第2話 -1
ベティーは、丁寧に宛先を見ながら郵便物を仕分けしていた。神団の第三部隊所属の女神として配属されてから一週間が過ぎた。
この一週間でベティーがしたことは、事務方の雑用ばかりで本来の女神の仕事は一切していない。第三部隊に届く郵便物の仕分けやコピーを取るように言われた資料のコピー取り、届けてほしいと言われた書類を他の部署へ届けに行き、たまったごみを捨てに行くなど、女神がやるような仕事ではなかった。
ベティーとしては与えられた仕事を一生懸命するだけなので不満に思うことはないが、そもそも女神がどのような仕事をしているのかをはっきりと理解していなかったこともある。
世界機関内のことは秘密が多い。神将たちがどのように魔物から世界を守っているのかは、世間には正確に伝わっていない。一般の人から見れば、神将は秘密主義だと言われている。
ベティーは学園で魔物の種類や性質、歴史的な事件、神将の力や女神のことを学んできたが、具体的に神将たちがどのように仕事をしているのかは知らなかった。そしてこのニューヨークに配属されてから、第三部隊の所属になっても神将たちが何をしているのかがわからない。
第三部隊の神将は隊長ホレスを含めて二十人いる。
ベティーはまだ、隊長と副隊長に数人の神将しか会ったことがなく、隊長からはおいおい紹介すると言われていた。今は任務で半数以上がいないと隊長に聞き、魔物退治はこの近辺だけとは限らないのだと感心したりもした。なにより第三部隊の神将が二十人しかいないことにベティーは驚いた。神将と呼ばれる者たちの数が少ないとは聞いていたが、本当に少なかった。
この神団には九部隊あり、一部隊二十人で構成されている。つまり神団には百八十人の神将しかいないということだ。同様に、十一神将から二十神将で構成されているニューヨーク部隊は十部隊あり、一部隊五十人と聞いているので、それでも五百人しかいない。神将と呼ばれる者たちは、大都市ニューヨークでさえも上層部の神将たちを含めても七百人を少し超える人数しかいなかった。
世界機関で働ける者は、力を持った者たちのみである。神将になれるほどの力はなくても、一般人に比べれば十分に魔物と戦う力を持った者たちがいる。その者たちは準将と呼ばれ、ニューヨーク準部隊に所属していた。その数は五千人ほどと、ニューヨーク機関の案内書には書かれてあった。
ニューヨーク機関は、北米大陸のほぼ半分を担当している。この広大な北米大陸を守る上では、この人数では明らかに足りない。
魔物たちは、常にこの世界に侵入してくる。小さな虫のような魔物でも見過ごすことは命取りであり、小さかろうと魔物は魔物で人の命を奪いにくる。なにより魔物は瘴気を発しており、瘴気は人の体に害を与えるだけではなく、より大きな魔物を呼び寄せる原因になる。だから、どんなに小さな魔物でも見逃すことはできない。どこに現れるかわからない魔物から、この広大な北米を守るのに六千人弱しかいないのは厳しいのではないかとベティーは思ったのだ。
「ロイド事務局長」
一人の神将が事務局に入ってくると、第三部隊の事務方のトップである事務局長の席を見て立ち止まった。ベティーは神将が来たことに心臓が高鳴り、失礼にならない程度に室内に入ってきた神将をちらちらと見る。常ににこやかな笑みを浮かべており、奇麗なミルクティー色の髪と瞳をした八神将ニックだ。
神将は全員容姿が良く、容姿が悪い者はほとんどいない。力が強ければ強いほど、まるで神の如く容姿が美麗であるのが特徴である。力のない一般人に言わせれば、人外は昔から人を惑わすために美しい容姿をしているということだ。力のない者たちは、畏怖を抱きながらも神将たちをそのようにやゆする。神将たちは自分の容姿を気にする者はほとんどいないが、それでも自分たちの容姿が良いことを知っていた。
「ロイド事務局長は会議に出席しております。一時間後には戻りますよ」
ベティーの隣に席に座る事務方のマーティンがニックに声をかけると、ニックはこちらを見て頷いた。
この第三部隊の事務を扱う部署で働くのは、事務局長を入れて六人のおじさまたちだ。六人ともベティーの父親ぐらいの年齢で、事務局長は五十歳を超えており、ベティーから見たら祖父ともいえる年齢であった。だからだろうか、事務局長がベティーと話をしている姿は好々爺らしい。
事務方に勤めている者たちは神将のように魔物と戦えないが、一般の者たちと同じとは言えない。虫程度の魔物なら払うことができる能力を持っている。この機関にはこのような力を持った者たちが、二万人近く働いている。
ニックはちらりとベティーを見ると、にこやかな笑顔のまま、こんにちはと声をかけてきた。
「はい、こんにちは。お疲れさまです」
この一週間、第三部隊の神将と会うのはこれで二回目である。
「こんなところで何をしているのだ? 女神が事務局にいることなどないのだが」
ベティーは目をまんまるにして言葉に詰まる。
この第三部隊に所属する女神は、ベティーを入れて十二人いる。しかし、ベティーはまだ一度も他の女神たちと会ったことがなかった。事務局にいるのはベティーを含めて三人で、先ほどニックに声をかけていたマーティンがその疑問に答えてくれた。
「ベティーくんは新人ですので、早く第三部隊に慣れてもらうためにここで研修期間中です」
ニックは笑顔のまま、ちらりとマーティンを見ると小さく鼻で笑った。
「女神の仕事から省かれたわけだな。女神に研修など必要ないのに」
ドキッと心臓が鳴る。不安が心の中に広がり、ベティーは勇気をもってニックに聞こうと決心した。
「女神は、どのような仕事をするのでしょうか? 」
「え? 知らないの? この機関に入れる人なら知っていることだ。誰もが説明を受けている」
ベティーは説明など受けていないと言いそうになった。女神がどのような仕事をするのかも案内書には書いていなかった。神将に力を与えることは知っているが、それだけしか知らない。
「神団に入るのもテストがある。そのテストにも出てきたはずだ」
もちろん、そんなテストを受けていなかったため、ベティーは動揺したように両手を握りしめた。
そのとき、ふらりと音もなく、小柄な神将が事務局に入ってきた。初めて見る灰色の髪と瞳をした神将は無表情で室内を見渡し、ニックを見つけると感情のない声で要件だけを言った。
「ニック、カルサス様が呼んでいる」
「yes」
笑顔で答えると、ニックはベティーに軽く手を振り、事務局から去っていった。灰色の髪と瞳をした神将はベティーを見ると少し顔をしかめた。
「新人くん、ニックの言うことは全部うそだからね」
「はい? 」
神将の制服の右側のポケットのあたりが、何かすごい勢いで動いている。思わず、話よりもそちらの方に気を取られてしまった。ポケットのあたりが何かが暴れているように激しく波打ち動いているのだ。神将が動いている方のポケットを軽くたたくと動きが止まり、逆の左のポケットが動き出した。
「ニックは嘘しか言わないから信じないように」
何が嘘だというのだろうかと思いながらも、それよりもベティーの目はポケットに釘付けだ。
「女神のことなど、神将も知らないことが多いから」
それだけを言うと背中を向けて、扉へと悠然と歩いていく。左右のポケットはボコボコと動いているままだ。小柄な神将が事務局を出て行くと、ようやくベティーは我に返った。
「ベティーくん、気にしてはいけないよ」
父親のようなマーティンの穏やかな声音に、ベティーは思わず素直に聞いてしまった。
「どちらを‥‥ですか? 」
「両方。先ほどのニック八神将の話は八割が嘘だよ。女神が神団に入るのにテストはないし、女神の仕事の説明など誰も受けない。ああ、女神にも研修はあるよ」
ベティーはあぜんとマーティンを見てしまう。
ニックが話していたことのほとんどが嘘だということだ。マーティンは困った顔で苦笑した。
「もう一人は、チャック七神将のポケットの中は考えない方がいい。ろくでもない生き物を飼っているから、知らなければよかったと思うだろう」
「‥‥でも、気になります」
「まあ、そうだよね。あのポケットの中には色々といるらしいよ。私の知る限りでは、サソリがいるのを見たな」
思わずベティーは、冷静に突っ込む。
「サソリはあれほど上下に激しく動かないと思います」
「そうだね。うん、だから危険な生き物が暴れていたんだと思う。彼はいつもポケットに生き物を入れているんだよ」
言葉なく、マーティンと見つめ合う。彼はにっこりとほほ笑むと、何かを乗り越えたような穏やかなほほ笑みを浮かべたまま、ベティーにしみじみと言った。
「神将に癖のない者はいないからね。嘘ばっかり言おうと制服の中に凶悪な生き物を飼っていようと、そういうものだと思ってね。個性というか、性格だと思って受け入れてあげてください」
「はい」
ベティーは個性的な神将様だと素直に思い頷いた。
ニックが言っていたことのほとんどが嘘だとしても、本当のこともある。
女神の仕事から省かれたというのは、本当のことだと思った。ベティーはまだ一度も自分の中の神の力を引き出して使われたことがない。練習相手もいなかった。その状態なのだから、女神の仕事ができると思われないのは当然のことだろう。
「ここには、第三部隊の神将たちがよく来るからね。彼らをよく知ることができるよ」
慰めの言葉にベティーは素直に頷いた。女神の仕事とは一番は神将に力を与えることである。力を与えるには、神将のことを知らなければならない。だからここで研修なのだと理解すると、自分は見捨てられていないから大丈夫だと改めて気合を入れた。
「はい。大丈夫です」
大真面目にうなずくとマーティンはようやく少しほっとした顔になり、自分の仕事に戻った。
ベティーも自分の仕事に戻ると、たくさんの郵便物を見ながら神将を知る上でこの仕事も重要だと思った。
ここは第三部隊専用の建物で、事務局も第三部隊の事務を一手に行っている。
つまり、ここに来ている郵便物は、第三部隊の任務に関わるものだということだ。思ったよりも色々な場所から郵便物が届いており、その中にはヨーロッパ大陸からの郵便物も多数あった。郵便物は有名な歌手のコンサート会場の案内から、絵画の展示会案内状までと多種多様で一貫性がない。それはどこにでも魔物は現れるということだ。
興味津々で郵便物の仕分けをしていると、一つのはがきに手を止める。
神団の第三部隊宛となっているだけで、差出人は名前しか書かれていなかった。そして、はがきの裏は写真のみ。
どこまでも続く麦畑の写真。
今は三月だから、今の季節の写真ではないだろう。
太陽が沈みそうな夕闇の中で、金の穂が揺れている美しい風景の写真だった。夕暮れに金の穂がどこまでも広がり揺れている中に、女性がいる幻想的な写真。
写真を見ながら、ベティーは首をかしげた。
なぜ、このようなはがきが神団に届いたのだろうか。そして、平凡な夕暮れ時の麦畑を写したはがきでしかないのに、見ているうちに理由はわからないが寒気がした。なぜ、そのように思ったのかはわからないが、でもとても恐ろしい風景に思えた。
ベティーは無意識のうちにその絵はがきだけを別な場所によけた。しかし、この絵はがきについて誰かに話すようなことはしなかった。
第一部隊から第九部隊専用の独立した建物が立ち並び、その奥に神団共通の建物がある。その建物には食堂や会議室、闘技場、図書館、映画館などあらゆる施設が入っており、部隊関係なく使用できた。食堂はその建物しかないため、ベティーは昼食の時にはその建物に行くしかなかった。
最近は食堂に行くのが嫌だと思うことがたびたびあった。食堂には多くの神将、または女神たちがいる。その中でベティーはとても奇異な目で見られている自覚があった。
「なんだ、あれは? 」
「あれが今年入った新人の」
「うそだろう、信じられない」
「ありえないぐらいブサイクだ。神の力もほとんど感じない」
そんな神将たちの言葉を何度も聞いている。噂をするだけで、女神たちも神将たちも誰一人としてベティーに声をかける者はいなかった。
神将や女神たちが美しいのは当たり前で、わかっていたことだが、高位の神将や女神たちが桁違いに姿形が良いことは神団に来てからわかったことだった。その中ではベティーの姿はありえないほどおぞましい、そう自分でも思うほどであった。
もちろん、ベティーの容貌を悪く言う神将ばかりではない。
悪く言わない神将たちはベティーに興味がなかった。だから、ベティーの女神としての訓練はまったく進んでいなかった。学園でも神将候補生たちに相手にされず、馬鹿にする男の子もいたが、機関に来れば女神として役に立つと思って期待していた。しかし、ベティーの立場はとても難しいものになっていた。
食堂に入ると邪魔にならないように人を避けながら、簡単に食べられるサンドイッチとスープと紅茶を取ると、端っこの席へと向かう。
「なんだ、これ」
席の横を通りすぎたとき、そんな若い男の声が聞こえ、ベティーは思わず立ち止まりそちらを見る。
まだ神将のなったばかりといえるほどの若い青年が、睨みつけていた。その周りには同じような年代の若い青年たちが、食事をしていた手を止めてベティーを見ていた。
「なんで、こんなのがここにいるんだ? 女神? ふざけんなよ」
あからさまにそのように言われたのは、初めてだった。怒りさえも含んだ視線にベティーは怖いと思いながらも顔を見る。知らない神将であったし、おそらく、今、初めて会ったはずだ。
「命がけだというのに、こんなのが女神とか冗談じゃない。おまえが来たことで、俺たちを助ける女神が来なかった。おまえ、どこか消えろよ。ニューヨーク部隊の女神と交換してほしい。まだ、ましだ」
彼の暴言を一緒にいる他の青年たちは止めなかった。それどころか、馬鹿にしたようにベティーを見ている。ベティーは、ぐっと息を止めて震えを抑える。一生懸命に震える気持ちを抑えて、今言えることだけを言った。
「私は機関より辞令をもらって第三部隊所属になりました。あなたがそのようなことを言うのはおかしいことです」
「あ? 」
若い青年の荒んだ瞳がいつのまにか目の前にあり、ベティーは胸元のブラウスを掴まれ、上へと持ち上げられた。食器が落ちる音が聞こえ、何をされたのか分からず、ベティーは息苦しさに目の前が霞んで見えた。
「ぐっ」
すぐに低くつぶれたような声が聞こえ、息苦しさがなくなる。ベティーは肩で息をしながら青年の腕を掴んでいる背の高い男性を仰ぎ見て、そして呆然となった。二人から距離を置くように肩に手を置かれ、少し後ろへと引っぱられた。そして背中を優しく撫でられる。
「落ち着いて、ちゃんと呼吸をしてください」
そのように言われて、自分がいつのまにか過呼吸のように息ができなくなっていることに気が付いた。ベティーは言われるままに意識して呼吸をすると、次第に落ち着いてくる。後ろに誰がいるのかと振り返ると、またあんぐりと口を開き、間抜けな顔で見とれてしまった。
「第六のようですね。教育がなっていないと言っておきましょう」
「下の階級からやり直した方がいいだろう。迷惑だ」
青年の周りにいた同世代のものたちは、青ざめ、後ずさる。
まだ腕を掴まれている青年は苦しいのか、どす黒い顔色に変わっていた。それも掴まれている手も、手首より上からは黒ずんでいる。手首からみしっと音がし、ベティーは青年に胸元を掴まれたことよりも怖かった。青年は耐えきれずに床に膝をつくと、ようやく男性は手を離した。どっと、青年は手首を抑えながら床に倒れた。
「人に文句を言う前に己の弱さを責めろ」
厳しい言葉の後、紫の瞳がベティーを見てぴくりと微かに眉が上がった。
ベティーは信じられないと、言葉にならない衝撃を受けた。こんなに美しい人を見るのは初めてだった。神将も女神も美しいのは当たり前であるが、この目の前の男性の美しさは人外であり、使い古された言葉ではあるが神の領域といってもよい。
「このような若い少女に暴力をふるうなど、とんでもないことです」
ぞくぞくするほどの美声に、ベティーは後ろにいる青い髪の美神とも言える男性をまともに見ることができなかった。この男性もとても美しい。
「大丈夫ですか? 確か、今年入りました新人女神さんでしょう? 」
女性的で優しげな美貌をにっこりとさせ、神将はベティーの顔を覗き込む。
「あ、あ、あの」
「落ち着いてください。あれの方からいちゃもんをつけていたのを見ていますから、あなたが被害者なのはわかっています。見ていた者も大勢いますし、私もしっかりと証言します。自己紹介が遅れましたね。第七部隊隊長、階級は特将です。レイスターといいます。はじめまして、ようこそ、ニューヨークへ」
ベティーは涙目になる。偉い人だ。それだけは、はっきりと理解した。
「そこにいるのが第一部隊隊長をしているアレスです。私たちが見ていたので、あなたが不利になることはありません」
安心させるように優しく言われるが、ベティーはよけい涙目になった。あの紫の瞳の美しい男性も偉い人だ。神将のトップたちに、ベティーはわなわな震えた。
神将の階級の中でも大都市にしか存在しない階級が特将だ。大都市二十都市のみに置かれた特将という地位は、神将たちの頂点というだけではなく、都市の縛りを超えた権限を持つ特別な存在である。ベティーにとっては雲の上の存在であり、気軽に会える人たちではない。
涙に耐えるベティーの顔は、すごいことになっていた。悲しみに耐える間の抜けたパグ犬、いや、ブサカワわんこといった愛嬌満載な顔に、二人の隊長が思わず小さく唸っていることを知らなかった。
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