第26話 ありあまる威力、その名も竜筆・大嵐


 筆を手に取った瞬間、オウカの掌に“重み”が走った。

 それは単なる物理的な重さではない。肌を撫でるような風の気配と、指先に伝わる微かな震動――まるで、筆そのものが鼓動しているかのような錯覚。


 まさに、生きているようだった。




 「……こいつが、アタイの新しい相棒……」




 オウカは呟きながら、ゆっくりと筆を掲げた。


 応竜の髭が筆先として束ねられた穂は、陽光の下でわずかに揺れ、金属でも毛でもない不思議な光沢を放っている。筆軸には『魔導鋼・漆黒』の冷たい鈍色が艶やかに走り、軸の中ほどから手元にかけては、『風霊の一本杉』が繊細な木目を残して滑らかに削られていた。


 その接合部すら一分の隙もなく、美しく仕上げられている。




 「……空気が……変わったな」




 思わずそう漏らしたのはシグルドだった。

 彼の長年の戦士としての勘が、目の前にある筆がただの“道具”ではないと告げていた。




 「名前は……“竜筆・大嵐(りゅうひつ・おおあらし)”だ」




 オウカが宣言するように口にした瞬間、工房の空気がピンと張り詰めた。


 ノクスがわずかに目を見開き、まるで“筆”がその名を喜んで受け入れたように、かすかな音もなく空間が振動した。魔力の粒子が筆先から静かに舞い、空気中に放たれていく。




 「いい名だ……荒れ狂う嵐の芯に座す竜……まさにお前さんの魔術そのものだな」




 ノクスはうなずき、珍しく柔らかな笑みを浮かべた。


 そのまま三人は、エンブルクの郊外にある広い原野へと足を運んだ。

 そこは、シグルドがかつて騎士団の訓練に使っていた荒地。草は低く、木もまばら。遮るものはなにもない。空だけが大きく開けている。




 「ここなら、多少地形が変わっても文句は出ねえだろ」




 オウカがニヤリと笑った。




 「むしろ変わって当然だろう。あの筆を見れば、俺でも少し怖い」




 シグルドは肩をすくめながらも、剣の柄に手を添えて一歩退いた。




 「さあ、暴れてこい。お前さんの“嵐”が、どれほどのもんか見せてみなあ!」




 ノクスが唇の端を吊り上げ、腕を組んだまま言った。


 オウカは軽く首を回し、目を閉じ、空気を吸い込む。

 風の匂い、空の圧力、筆のしなり、肌をなぞる魔力の流れ。

 全てを感じ取りながら、地面に足を開き、羊皮紙を置き、インクを筆につけて、


 ―――そっと筆を走らせた。




 「――“雷”」




 一文字だけ。

 それだけで、空気が一変した。


 ピシ……ピシピシ……ッ!

 どこかで空間が軋むような音がした。目に見えぬほどの速さで、空気中に雷の粒が生まれ、微細な光が弾ける。




 「うおっ……!?」




 シグルドが思わず目を見開いた。


 ゴオオオオオ――ッッ!!


 次の瞬間、まるで天の蓋が開いたかのように、青空が真っ黒な渦へと変貌した。

 黒雲が螺旋状に巻き、天空に円を描く。その中心から、金色の稲妻が放たれる。


 ビシャアアアン!!!


 雷鳴は大地を引き裂き、数百メートル先にそびえていた巨大な岩が、粉々に砕けて飛散した。

 破片が飛び散るたび、地面には焦げ跡が残り、空気は焦げた匂いをまとっている。




 「ッ……一文字、でここまで……!」




 ノクスが唸るように言った。


 魔力の流れだけでは説明のつかない“言霊”の力。それは、ただの雷ではなかった。“漢字”という概念に内包された、文化、歴史、感情、意思――そのすべてが凝縮された“雷”だった。


 オウカは筆を軽く振って余波を鎮めた。




 「ふふ……まだまだいけるよ、“竜筆・大嵐”。こんなもんじゃねえ、だろ?」




 そして、もう一文字。




 「嵐」




 再び筆が走った瞬間、風の流れが逆転した。


 突風が一転、周囲の木々が軋み、空が吠える。

 雲がぶつかり合い、上下左右から圧縮された風が竜巻を呼ぶ。まるで天そのものが怒りの形をとって唸りを上げているようだった。


 轟音、振動、渦巻く光と風。全てが“嵐”という一字の表現。




「なんてことだ……四字熟語なんか放ったら、この大陸の気候ごとんじゃないか……?」




 シグルドが、唇をかすかに引きつらせて笑う。


 それは畏怖の笑みではない。“漢字”という力が、ここまで暴れることに対する、一人の魔術師としての純粋な昂ぶりだった。




「ノクスの爺さん、あんた……ホンモノだよ。この筆、“書く”ってレベルじゃねぇ。書いた瞬間に世界が呼応しちまう……!」


「いや……ホンモノなのはお前さんだ、オウカ。俺はただ、材料と手順を与えただけだ。書を魔術にする“力”は、お前さんにしかない」




 ノクスはそう答え、手袋を外して風に髪をなびかせ、目を伏せた。

 まるで、自分が鍛えた“武器”にひれ伏すような――そんな誇り高い屈服の態度だった。




「今はまだ、魔力インクも羊皮紙も市販品のまま。なのに、もうこれだ。……全ての道具が完璧になった状態で、なおかつ四字熟語を放ったら、天災じゃすまないな」




 シグルドがそう言うと、オウカは筆を静かに納め、空を仰いだ。




「シグの兄貴、今はこれで十分さ……いつか“書”が世界を制する日を見せてやるよ」




 その瞳には、揺るぎない確信と、途方もない野心が宿っていた。












 そして――


 遥か北の霊峰。雪に覆われた岩肌の上で、巨体を横たえる一頭の竜が目を細めた。


 応竜エル・クーロン。




 「ほう……筆が吠えたな、小娘」




 彼は満足げに息を吐き、再びまぶたを閉じる。

 その寝息が、天の彼方で雷雲を呼ぶ。


 風が吹く。筆が目覚めた。

 この世界に、新たなる嵐が生まれた瞬間だった――








 ◆◆◆お礼・お願い◆◆◆


 第26話を読んでいただき、ありがとうございます!!



 もう二度と気楽に四字熟語なんて書けないねえ()



 この作品では、元ヤン書道天才ガールが、ルーン文字魔術の世界で破天荒に活躍する冒険活劇になります!!!!


 ちょっとは面白そうだから応援してやるぞ、鈴村ルカ!!


 オウカのキャラクター性が面白いじゃないか!!


 斬新な設定で、楽しめそうだ!!


 と、思ってくださいましたら、


 ★の評価、熱いレビューとフォローをぜひぜひお願いします!!


 皆様の温かい応援が、私にとってとてつもないエネルギーになります!!


 鈴村ルカより

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