第44話
栗山が新年になって初めての出張で訪れた日、僕は夕方から会う約束をした。
金曜日の日帰り出張で、時間も限られていたため、栗山が特急電車に乗る駅のすぐ近くにあるコーヒーショップに入った。
「センター試験で来てるのかな?」
栗山が視線を向けていた大通りを、学生服を着た高校生と思われる集団が歩いていた。
「あぁ、前泊か」
「光輝君も、いよいよなんだよな」
「そうだねぇ……」
「まぁ、勉強に関しては、濱本から斜め遺伝してるし、そんなに心配することないか」
「斜め遺伝?」
「叔父と甥っ子だから。郭志が言ってた」
「えっ、郭志君が?」
「そう」
「そんなこと言ってたんだ」
自分のいないところで、栗山が息子と話題にしていることが何だか嬉しくて、僕はつい頬が緩んでしまった。そして、同性愛者であることも斜め遺伝したんだなぁ、と思った。
「すごいよな、同じ高校にトップ入学するんだからさぁ……」
「まぁ、そうそうあることじゃない、とは思うけど……」
僕たちが小さく頷き合っていると、テーブルに置いてある栗山のスマートフォンが振動した。
「ちょっと、ごめんな」
「あぁ、うん」
「何か、嫌な予感がするんだよな……」
予感は当たっていたようで、画面を見つめる栗山の表情が曇った。
「えっ、何?」
「十二月にさぁ、風邪ひいて三日連続で会社を休んだことがあったんだよ」
「えっ、三日も?」
「そのときに、同じ会社の女の子が見舞いに来て、料理作ってくれたりしたんだけど、それ以来、その子から言い寄られてさぁ……」
栗山はやれやれといった顔で、スマートフォンの画面上で指を動かし始めた。
「へぇ……。その子って、いくつなの?」
「明日で二十七」
「えっ、二十七?」
「まぁ、そういうリアクションになるよな」
「明日で、ってことは、明日が誕生日?」
「それで、お祝いしてくださいよ、っていうメールを送ってきた」
「えっ、一緒にごはんにでも、とか誘ってきてるの?」
「そこまでは書いてないけど、いいよ、って返したら、そういうことになるだろうな」
「はぁ……」
「自分で言ってくるかねぇ……」
呆れたように言う栗山の姿が、僕が同性愛者であることを打ち明けた夜の、佐藤からの誘いにうんざりする藤田と重なって見えた。
「えっ、何?」
栗山に見つめ返され、僕はさりげなく視線を外した。
「いや、去年もそういうことあったなぁ、って思い出してた」
「そういうこと?」
「仕事を発注してくれる会社に、すごくもてる男の子がいて、当時言い寄られてた女の子から、誕生日を祝ってほしい、ってごはんに誘われてたんだけど、それを断るために、僕と飲みに行ったことがあったんだよ」
「へぇ……。その二人って、濱本よりも年下だよな?」
「男の子が三十二で、女の子は……二十四だったはず」
「じゃあ、言い寄ってくる二十四の女の子より、四十五の濱本を選んだ、ってことか」
「そのときは、まだ四十四だよ」
「そこにこだわるのかよ」
栗山は笑い混じりに言ってから、スマートフォンをテーブルに置いた。
「お祝いするの?」
「会社にはもっと若くてかっこいい男性がいるんだから、素敵な相手を見つけて誘ってください」
「えっ、そう返したの?」
「会社内で結構人気がある子だから、簡単に見つかると思うんだよ。実際、その子をいいなと思ってるやつは何人かいるみたいだし」
「でも、その子は、自分のことをいいなと思ってくれてる、若くてかっこいい男性より、四十五の栗山がいい、ってことでしょ?」
「高校生の息子がいる、四十五のおじさんを選んでどうするんだよ」
「その子って、結婚なんかも考えて、栗山と付き合いたいと思ってるのかなぁ……?」
「どうなんだろうな」
「そういう話にはならないの?」
「そういう話なんかしたら、俺が再婚を意識してると思われかねないだろ」
「再婚は考えてないんだ」
「今の俺には無理だよ」
「無理なことはないと思うけどなぁ……。高校生の息子がいる、四十五のおじさんだとしても……、栗山はかっこいいんだから」
「何言い出すんだよ、いきなり」
「でも、本当にそう思うからさぁ……」
「照れ臭いって」
栗山は言葉通りの表情になり、カフェラテのカップを口へ運んだ。
「僕は容赦なく褒めるから」
「容赦してくれよ」
「学校一のモテ男がそんなに照れるなんて、ちょっと予想外だなぁ……」
「学校一の優等生にそんなこと言われたら、思いのほか照れ臭くなっちゃったよ」
カフェラテをもう一口飲んでから、栗山はゆっくりと息をついた。
「俺さぁ……、今は、同性愛者なんだよ」
肝心な言葉のところで、カップか何かが割れる音が響き渡り、謝る店員たちの声が聞こえてきた。
「えっ、そうなの……?」
栗山は目を伏せたまま頷いた。
「今は、って……」
「中学生のときから、そうかもしれない、って意識はあったんだけど、認めるのが怖くてさぁ……、自分をごまかしながら、女と付き合ってきたんだよ。結婚もして、郭志も生まれて、幸せな家庭を築けてたんだけど……、男を好きになる感情がなくなることはなかった」
「そうだったんだ……」
「佐川が亡くなってから半年ほど経った頃、仕事の帰りに、大学時代の佐川に似た男の子を見かけたんだよ。それで、あとをつけて行ったら、地下に男性向けの風俗店があるビルに入ってってさぁ……」
「そこで、働いてたの?」
「そう。それで、店に三回通ってから、付き合うようになった」
「へぇ……」
「分かりやすいくらい引いてるな」
「いや、そんなつもりは……。それで、どれくらい付き合ってたの?」
「一年二ヶ月。父親が病気で入院して、その子が実家に戻ることになったんだ」
「じゃあ、嫌いになって別れたわけじゃないのか」
「そうだな。でも、別れる日は、決まってたみたいなんだよな」
「えっ、どういうこと?」
「別れた日、その子が住んでるマンションから二人で出てきたら、外で郭志が待ってたんだよ」
「えっ、郭志君が?」
「妻がパートの仕事に出て、郭志が部活に行ってる、日曜の午前中に会ってたんだけど、その日は、忘れものをして家に戻ってきた郭志が、俺が出かけるところを見かけて、そのまま俺のあとをつけて来てたんだ」
「郭志君、ずっと待ってたの?」
「十二月の結構寒い日だったのに、近くにコンビニとかもなかったから、二時間以上も外で待ってたみたいでさぁ……。寒さで白くなった郭志の顔を見たとき、俺は何てひどいことしたんだろう、って思った。それなのに、郭志は『今日で別れるんだったら、知らなかったことにするよ』って言ってきて……。でも、その日のうちに、妻にも正直に話して、結局は別れることになった」
「そうだったんだ……」
それぞれ自分のカップに視線を落としたまま、僕たちはしばらく黙っていた。
「いやぁ、まさか、こんな話をすることになるとはな」
「そんな話を聞くことになるとはな、だよ」
栗山に合わせて、僕も軽い口調で答えた。
「でも、濱本には聞いてほしいな、とも思ってた」
理由を尋ねるのにふさわしい言葉が見つからず、僕は目で問いかけた。
「周りの人には、お互いに性格が合わなくなったから、っていうありきたりな理由でごまかして、本当のことは誰にも言えなかった。浮気相手が男だったなんて知られたら、妻のプライドが傷付くだろうし、俺が同性愛者だなんて知られたら、郭志まで好奇の目に晒されるかもしれないし……」
「それなのに、僕には聞いてほしい、って思ってくれたの?」
「あぁ、思った」
栗山は短く答えてから、僕にちらりと視線を向けた。
「もし間違ってたら、本当にごめんなんだけど……、濱本が付き合ってる人って、男なんじゃない?」
「えっ……?」
次に口から出す言葉を失った僕は、もう認めているようなものだった。
「あぁ、ごめん、変なこと聞いて」
「いや、謝ることないよ。間違ってないし」
「そうか……」
「でも、どうして分かったの? そんなに詳しく話してないと思うんだけど」
「詳しく話さないからだよ。それに、濱本がしてくれた話には、女だって確証が持てる情報が全然なかったし、一度も『彼女』って言葉を使ってない」
「あぁ……」
「俺が、相手が男だってことを隠しながら、恋人の話をするとしたら、こんな感じになるんじゃないかなぁ、っていう言葉の選び方をしてるような気がしてたんだよ」
「そうかぁ……」
僕はうなだれると、力なく笑った。
「逆にさぁ、濱本は思わなかった?」
「えっ、逆に?」
「濱本の恋人の話をするとき、俺も『彼女』って言葉を使ってなかったんだけど」
「あぁ……、言われてみれば、そうだよね」
「自分と同じ側の人間なんじゃないか、とは思わなかった?」
「いや、そこまではなぁ……」
「まぁ、バツイチで息子がいることを知ってたら、そうは考えられないか」
「そうだよ」
でも、自分と同じ側の人間だったらな、って考えたことはある。
続く言葉は頭に浮かんでいたのだけど、口から出すことはできなかった。
「濱本の彼氏は、二十六の美容師かぁ……」
「いきなり『彼氏』って使ってるし」
「何かもう、言葉の響きだけで、かっこよさそうだし、実際、かっこいいんだろうな」
「まぁ……、うん」
「否定しないのか」
「いないところで否定するのは、彼氏だとしても、失礼なんじゃないかと思うし、実際、僕にはもったいないくらい、かっこいいと思うからさぁ……」
「謙遜しながらも、彼氏のことは、容赦なく褒めるんだな」
「見る?」
僕はスマートフォンを手に取った。
「えっ、いいの?」
「そう言いながらも、待ってました、って顔してるんだけど」
「あぁ、顔に出ちゃってたか」
「まさか、高校時代の同級生に、彼氏の写真を見せることになるなんてなぁ……」
「高校時代の同級生に、彼氏の写真を見せられることになるなんて、だよ」
僕は迷った末に、初詣に行ったときの写真を選んだ。
「おみくじ広げてるってことは、初詣か」
「そう。この前の月曜日に行ってきた」
「えっ、こんな男前なの?」
「まぁ、そう……」
「へぇ……」
感心したように頷く栗山を見て、僕は何だか誇らしい気持ちになった。
「二人で写ってるのはないの?」
「あぁ……、右にスライドしたら、近くの団子屋さんで撮ってもらったのがあるよ」
「一枚?」
「一枚」
「右に一枚だな」
「何か、慎重だなぁ……」
「いくら友達でも、見られたくない写真とかあるかもしれないだろ」
「まぁ、ほんの数分前までは、そんな写真だったことになるけど……」
「お店の人に撮ってもらったの?」
「自撮りしようとしてたら、お店のおばあちゃんが声かけてきて撮ってくれたんだよ」
「二人ともいい笑顔してるな」
「まぁ、お互い、好きな人と一緒なんで」
「言ってくれるなぁ……。でも、本当、幸せそうだよ」
栗山は別に羨んでいるわけではないのだろうけど、栗山は別れた話をしたのに、僕は別れることになっている話をしないのは、どこか公平でないように思えてならなかった。
「でもさぁ……」
「でも、何?」
僕が言い淀んでいると、栗山が画面から目を上げた。
「僕たち、三月に別れるんだ」
「えっ……?」
「僕の彼氏……、松尾君っていうんだけど、今年の春から実家の旅館を継いで、秋に結婚する予定なんだよ」
「それって……、松尾君が、そのことを隠して……」
「いや、違うよ。付き合い始める前に、その話はちゃんと聞いてたし……、結婚相手の人も知っててのことなんだ」
「結婚相手も了承してて、結婚前に濱本と付き合ってる、ってこと?」
「まぁ、そういうこと」
「はぁ……」
栗山は口を微かに開いたまま、呆気にとられていたのだけど、ふと我に返ったように、腕時計に目をやった。
「もうこんな時間かぁ……」
僕も腕時計に目をやると、店を出ようと決めていた時間の三分前を指していた。
「栗山が帰らなきゃいけないこと、すっかり忘れてたよ」
「この話は長くなるよな」
「ちゃんと話そうとすれば、長くなるね」
「何で今日に限って、金曜日の日帰りなんだよなぁ……」
「ちょっと、タイミングが遅かったかな」
「濱本が彼氏と幸せな話で終わるところだったのに、まさかの展開だったよ」
「何か、栗山に聞いてほしいな、って思っちゃったんだよね」
「じゃあ、明日、ゆっくり電話で話すか」
「えっ、電話で?」
「次の出張だと、一ヶ月後になっちゃうし」
「あぁ、そうか」
「松尾君は仕事だよな?」
「そうだね。七時くらいまでかな」
「だったら、昼間は大丈夫?」
「大丈夫。何も予定は入れてないから」
「じゃあ、決まりね」
「うん」
「そろそろ行かないとな」
「あぁ、そうだね」
それぞれの腕時計に再び目をやってから、僕たちは残っていたカフェラテを飲み干し、そそくさと席を立った。
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