第41話 クロヴィス

「ハァ……ハァ……クッ……ハァ……ハァ……」


 俺、クロヴィスは懸命に足を動かして走る。その速度は、自分でも驚き、惨めになるほど遅い。脚が鈍い痛みを放ち、自分の意志とは関係なくビクビクと痙攣している。鎧を纏ったままの全力疾走に、脚はもうとっくの昔に限界を超えていた。


 それでも俺は足を前へと踏み出す。止まることなどできない。止まってしまったら……。


 俺の視線が一瞬右腕へと移る。右腕があるべきそこには、しかし、なにもなかった。


 俺の右腕は、肘から先を失っていた。憎きビッグアントに噛み千切られたのだ。圧し潰され、力任せに強引に毟ったように、右腕の傷口はボロボロだった。ドクドクと鼓動に合わせてジクジクと熱と痛みを感じる。


 失った右の肘の先からポタポタと血が落ちる。その出血量は大きな傷口のわりに少ない。きっと噛み千切られた際に圧し潰されたからだろう。


 不意に体がフラつき、慌てて左足に力を入れて体勢を立て直す。


「グアァア……ッ」


 痛い。左の太ももが激しい痛みに襲われる。目の奥が白黒に点滅するほどの今まで感じたことがない激痛。そこもビッグアントに噛まれた箇所だ。


 ビッグアントの咢は、容易に鎧を貫通し、俺の左の太ももを圧し潰して穿った。運よく左脚を喰いい千切られたり、骨が折られることはなかった。しかし、左太ももの傷口は、俺に激痛をもたらしていた。


 左の太ももは、出血がひどいのが分かる。鎧は血に汚れ、ズボンは血を吸って赤く染まり、ひどく重く感じる。ブーツの中には血が溢れ、ヌルヌルと足が滑り、ジュポジュポと歩くたびに血を吐き出した。


 あるいは、左脚を喰い千切られた方が諦めもついて良かったかもしれない。あまりの痛さに死が甘美に映るほどの激痛。


 だが、俺は死への憧憬などかなぐり捨てて足を動かし続ける。しかし、その速度は歩いているのと大差がないほど遅々としたものだった。


 頼れる相棒であった大剣など、とっくの昔に投げ捨てた。あんな重量物を担いで逃げるなど無理だ。


 俺の体はすでに満身創痍。体ももう疲労の限界。気を抜くと立ち止まってしまいそうになる。


 血を失ったせいか、朦朧とした意識を痛みで覚醒させ走り続ける。


『クロヴィスゥウウウウウウウウウウウウ!!!』


 ぼんやりとした意識の中、仲間たちの怨嗟の声がハッキリと木霊する。


 そうだ。俺の仲間たちは……。


『かはっ!? 脚が! 僕の脚がぁああああああああああああああ!!!』

『かひゅー……かひゅー……や、めてくれ……』

『いでぇ! いでぇ! 喰うな! 俺を喰うなぁあああああああ!!!』


 仲間はもうビッグアントに喰われたんだった……。ダンジョンのモンスターが冒険者を喰べるなんて聞いたことが無い。生きながら喰われるなんてどんな地獄なんだ……。


 だが俺は、ビッグアントに喰われながらも助けを求める仲間を見捨てて生き延びたんだ。自分の命かわいさに、仲間を生贄にささげたんだ。


「クソッ! 痛ぇ……」


 悪態をつきながらも、俺は一歩一歩前へと進む。全身がぬるりとした液体に濡れている感覚があった。もう、それが血なのか脂汗なのかも分からない。


 どうしてこんなことになったんだ?


 俺たちはレベル6ダンジョンを制覇した期待の新星だ。全冒険者の中でもほんの一握り。上位5パーセントに入るエリート冒険者のハズだ。現に、これまでのダンジョン攻略でも、そこまで苦労した覚えはない。俺たちは優秀なハズなのだ。ダンジョンのレベルが1つ違うだけで、こんなにも違うものなのか?


 いや。本当は俺も分かり始めている。ただ認めたくないだけだ。


「アベル……」


 認めたくない。断じて認めたくないが、今までの俺たちにあって、今の俺にないもの。それは、詐欺師、寄生虫と蔑んでいたアベルの存在だ。


 冒険者ギルドに太いパイプを持ち、不正でレベル8まで上り詰めた悪者。口先だけで冒険者ギルドや周囲の冒険者を惑わす巨悪。戦闘ではなにも役に立たず、口だけ達者な冒険者にあるまじき卑しい存在。それがアベルのハズだ。俺たちがレベル7ダンジョンを攻略して、アベルの必要性などまったく無いと証明するハズだった。アベルという害虫を排除して、冒険者ギルドに公正性をもたらし、俺たちが英雄になるハズだった。だが……。


 アベルの野郎が正しかったってのか……?


 思えば、アベルはいつも俺の反対のことを言っていた。俺たちは、それを弱者の意見と切って捨てたが、それが正しかったとなると……。俺たちは弱者だったのか……?


「ッ!」


 違う!!! 俺たちは断じて弱者などではない!!! 決してアベルと同じ寄生虫なんかじゃねぇ!!!


 俺たちは、いったいどこで道を間違えたんだ……?


『最後に一つ。次にダンジョンに行くなら、レベル5のダンジョンに行くといい。そこで自分たちの実力を確認しておけ』


 アベルの最後の忠告が、ふと頭を過る。俺たちのことをバカにしているのだと思った。負け犬の遠吠えだと思っていた。それが正しかったとすれば……?


 アベルの言う通りにしていれば、こんな最悪の結末は回避できたのか?


「ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……ッ」


 最早歩くよりも遅い速度で溺れるような心地を感じながらも懸命に足を動かす。


「ぁ……ッ!」


 暗く埃っぽい洞窟の道を曲がると、眩しいほどの光が見えた。出口だ。光に土埃が照らされ、その道は道自体が輝いているように見えた。まるで俺の生還を祝福しているようだ。


 俺は最後の力を振り絞って前へと進む。最早、亀よりも遅いのではないかという速度に、我ながら笑えてくる。笑顔を浮かべるのは、随分と久しぶりな気がした。


「ッ!?」


 背後から聞こえた微かな音に、俺の笑顔は凍り付く。


 キチキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチッ!


 後ろから、またあの不快な音の群れが迫ってくる。あとほんの少しというところで……ッ!


「クソがぁあああああああああああああああああああああ!!」

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