第12話 虫精族

 冷たい霧雨の降るアジーレの関所せきしょに、屋根つきの質素な馬車がやってきた。御者ぎょしゃは布を被った、みすぼらしい老人。

 関所の役人が止めた。


「どこから来た?」

「はあ。ギメアですが」

「どこまで行く?」

「リンランまで」

「きさまの身分は?」

「奴隷です」

「本当か?」

「偽りはありませんが」

「嘘はつかないほうがいい。俺は獣精族じゅうせいぞくだ。どんな種族か、言わずもがなだろ」


 役人の身体からだがメキメキ音を立てた。毛深くなり、筋肉が膨み、牙や爪が鋭くなる。虎のような金の目で、じろじろと老人を観察した。

 目の前の『老人』からは、老人のにおいがしない。甘く柔らかいにおい。正体はおそらく女か子どもだ。

 上から伝令があった。『リンラン』という、娘とも少年ともつかない者がギメアから来たら、即刻を捕らえよと。

 確信が深まるにつれ、老人の姿が幻影のように揺らいでくる。


「調べさせてもらう」


 馬車の中から声がする。


「おい、まだ止まっておるのか」


 甲高い声だ。

 老人は馬車を振り返り、しわがれ声で答える。


「申し訳ございません。この者が通せんぼをしておりまして。私を調べると言って聞きません」

「このわしを誰だと思っている。かの有力な例の精族せいぞくの貴族であるぞ」

「それはそれは」

 老人すまして、「では」

「待て。馬車の中を見せろ」

「なぜ?」

「ほかに人が乗っていないか確認する。例えば女や子どもなどがな」


 この老人も怪しいが、馬車の中も怪しい。


「おやめなさい。あ、こら」


 老人の制止を無視し、馬車の扉を強引に開けた。


「あ」


 中には、小麦粉袋くらいの大きさの芋虫いもむしが一匹、ネチョネチョ音をたてながらうねっていた。花や葉をむしゃむしゃ貪っている。粘液が垂れた頭を、役人のほうに動かした。


「うわ!」


 気味悪さに飛び退いた。尖った牙も爪も引っ込んでしまう。

 老人がやれやれと呆れている。


「だからおやめなさいと。旦那様はアジーレで虫精族ちゅうせいぞくに触れ、醜い虫の姿に変えられました」

「む、虫に……?」

「ええ。なのでリンランに行き、仙薬せんやくで元の姿におもどりになられることを望んでおられるのです」


 そういえば、子どもの頃聞いたことがある。

 アジーレの野原に、芋虫一族の巣がある。連中の身体からだからしみでる毒液に触れば、自分も虫に変えられると。

 結局芋虫一族など、人生で一度もお目にかかることはなかった。ゆえに単なるお伽話だと思い、大人になってから思い返しもしなかった話だが……。


「旦那様は観光と食糧の調達のためにギメアによりましてね。花精族かせいぞくを見つければよいお花が買えますから」

「おい役人。扉を閉めぬか。粘液が乾燥する」


 慌てて扉を閉めた。老人が札を見せる。


「こちらは通行証でございます」


 冷や汗をかきながら、役人は札を見た。さっきの気色悪い虫のせいで集中できない。


「う、うむ。いつわりではなさそうだ」


 老人は会釈し、馬車を走らせた。霧雨きりさめの中に消えていく。




 馬車は関所からどんどん離れていく。

 老人の姿は、徐々に変わっていった。黒髪の少女、リンラン。ヴァンサンを騙すためのかつらを作ったので、髪は短い。

 馬車の中から声がした。


「リンラン、もういい?」


 馬を走らせながら、リンランはあたりを見回す。


「もうちょっと待って」

「早くしてよー」


 困ったように言われながら、リンランは目を凝らした。

 風が吹き、徐々に荒野の霧雨が晴れていく。

 付近に草むらがある。水辺も。

 あそこならいい。

 馬を止めた。


「もういいよ。よくがんばってくれたね」


 ドアが開いた。

 天井に、お腹が裂けたガブリエルくんがへばりついている。

 彼は幻霊げんれいの細い細い糸を出し、馬車の座席に乗っかる、大きな芋虫を引っ張っていた。


「うげえ。気持ち悪かった」


 糸を操り、馬車から外へ芋虫を引き摺り出した。

 芋虫は這いずり、草陰に隠れる。

 以前、本で読んだ。アジーレの平原には珍しい虫精族ちゅうせいぞくの芋虫が少数住んでいることを。

 彼らは話すことができず、草むらに隠れ、粘液を身体から出し乾燥を防ぐことで、慎ましく一生を送る。

 けれどアジーレの古代人は、彼らの粘液を毒液と決めつけ、触ると虫に変わってしまうと想像し、駆逐した。残った虫精族はアジーレの草むらの片隅に生きていると。

 花精族の娘の花は、いざというとき虫精族を利用して脱出するために買った。

 ガブリエルくんは、裂けた自分のお腹を開いた。

 中からポロポロと小さなガラスの欠片、そしてチリチリになった髪の毛が落ちる。

 全部リンランの策だ。オンダには秘密の。




 ギメアに滞在している間に、リンランはガブリエルくんのお腹を裂いた。綿が詰められた胸の中に、光を帯びた丸い小さな塊が包まれている。

 これが幻霊のカケラ。言うなればガブリエルくんの心臓。

 光の塊には黒く細い糸が巻きつき、がんじがらめになっていた。糸は心臓の鼓動のように時々膨張し、幻霊のカケラを締めつける。

 この糸がヴァンサンの呪い。

 ガブリエルくんが手足をパタパタさせる。


「気持ち悪いよ」

「もうちょっと我慢して」


 リンランは光の塊と、それに巻きついている黒い糸の間に、自分の髪を何本か、針を使って通し、挟んでいく。

 髪の毛がひとふさ分挟まったところで、小さな薄いガラスの板を数枚用意した。城壁の近くでオンダと拾ってきた幻霊よけの壁の欠片を、宿屋の火精族かせいぞくの主人に頼み、溶かして平らにしてもらったものだ。

 板を、自分の髪と黒い糸の間にさらに挟みこむ。


「この糸が力を発揮してきみの幻霊のカケラを締めつけても、この幻霊よけが守ってくれるよ。私の髪の毛を挟んでおいたから、幻霊よけがきみの心臓に大きく影響することもないだろう」


 幻霊よけは強い幻霊の力にしか反応しない。糸が膨張し、強い力を発揮したとき、幻霊よけは反応するだろう。

 一方、ガブリエルくんのような弱い幻霊の力には大きく影響しないはずだ。それに幻精族の自分の髪の毛を挟んでおけば、身代わりになってくれることだろう。


 材料を集め人形爆弾を作り、花精族かせいぞくの女の子にも頼んで、爆弾をごまかすための花も追加で準備した。

 合流場所を決めてオンダを送りだしたあと、ギメアの兵に金を渡し、正門から馬がまっすぐ駆けるように仕向けてもらった。

 馬は一緒に爆発させたらかわいそうだから、ちょうどよく紐がちぎれるように調整しておいた。

 勢いをつけた馬車が途中で止まらないよう、その素材や形状も、できるだけ軽くなるように選んで自作した。

 特別な能力は、特に必要なかった。

 弱さはリンランの武器。弱いから相手を油断させられる。弱いから知恵を使う必要に迫られる。




 リンランは、芋虫が隠れた草むらに向かってつぶやく。


「きみのおうちから連れ出してごめんよ。できるだけ快適に暮らせそうな場所を選んでみたんだけど……」


 草陰からネチャネチャ音がする。ひょっこり二体の芋虫が顔を出した。


「あ。見て。いい伴侶がいたみたい」

「僕見たくないよ。おてて洗いたい」

「和むじゃないか」


 背後から、「のんきなもんだな」

 と、声をかけられる。

 びくりとして振り向くと、水辺の水面から、バシャリと人が浮きあがった。


「うわあ!」


 ガブリエルくんはびっくりしてリンランに抱きつく。

 ボタボタと水滴を垂らしたその人物は、ゆらりとリンランに近づいた。


「デカい声出してんじゃねえクソ人形」


 リンランはよろこびに胸打たれ、駆け寄った。


「オンダ!」


 傷ついたオンダは、水面に突き立てた三叉みつまたの槍に寄りかかり、苦しげにひゅーっと息をする。


「勝ったんだね」


 ガブリエルくんはリンランの肩の上でひっくり返り、オンダに顔が見られないよう、リンランの背中側のえりの中に頭を突っ込んだ。


「こっちは命懸け、だったのに……」


 オンダは駆け寄ったリンランの肩に身を預け、ぐったりとした。


「オンダ? オンダ!」


 すぅっと寝息を立てている。

 ガブリエルくんの身体にオンダのあごが突き刺さる。


「んー!」



 オンダは水辺を渡り、リンランと合流したのだった。白い幻霊の人形どもを、完全に動かなくなるまで完膚かんぷなきまでに叩きのめして。

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