上がって第三王子との婚約を整えることができたのだ。
今はドレスなどない。
聖女の着る制服しか、クローゼットには入っていない。
寝巻すら満足に与えられず、ルルアは下着で寝るしかなかった。
「聖女としての仕事はしているのですもの。お給料が貰えれば、その中でやりくりするのに……」
ところが。聖女は基本、無給だ。
生活の面倒はみて貰っているが、支給品が来るだけである。
「食事も出るけど……私は部屋で食べるから、他の人たちがどんな物を食べているか知らないわ」
食堂もあるし、出掛けていけば、その先で宴会などもある。
そこにルルアの姿はない。
良い匂いを嗅ぐことはあるけれど。
その匂いがしているものを食べたことはない。
「遠征先で地元の方が気を使って色々と用意してくれることがあるけれど。基本的にお付きの人が断ってしまうから……」
ルルアが口にするものは、パンとスープと水。
だいたい、そう決まっている。
作業が長引いて、その場で食べなければいけない時にはサンドイッチ。
それは特別なご馳走になる。
「冷静に考えたら、なぜそこまで質素な食べ物にしなければいけないのか、分からないわ。聖女には食べてはいけない食べ物は、特にないはずなのに……」
空腹に悩まされるほどではないが、ルルアだって美味しい物が食べたいという欲求くらいはある。
あと……。
「寝たいわ。たっぷりと、寝たいわ……」
最近は、特に忙しかった。
寝る時間も惜しんで結界を張ったのだ。
子供の頃には気付かなかったが、聖女たちがルルアに仕事を押し付けてきたツケは確実に出始めている。
ルルアが手を入れていた結界だが、子供の仕事では限界がある。
過去の聖女たちの働きにより、現在は王都から全国の結界を張り直すことが可能だ。
だが、それはキチンと管理していればこその話である。
途中で子供任せにした結果、王都からだけでは限界が来てしまった。
遠征といっても王都との境程度までしか行ったことはないが、これからは全国を回る必要が出てくるだろう。
「危険性は事前に説明したはずなのに。誰も相手にしてくれないから」
結界が弱くなっていることに気付いたルルアは、神殿の神官たちに報告したのだ。
しかし、彼らは相手にしてくれない。
ルルアが大袈裟に言っている、だの、遊びに行きたくて言っているのではないのか、だの、反応は散々だった。
しかし、怖れていたことは起きてしまった。
森に魔物が出たのだ。
結界のどこかが緩んでいて、そこから入り込んだのだろう。
王都近くに魔物が出たことなど近年にはなく、大騒ぎになった。
その責をルルアは問われているのだ。
「そもそも、私が責任を問われること、そのものがオカシイのよね。なぜ全責任が私ということになっているの? 聖女は他にもいるはずよ。例えばユリナさまとかね」
いつの間にそうなったのか知らないが、ルルアは聖女の最高責任者にされていた。
聖女に若い女性が多いといっても、たかだか十七歳の少女に全責任を持たせるとか極端ではないだろうか。
「人材不足なのかしら?」
聖女の肩書を持つ女性は、年上にも年下にも沢山いた筈だけどと思い返してみる。
ルルアと違う事と言えば、平民と貴族の違いだろうか。
「平民の聖女が嫌なら、最初から王都に連れて来なければ良かったのに……」
あの日。
国王陛下を助けたことすら後悔するほど、王都での生活はルルアにとって辛かった。
第三王子の婚約者としての立場も要らない。
何もしてくれないどころか、自分を嫌い、攻撃してくるような男の妻になど、誰がなりたいものか。
「それをそのまま言ったら、不敬になってしまうわね……」
言ったところで何も変わらないなら、言う必要もない。
そう諦めて生きてきたけれど。
「聖女の地位を奪われる前に思ったままを叫んでおけば、何か変わったかしら?」
今となっては分からないことだ。
婚約破棄がなされようと、取り消されようと。
何か大切なものがポッキリと折れてしまった気がする。
「帰れるものなら、帰りたいなぁ……」
今頃になって里に返されるのなら、なんのために連れてきたのか?
この十年は、何のための十年だったのか?
無力感に体から力が抜けていく。
「我慢とか……要らなかったのかな……。不敬に……いや、聖女なら何を言っても不敬にはならなかったかな……うーん……」
何だか全てがよく分からないし、どうでもよくなったルルアは、意識を手放した。
そして久しぶりにグッスリ眠った。
目が覚めた頃には、ルルアの帰郷の準備が整っていて。
「夢じゃないの?」
と、お付きの人に確認して笑われた。
「お前はもう聖女じゃない。とっとと村に帰れ」
吐き捨てるように言われたルルアは思わず笑った。
解放されると実感すればするほど。
ルルアは笑いが止まらなかった。
国王陛下に話はしっかり届いていたようで、ルルアの帰郷は順調に進められた。
朝早く起こされたルルアは、そのまま馬車に放り込まれ。
その日の夕方には生まれ故郷の村についていた。
「こんなに近かったなんて……」
十年、帰ることのなかった村は記憶よりもはるかに近かった。
ルルアが村人の中から見つけた両親は、記憶よりも年を取っていたが。
ルルアの姿を認めると一心不乱に駆け寄ってきた。
ふたりはルルアをしっかりと抱きしめると、大粒の涙を流しながら何度も何度も愛しい子供の名を呼んだ。
ルルアも両親の体をしっかりと抱きしめ返し、涙でグズグズになった声で。
「お父さん……お母さん……」
と、何度も呼んだのだった。
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