第3話 地上


 俺にはやりたいことが、やらなければならないことがある。

 魔王として、ゴート族の長として、一族を守ること。

 それが、俺の選んだ、俺が望んだ使命。

 けれど、彼女達にそんな事情ことは関係ない。


「クリス、どうしたの?」

 心配そうに抱きかかえた俺の顔を覗き込むアリシア。

 その美しい相貌の右半分には、月日が過ぎようと消えることなき火傷痕が残っている。

 その傷が俺の罪悪感を抉るも、そんな顔を見せればアリシア、心優しい俺の母親は余計に表情を曇らせることをわかっているから、俺は何もわからぬ赤子としてキャッキャッと声を上げるしかない。


「それじゃあ、行ってくる。アリシア、クリス」

 アーサー、今世の俺の父親は、アリシアと俺の額に口づけを残し、背を向けた。


「はい、行ってらっしゃい。あなた」

 そしてアリシアはいつも通り、アーサーを笑顔で見送るのだった。



   ◇◇◇



 俺が自身の中の違和感に手を伸ばしたあの日。

 そのことで自身が発火し、アリシアの顔も焼いたあの日。

 その炎に美貌を焼かれたアリシアは、自身の痛みなど知らないといった様子で俺の身を案じた。

 そんな妻の無残な姿を見て衝撃を受けたアーサーも、事情を知ったとて俺を責めないどころか、庇い立てした。




「この子がアリシアの顔を傷つけたのか?」 


 見るからに只者でない。

 額にしわを刻む老齢に差し掛かった身でありながら、俺を見下ろす切れ長の瞳はあまりに鋭かった。その身の魔素も特級とはいかなくとも、上級魔族の域に踏み入ろうとしている。

 身を包む豪奢な服装や装飾具。さらには金の王冠は、その男の身分が相当に高いであろうことを示していた。

 しかし、何よりもその立ち振る舞いの隙のなさが、身に纏う只ならぬオーラが、その男の特異性を物語っていた。


「はい」

 アーサーはひざますき、顔を下げたまま肯定を返す。


「その魔力の残滓」

 アーサー同様に跪くアリシアを、男は俺に向けたのと同じ鋭さで見据えた。


「半魔のものに似ているな」

 男の言葉に両親の肩が微かに跳ねた。


「そうでしょうか?」

 アーサーのとぼけは、あまりに白々しい。


「これは忌み子か」

 男はアーサーのそらとぼけを無視して追求した。

 両親の肩が、今度は震えた。


「私達の子です」

 それでも、アリシアは凛とした声で言い切った。

 しかしその決然とした態度にも、見下ろす男の瞳は揺るがない。改めて口を開くが、


「そうです。私達の子です。父上」

 アーサーが、男の言葉を遮った。

 僅かに。本当に微かに男の厳粛な気配が揺らいだ。


「では、この子がこの国の不利益となったならば、お前はどうする?」

 しかし、それは刹那の瞬間。すぐに再び張り詰めさせた声で、男は問いかける。


「その時は」

 アーサーは言葉に迷う。


「私が止めます」

 代わりに答えを口にしたのは、アリシアだった。


「私が止めて、必ずこの子を正します」 

 アリシアの答えに、男は頭を振った。


「甘過ぎる」

 男はアーサーを見下ろす。


「アーサーよ。その時は、王家のものとしてお前が責任を持て」

 男の言葉に、アーサーが地に突いた拳に力を込めた。


「それができぬ時は、私がその子を殺そう」

 最後に言い捨てて、男は泰然たいぜんと二人に背を向けた。




 あの時、言葉はわからなかったが二人が俺を守ったこと位は嫌でもわかった。

 母であるアリシアは顔の傷に僅か心痛めながらも、純粋に俺の無事を喜んだ。

 美しき妻の美貌を傷物にされたアーサーは、俺への微かな怒りと不審を深奥に抱くも、己を律し、それを表に出すことなく俺を愛し続けた。


 どうして? 

 どうして、俺を責めない?


 恨んでくれれば良かった。

 罵ってくれれば良かった。

 なんだったら、あの男に俺の処分を任せてれたって良かった。


 そうすれば、俺は後腐あとくされなく、今生こんじょうのしがらみ等無く、転生した当初の目的・ゴート族の守護に専念することができたのだ。


 なのに、だというのに。

 こんな風に許されてしまえば、愛されてしまえば、俺はどうしたらいいというのだ。


 アリシアとアーサーの本当の子どもの体を奪い、乗っ取った俺はどんな顔をすればいい?



   ◇◇◇



 葛藤かっとうと苦しみはあった。

 それでも、俺は当初の目的を忘れるわけにはいかなかった。

 それは魔王だった俺の責務であり、それ以上に俺の願いだったから。

 だから、両親への罪悪感を抱きながらも、俺は観察を通した情報収集を続けた。

 そして、信じられない、それ以上に信じたくない仮説に辿り着いた。


 ――ここは地上なのではないか、という仮説に。


 その仮説へと至った理由は至極単純。最初に気付いた大気の魔素、そして両親やあの男以外の魔素のあまりな脆弱さだ。

 両親が呼んだ医者。その魔素は今まで見たどんな種族よりもあまりに貧弱で、正直信じられないほどの惨状とでも言うべきものだった。


 魔素の密度は地域差、種族差、個体差がある。

 それは往々にして、残酷なほどの差を有するものだが、それにしたってこれは異常に過ぎる。魔界にここまで魔素が弱い地域、種族があるとは思えない。


 さらに異常なのは、これほど魔素が弱い種族が安穏と暮らしているという事実。

 これは魔素の弱さ以上にありえない。魔界でこれほど脆弱な種族がいれば、その種族は間違いなく他種族の奴隷となっているはずだ。


 そこに付け加えるとすれば、種族としての特徴のなさ。

 魔族にはそれぞれの種族の代名詞とも言える身体的特徴、器官が存在する。


 ゴート族なら渦巻く二本の白角、ハービィ族なら羽毛の生えた翼、ドラル族なら矮躯わいくとそれに見合わぬ太き体躯たいく、竜族なら鈍色に光るうろこと翼、ギガンダ族なら見上げるほどの巨躯等々、一目でそれとわかる特徴を有している。


 それがアリシアやアーサー、あの医者にはない。

 特徴がないことが特徴。

 そして、脆弱に過ぎる魔素。


 これらは見たことはないが、嫌というほど聞いたことはあった。


 弱さゆえに神に守られた存在。

 魔界とは神の恩寵デウスグラーティアで隔てられた地上で生きる者。

 

 人族。

 その特徴に、この上ないほど適合していた。


 そしてその前提で考えれば、異常と感じた今まで上げた全ての事項が説明できる。

 だから、どれだけ信じたくなくとも、この仮説は正しいと思わざるを得なかった。


 だって、この大気の柔らかな明るさ。

 これがきっと、地上に降り注ぐという太陽の光というものなのだろうから。



   ◇◇◇



 転生先が地上だということ。自分が人族に転生したということ。

 認めたくなくとも、認めざるを得ない現実。

 それをどうにか飲み込んだ先にあるのは絶望だった。


 なにせ俺が守りたいと願うかつての仲間、ゴート族がいるのは魔界。対して、今自分がいるのが地上。

 その事実一つだけとっても、俺がゴート族を守るというのは実現不可能と思える難題となるのだから。


 なにせ、そもそも合流することができない。

 魔界と地上の間にある絶対の障壁。神の恩寵デウスグラーティア

 弱き人族を魔族から守るため、くそったれな神が作ったとされるこの障壁は張られてから未だかつて誰にも破られたことがない。


 前世の俺は、ゴート族が平穏に生きる一つの解決策として地上行きを模索したが、魔王と呼ばれた当時の俺の力をもってしても、その障壁を破る糸口さえ見えなかった。となれば脆弱に過ぎる今の俺になにもできるわけがない。


 暗い絶望に押し潰される心。

 それでも、諦められず、諦めるわけにもいかず、俺は無為とも思える魔素を使った術式の鍛錬を続ける。

 しかし、やはりそこで操る魔素は、魔王だったありし日のそれと比してあまりに脆弱。

 だから、一縷いちるの望みを賭け、俺は自身の内奥の穴へと触れようとする。



「ごめんね、クリス。守ってあげられなくて」

 いつも笑顔のアリシアが、たまに顔を曇らせて俺の肌を擦る。

 あの日、その穴に手を伸ばして発火し、未だ火傷痕が残り、ゴート族の如く黒くなった俺の肌を撫でて。


 だから、命に代えようと手に入れたい力に、俺は手を伸ばすことができない。

 だから、前世と同じく、俺はクソッタレな神を呪うことしかできない。

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