第83話 悔しさ

 私、イザベルは瞬きするのも忘れてアベルの大きな背中を見つめる。


「GRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR!!!」


 アベルの背中の向こうには、アベルの三倍はあろうかという黒鉄の巨狼が唸り声を上げていた。


 『白狼の森林』のボスの色違い。黒狼とアベルの戦闘が、今、始まりを告げる。


「GUA!!!」


 先に動いたのは、黒狼だった。その巨体に似合わない軽やかな足取りでアベルへと駆け寄ってくる。


 先程のアベルの“ショット”の威力を見ていたからだろう。アベルは強力な遠距離攻撃手段を持っていることに気が付いたはずだ。睨み合いをして距離を取ったままでは自分が不利。そう判断してアベルに詰め寄っているのだと思う。やはり、『白狼の森林』のオオカミたちはバカじゃない。


 黒狼を迎え撃つアベルは、尚もその歩みを止めていなかった。アベルの最大の武器は、その強力な遠距離攻撃のはず。自分から黒狼に近づくなんて、メリットは無いはずだけど……。


 アベルの考えがいまいち読み切れない。そのことが、私の心を乱す。


 ダダダダダダダダダダダダダダダッ!!!


 アベルが展開していた、まるで底なしの穴のように真っ黒な収納空間から、激しい破裂音が連続して響き渡る。私の耳を揺らし、お腹の奥底まで響くような重低音の連続音。破壊の豪雨が、黒狼へと襲いかかる。


 しかし――――。


 「GRR!!!」


 闇に融けてしまいそうな黒狼の巨体が、消える。


「なっ!?」

「えっ!?」

「ひょえ!?」

「そんな!?」

「ッ……!?」


 私たちが驚きの声を上げるのも束の間。私の目は、消えた黒狼の姿を見つけ出した。黒狼は消えたわけではない。ただサイドステップを踏んだだけだ。それがあまりにも速くて、私の目には黒狼が消えたように見えただけ。


 そのことを認識すると同時に、私は驚きの事実を発見していた。


「まさか……ッ!?」


 サイドステップを踏み、尚も疾走する黒狼から白い煙は上がっていない。まさか、あの弾幕を全て避けたというの!?


 アベルの唯一の武器とも呼べる“ショット”のスキル。まさか、それが全て避けられるなんて。アベルは、アベルはどうなってしまうの!?


 アベルと黒狼の距離は、もう残り少ない。黒狼ならば、ほんの一息で駆け抜けてしまえるだろう。その後は……。


 アベルの戦術は、魔法使いのそれに近い。前衛に守られて、詠唱する時間が稼げれば、魔法使いはとてつもないポテンシャルを発揮する。でも、敵の攻撃にさらされ、詠唱する時間も無ければ、魔法使いは十分にそのポテンシャルを発揮することなく敗れてしまう。


「アベル……」


 私には、アベルにもう後がないように見えた。


 援護するべきかしら? でも、アベルからは援護の類を一切禁じられている。どうすればいいのよ!?


 私には、このままアベルが黒狼のカギ爪に倒れる姿を見届けるしかできることはないのだろうか……?


 ダンッ!!! ダンッ!!! ダンッ!!!


 その時、私の不安を吹き飛ばすように、重低音が三度響いた。今までのアベルの“ショット”とは比較にならないほど大きな音だ。いったい何が……?


「GUAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!」


 アベルまであと一歩の距離にまで近づいていた黒狼が、不意にその足を止めて天を仰ぎ見る。見れば、黒狼の前脚や胸からは艶々の黒い毛並みは姿を消し、ピンクや赤の肉が露出していた。露出してしまった肉を隠すように、もうもうと白い煙が吐き出されていく。


 アベルの“ショット”のスキルによるものだろうか? でも、私はアベルの“ショット”を何度も見てきたけど、あれほどの威力は無かったはず。どういうことなの?


 もはや千切れてしまいそうなほど前脚を抉られて、物理的に足を止められてしまった黒狼。それでも、その闘志は未だに赤い瞳を輝かせていた。


 しかし、アベルが右手を振ると、黒狼の赤い瞳が、突如として輝きを失う。まるで黒狼の太い首を搔っ切るようなアベルの仕草と共に走った黒い線。その線に斬られてしまったかのように、黒狼の首がズルリと滑り落ちる。


 知らない。私には分からない未知の力だ。優秀な冒険者は切り札を隠し持っていると言われることがあるけど、少なくとも、アベルには私にも内緒にしていた力が二つもあったようだ。


「ッ!」


 その事実が、思いのほか私の胸を揺さぶってくる。この感情は何だろう? 悔しさ? 悔しさが一番近いだろうか。


 私は、アベルに能力を内緒にされたことを、とても悔しく感じているらしい。それと同時に、今回アベルがその力の一端を私に開示したことに安堵もしていた。


 少なくとも私は、能力の一端を開示してもいいくらいには、アベルに信用されていたらしい。でも……。


 私には、安堵よりも悔しさの方が大きく感じていた。


 私は、例えパーティメンバーだったとしても、自分の能力を全て開示する必要は無いと思っている。でも、私はアベルが能力を秘密にしていたことに予想外に大きなショックを受けていた。


 それがなぜなのか、自分にも分からない。自分の心が分からないなんて、久しぶりな感覚だ。


 前を見れると、黒狼の首が地面に落ちる寸前。黒狼の巨体が白い煙と化した。アベルの勝利だ。


 終わってみれば、戦闘と呼ぶのも躊躇われるほどの圧倒的な勝利。強い。強過ぎるほどに強い。


「これが……レベル8……ッ!」



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