111.プレゼント
今日は聖女様の邸宅で五度目の会談。
聖典の講義は終わりこっちからは聞きたいことも聞けたので一先ず教義について教えてもらうっていう目的は一段落かな。
まあこの世界の風俗のついてはまだ勉強になることも多いけど。
ちなみに風俗ってえっちな意味じゃないよ。
ともあれそんな昼下がり、お話が一段落したところで今日はもうひとつ別の目的があった。
「本日は見ていただきたい物がありまして」
「なんでしょうか?」
一応の前置きを入れてから、マジックバッグを机の上に載せる。
そこから取り出したのは長方形のケース。
横が80センチ、縦が40センチ、高さが20センチくらいかな。
ちなみにこの建物に入る前に一度検閲済みである。
信用が無いって悲しいね。まあ俺が逆の立場でも同じことするけど。
そしてそのケースを開け、中でぶつかって壊れないように固定していた物を取り出す。
「それは……、楽器でしょうか?」
「ええ、バイオリンという弦楽器になります」
「こちらは?」
「こちらは弓といいまして、これで弦を擦って音を出す仕組みになりますね」
「なるほど、初めて見ました」
弦楽器はギターのように弦を弾いて音を出す楽器とバイオリンのように弦を擦って音を出す楽器の二種類に大別される。
この世界ではギターの原型のような弾く楽器は見かけるが擦る楽器は見たことがないので、おそらく一般的ではないのだろう。
ちなみにこれは作るのに王都の専門家に手伝ってもらったので相応に貴重品だ。
「それで何故こちらを私に?」
「その質問に答える前に、一曲聞いて頂いてもよろしいですか?」
そんな俺の提案に、聖女様は不思議そうな顔をしながらも頷く。
まあ自然な反応だろう。
ということで俺はそれを無視して、ケースからバイオリンを取り出し肩に構えた。
弓を弦に当てそれを引く。
伸びるように音が響くのは擦弦楽器の特徴だ。
うん、大丈夫そう。
返すように手を動かすと、一つの旋律が流れていく。
それと同時に現れるのは、聖女様の驚きの表情。
うーん、満足。
その反応の原因は、当然俺が今演奏している曲。
この曲は教会の聖歌であり当然彼女にも聞きなれたもの。
一般人であればある程度は聞いたことがあるだろうけど、それを魔物側の者が演奏したら驚くのも無理はない。
ついでに言えば俺は聖女様に教えてもらうまで教会のことはほとんど知らなかったって前提かあるしね。
そして演奏を終えた俺が、観客にお辞儀をする。
「拙い所もあったかと思いますが、ご清聴ありがとうございました」
本職の奏者からしたら比較するのも烏滸がましいものだったけど、曲を判別できるというレベルでは及第点だったかな。
あと未知の楽器の音色という加点要素もあるし。
「いえ、とてもお上手で驚きました。今の曲はどうやってお知りに?」
「教会に赴いて聞かせていただきました」
まあ一度聞いただけで覚えられるわけでもないし、楽譜の用意から練習まで色々やったけどね。
バイオリン自体は前世で楽器屋のバイト中に、メンテナンスを教えてもらうのと一緒に軽くやり方も教えてもらった経験が役に立った。
まあ大半は暇な時間の暇つぶしというかお遊びだったんだけど、なんて閑話休題。
「それに前回に歌を聞かせていただくお願いをしましたので、良ければ伴奏を務められればと」
「そうでしたか」
聖歌といえば合唱だけど俺は人前で歌えるほどの上手さはないのでバイオリンはその代わりかな。
本当は聖歌に併せるという意味ではオルガンの方が正しいんだけど、流石にオルガン作って持ってくるわけにもいかないしね。
まあ公式な場でもないし、私的な共演であればこれくらいの緩さでも十分だろう。
「それではお願いできますか?」
「ええ、もちろんです」
ということで俺が再びバイオリンを構え、演奏主導で始まった曲に聖女様の歌が重なる。
彼女の歌は本職の聖歌隊と比較しても遜色のない音色。
透き通るような歌声が庭へと響いていく。
それに伴奏を併せながら、昼間から芝生の広い庭で楽器を演奏してるなんて随分優雅な一日だなと思って心の中でこっそりと笑みをこぼした。
「ふぅ……」
そして一曲演奏を終えてバイオリンに当てていた顔を離す。
「見事な歌声でした、イングリッド様」
「ありがとうございます。迷宮主様も、素晴らしい演奏でした」
「もったいないお言葉です」
いや本当に、プロ並み彼女の歌声と比べたら俺の演奏なんて文化祭の軽音部未満だからね。
「久方ぶりに歌うことができましたが、やはり歌は良いものですね」
「お役に立ったのでしたら幸いです」
彼女も立場上気苦労が多いのだろう。
それが少しでも気分転換になったのならわざわざ楽器を用意した甲斐もあったというものだ。
「イングリッド様、一つお願いがあるのですがよろしいでしょうか」
演奏から一息ついて、俺が聖女様にそう切り出す。
「私にできることでしたら」
「それでは、聖歌の一節に健康を祈る句がありますね。それに合わせて私にイングリッド様の癒しの力を見せていただきたいのです」
「どこが具合が悪いところでも?」
「いえ、そういう訳ではありません。なのでこれは確認のようなものですね」
「その理由を聞かせていただいてもよろしいでしょうか?」
「もちろんです。まずひとつは、魔物の身で神の奇跡を受けた際の影響を確認しておきたいのです」
ないとは思うけど魔物を神の力で癒そうとしたら、逆にダメージ受けて死ぬなんてことがあったら困る。
一応神から滅ぼすべきもの認定されてるしね。
レイズを受けたアンデッドみたいに即死はしたくない。
まあこの体は人形であって本体じゃないからヤバイことには最悪の事態にはならないだろうけど、それでも確認しておきたい事案ではある。
「そしてもうひとつ、もし神の力が歌声へ影響を及ぼすのならそれを確認しておきたいのです。伴奏の為には調整が必要ですから」
言いながら、バイオリンへと軽く手を添える。
「もしよろしければ、こちらはイングリッド様にお渡ししたいと思いますので」
「それは、よろしいのですか?」
全く新しい楽器となればそれがどれ程の価値になるのか。
貴族に売り込めばそれだけで金貨の山と交換できるだろう。
それを無償で渡すという提案に聖女様が疑念を抱くのも無理はない。
「構いませんよ。この楽器を一番活かせるのは教会でしょうから」
冒険者にも吟遊詩人なんて職業を持つ者はいるが、そちらはリュートのようなもっと軽く演奏できるものが主である。
バイオリンの演奏方法と音の質的に、この時代の一般人が手にしてもそれを十全に活用しようとするのは難しいだろう。
その点、教会であればそれこそ聖歌に合わせれば素晴らしい音色を教会内に響かせることができる。
対抗馬として貴族様なら同じくらい活用できるかもしれないけど、偉い人の喜ばせることになっても俺に1ミリも得がないしね。
その点王都の教会が評判になれば観光客が増える→王都が潤う→人が集まる→冒険者が増える→ダンジョンが儲かるくらいの桶屋が儲かる的な図式が期待できる。
やっぱり世の中金っすよ、金。
「という訳で、遠慮なくお受け取りください。イングリッド様の美しい歌声を聴くことができれば信徒の方々も喜ぶでしょうから」
彼女が未だに歌うことを好きなのはこれまで話してみた感覚でわかるし、実際に聖女様の歌声を聴けるとなれば喜ぶ人間は多いだろう。
まあ実際に歌える機会とそのためにスケジュールを開けられるかはわからないけど、それでもこのバイオリンがあれば有利に交渉するくらいはできるんじゃないかな。
どちらにしても、聖女様にも信徒にも得がある提案で、彼女自身もそれは納得してくれたようだ。
「わかりました。大切に使わせていただきますね」
「そうしてもらえれば嬉しいです」
バイオリン自体はあっちの世界にあったものを丸パクリしただけなので殊更に自慢したりするつもりもないけれど、それでも大切にしてもらえるならそれに越したことはない。
「それでは、もう一曲お願いをしてもよろしいでしょうか」
「ええ、喜んで」
ということで、俺の実験もとい確認に付き合ってくれる聖女様が再び椅子から腰を上げた。
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