第3話 パンツと静かな夜

服を脱ぎ、シャワーを浴びる。




シャンプーのボトルに片手を伸ばして親指で押すと、空気を含むカシャカシャという音だけが吐き出された。




根元から回し、ボトルをひっくり返して、かろうじて手のひらにでたシャンプーを使って頭を泡立てた。




頭皮がスースーする。体を泡で滑らせる。排水溝に水と共に泡が流れ落ちる。今日の全ての記憶がはがれていくようで気分が良い。




風呂場から上がると、自分が替えの洋服を持っていないことを気づいた。




俺はりょうすけーパンツかしてーと声をあげた。




そこら辺にほっぽかれたタオルで体をふいていると、涼介がパンツを投げてきた。




かがみこんで、それをとると思わず吹き出してしまった。




パンツはちょうど股間に豚の顔が、お尻には豚のしっぽが描かれ、全体的にラメが入ってギラギラしており、あまりにも突飛だった。




髪の毛をタオルで拭きながら、風呂ありがとーと涼介の背中にぶつける。




涼介は、窓を開け何かをみていた。俺は隣に座り、何してんのと声をかけた。




「空見てる」と涼介は言った。




空は薄墨色に染まり、星も月も何も見えなかった。




「なんも見えねーな」




「みえるよ。あれ」涼介は指さした。その先には、小さな光が揺らめきながら、ゆっくりと横に平行移動していた。




「何あれ」俺は言った。




「さぁ」




「飛行機、じゃないよな」




「ユーフォ―の類じゃない?」




「ユーフォ―か」




二人でユーフォ―らしきものが空を横断しているのをぼーっとみつめていた。




「何しに来るの、宇宙人って」俺は言った。




「地球の侵略のための偵察とか」




「地球侵略してどうすんだろ」




「確かに。別に地球侵略してもいいことないよな」




「うん」




俺は髪の毛から垂れてくる水滴をタオルで拭った。




「宇宙侵略のための一歩とか」




「宇宙侵略してどうすんの」




「我らが宇宙人がサイコーにサイキョーなんだ。わっはっは。って言うため」涼介は宇宙人の声真似をして言った。




「くそつまんねーな」




「な」




蝉が鳴く音が聞こえる。




「じゃあ、地球人の愚かさを見るため」




「あぁ、それはあるな」




夜風に当たってか涼介がもっているアイスは、ドロドロとたれ、手を伝ってベランダのコンクリートに模様をつくっていた。




「アイス、垂れてるぞ」俺は肘で涼介をつついた。




「あぁ、ほんとだ」涼介は今気づいたかのように言った。




「湊にあげる」




「え、いらん」




「そういわずに」涼介はどろどろになった食べかけの棒アイスを俺に押し付けた。指にたらりと冷たい感触が押し寄せる。俺はアイスにかぶりついた。




涼介は、手に垂れたアイスをなめている。




「な、俺が湊に歌を唄ってやる」




アイスを食べてくれたお礼な、涼介はそう言うと、アコースティックギターを抱え、歌を唄い始めた。




マイナーなバンドから始まり、メジャーデビューしているバンドの曲まで次々に唄った。今度は、YouTubeのアングラ界で有名な動画配信者兼シンガーソングライターの真似を始めた。




微妙に似ていて、思わず笑ってしまった。そしたら、次はでたらめなコード進行に、でたらめな歌詞で今つくったという曲を歌い始めた。




は?皆死んどけよばーか


そしたら私が悩む必要もないし


これから死ぬ必要もない


私以外の皆がどこかに消えて


私は一人息絶えるまで自由に暮らすんだ


学校近くのコンビニでアイスを腹を壊すほど食べて


本屋で死ぬほど漫画を貪るんだ


金も権威も地位も政治もぜーんぶそこら辺の雑草と同じ価値


いや、むしろ雑草よりごみかもしれない


だって雑草は私のために酸素を吐いてくれる


環境破壊だってなくなる


戦争もなくなる


ね、私以外皆死ねばいいんだ




最後にじゃがじゃんとストロークを決めると、にっと笑い俺にどう?と問いかけた。




「いいじゃん」




「これはねー、明日皆死んでいてほしい女子高生の歌」




涼介の声は水のように透き通っている。ひやりとした人を突き放すような冷たさ。




だけど、語気を強めて歌うから、何かを訴えているようで、聞いた人の心をつかみ離さない。




歌手になったら涼介はきっと一瞬にして人気になる。だけど、涼介は人前では絶対に唄わない。




鼻で音程をとりながら、適当にコードをひいていた涼介がいきなり爆笑し始めた。




「湊、おまっ、それっ、ふははっ、やべーな」




「何がだよ」俺は言う。




「パンツ」




「いや、涼介が渡したんじゃねーか」




「いやー適当に突っ込んで取ったから、そんなものとは知らずに」




涼介は過呼吸を起こしたようにひぃひぃ言っている。




「ちょっと後ろ見せてよ。立ってみ」涼介は俺の尻をみようとパンツを引っ張った。




「やだよ」




「うわっ、しっぽもついてんじゃん」




「湊、お前にめっちゃ似合ってるからそのパンツあげるわ」涼介は俺のお尻を手ではたいた。




「たたくなや。ってかいらないパンツを押し付けようとするな」




俺はたたかれたお返しをしようと涼介に尻を突き出せと言い、腰をつかんだ。涼介はそれをねじるようにして抵抗を試みる。俺は負けじと脇をくすぐった。大声で笑いながらも、俺をつかむ手を緩めない。




その時、壁からドンと大きな音が鳴った。俺らの声がうるさすぎたようだ。




お前のせいじゃねーか。いや、お前だろ。笑い声がうるさすぎんだよ。絶対、おれじゃない。とどっちがうるさかったのか言い合っていると、もう一度大きな壁ドンをくらった。




今度は、おとなしく口を閉ざし、窓を閉めて部屋のなかに入った。




意味のない馬鹿な会話を重ね、今日の夜が静かに溶けていった。


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