第7話 交渉
「なんというか、まあ」
痛いほどの静寂を誤魔化すように、残った男女が長い髪の付け根を梳いた。
「申し訳なかったね」
挙句、曖昧な謝罪を口にする。
溜息すら碌にできない未熟な体で、それでも俺は心底の嘆息をした。
『別にあんたのせいじゃない』
思念共有で応じれば、そいつは興味深そうに目を輝かせた。
「へえ? そう思うんだ?」
こちらの心情を無視した丸出しの好奇心に、巻き込まれたそいつへの遠慮が掻き消えた。
『悪いが放っておいてくれないか。これでもショックを受けてるし、色々と考えたいんだ』
正直、今はもう何も考えたくない。
それでも、自らが元魔族であると口にしてしまった以上、俺はこれからのことを考えなければならない。
これからどうやって生きていくのか。この家から出ていくのか。そして、あの二人と別れるのか。
「……同情はするけど」
口ではそう言いながら、そいつは苦笑した。
「君が魔族の生まれ変わりとわかった以上、僕もはいそうですかと引き下がるわけにもいかないね」
当然と言えば当然すぎる回答に舌打ちをしたくなる。
思念共有を切って黙秘でやり過ごしたくもあるが、
「当然、君に拒否権はないよ」
そんな俺の内心を先読みしたように、そいつは大気の魔素を震わせた。
当然、そうなるよな。
そう諦めながら、俺は自嘲するしかない。
なんで、この場で自分が魔族の転生体だなんて口にしてしまったのか。我ながらいつも通りの考えなしな行動に呆れを通り越して馬鹿らしくなる。けれど心のどこかで、ようやくアーサーとアリシアに事実を告げられたことに安堵している自分がいた。
「さて、まず驚きなんだけど」
内心で失笑する俺に、そいつは好奇心を隠さない翠玉の瞳を向けてくる。
「君は、あの二人に申し訳ないと思っているんだね」
『……当たり前だろ』
まず聞くことがそれかという呆れ。そしてなんだその不愉快で腹立たしい質問はと苛立ちを抱きながらも、そいつに逆らう術のない俺は肯定を返す。
「当たり前なの?」
『は?』
余計な確認に、思わず苛立ちが溢れ出る。
「それは君達達魔族にとって、当たり前の考えなの?」
しかし、重ねられた問いに、ようやくそいつの言いたかったことに気付いた。
『……いいや、違う』
俺のように思う魔族も多少はいる。だが、ほとんどの魔族は転生の成功に喜び、反面人族という弱い種への転生に怒り狂う。少なくとも、アーサーとアリシアのことなど気にもかけないだろう。
「僕達の魔族の認識が間違ってなかったようで、残念なような、安心したような複雑な気分だよ」
どこかその美貌に似つかわしい曖昧な苦笑をそいつは浮かべた。
「魔族は弱肉強食を是とする残忍な種族。この認識で正しい?」
『概ね間違ってないな』
まあ、魔族の大半はそんなもんだ。
「それじゃあ、魔族が今また地上に出てこれたとしたらどうすると思う?」
『そりゃまあ、侵略するだろうな』
これだけ魔素が弱い場所と種族だ。俺達ゴート族やハービィ族はともかく、他種族には支配する以外の選択があるわけがない。
俺の即答にそいつはふむ、と神妙に頷いて顎に手を置いた。どうもそれが考え事をする時のこいつの癖らしい。
「どうだい。ここは一つ情報交換といかない?」
ややもしないで、そいつは顎にやった手を外し、上下逆さに裏返した人差し指で俺を指差した。
『は?』
急な提案に、俺は内心で戸惑いを表す。
「君は想定外に転生してしまったこの地上のことが知りたい」
しかし続けられた断定が確かにその通りだったので、俺は反論の言葉が出ない。
「対して、僕達も現在得ることができない魔界の情報を欲してる」
呆気なく素直な開示に拍子抜けする。
「互いに互いの欲してる情報源が目の前にいるんだ。いい話だと思わない?」
そいつは綺麗な顔に無邪気な笑みを浮かべて、微笑みかけてきた。
一理ある。そいつの提案に俺は思う。
さらに言うなら、まさにそれを欲していた俺にとって好都合だ。
しかし、
『交渉として釣り合いが取れてないな』
「うん?」
俺の柔らかな拒絶に、そいつは面白そうに細い眉を吊り上げた。
「というと? どういうことかな?」
『俺はこうして地上に辿り着いてる。だから、普通に生きていれば、いずれ情報は手に入れることができる。魔界に行くことのできないお前達と違ってな』
「なるほど。ごもっとも」
俺の牽制に、しかしそいつはどこか面白そうに頷いた。
「でも勘違いしないでほしいな。さっきも言った通り」
そして、今度はその美貌に似合わない、どこか嫌らしい笑みを浮かべ、
「これは対等な交渉なんかじゃないよ」
大気の魔素を震わせた。
「君は少なくともアーサーとアリシアの子どもの体を乗っ取った大罪人」
改めてはっきりと自身の罪を断罪され、胸が痛んだ。
「加えて僕達の敵らしき魔族の生まれ変わり。そして、前世はどうか知らないけど、今はこちらに満足に抗することもできない非力な赤子」
俺にとって痛いところをそいつは容赦なく指摘し、
「どうして普通に生きていけると思ってるの? こちらの望み通り鳴かないなら、力づくで言うことを聞かせてもいいんだよ?」
攻撃的に凝縮させた魔素で、俺の頬を撫でた。
――残念ながら、まったくもってこいつの言う通りだ。
今の俺では、こいつに逆らうことはできない。どうするべきか思案するが、今の俺には答えは三つしかない。
こいつの提案を受け入れるか、こいつの望む情報を力づくで一方的に吐き出させられるか、その両方を拒絶して死を選ぶか。
それにしても、力づくで言うことを聞かせられる状況にありながら、こちらにも益がある形で持ち掛けるあたり、こいつはお人好しだ。
内心でまったくどいつもこいつもと、どこか寂しさを覚えながらも俺は笑う。
まあ、そうは言っても、ただ素直に頷くわけにもいかない。
『条件がある』
「へー?」
俺の申し入れに、やはりどこか面白そうにそいつは口の端を歪めた。
「なにかな? 呑むかどうかは別として、聞くだけは聞いてみてあげるよ?」
強者として交渉を有利に進められる立場にありながら、そいつはお優しいことに首を傾げた。
『万が一、魔界に行けるような事態になった場合、俺の一族、ゴート族とは争わないでほしい。もし、ゴート族に不利益が出る話なら、俺は情報を吐かされる前に死を選ぶぞ』
そいつは一瞬、目を見開いて、次の瞬間にはおかしくて堪らないといった様子で大声を上げて笑っていた。
「話が通じる。交渉ができる。人族に対して罪悪感を抱く。一族のために死を選ぶ、か。本当に君は、話に聞く魔族っぽくない」
どこか不満そうで、それに倍するくらい楽し気に、そいつは自身の目端に浮かぶ涙を拭った。
「いいよ転生魔族くん。その条件を呑もう。僕達は自分達の身を守るための情報が欲しいだけ。そちらがこちらに害をなさない限り、こちらからは手を出さない。そもそも魔界に行く方法もないしね」
まあ、それはそうか。神の祝福を受けた勇者でもない限り、神の恩寵は何人も破れない。
「僕はエルミア。エルフの森・シアルグレインのエルフ、エルミア=シル=グランディス」
そいつは透き通る美貌にどこか不釣り合いな笑顔で名乗る。
「ちなみに初対面の人族にはよく聞かれるんだけど、女だよ」
そして間近まで歩み寄り、俺の手をつまみ上げて、握手した。
エルフ。
聞いたことがある。地上に住まう人ならざる者。尋常ならざる美貌と尖った耳を持つ森の種族。名乗られてみれば、確かに聞いた通りの姿だ。
『俺はルーダス。ゴード族のルーダスだ』
元魔王という素性がバレる可能性を危惧し、真名を明かすか悩むも、エルミアの真摯な対応に素直に名乗り返す。もっとも保険に自分の
『あとまあ、今は一応人族のクリスだ。性別は男……』
そこまで伝え、ふと今世の自身の性別に不安を抱き、
「ああ、うん。大丈夫、今も男みたいだよ?」
耳長ことエルミアの言葉に安堵の息を吐いた。
今世も変わらぬらしい男の局部に向けられたエルミアの視線が気にはかかったが。
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