第4話 北海道へ
終業式を終えた次の日、北海道に向かうため新幹線に乗った。
「ねえさんに宜しくね」
「お店忙しいのにごめんね」
すまなさそうにそう言うと、おばさんは
「邪魔になるけど」
とお土産を持たせて、
「夏休みはバイト見つかるから大丈夫よ」
と、笑った。懐の深いおばさんは、どんなときも頼もしい人だった。改札を入り、ちぎれるほど手を振って静岡の町を後にした。
宿題や試験勉強にまみれてこの夏中暮らすのかと思うと、さすがに憂鬱な気分にはなるけど、久しぶりに会える父さんと母さんの事を考えていた。進学のことも親とよく話してくるように担任から言われていた。この夏が勝負だから気を抜かないようにと、くどいほど念を押された。
あの後、山井君には会わなかった。終業式の全校集会の時も何処にいるのかわからなかった。ホッとしたけど寂しい気もして、あんな手紙をもらわなければ、私はずっと山井君のことを憧れたままでいられたのに。なんて自分勝手なことを考えた。山井君の言っていた、あの七夕の笑顔のままでいられたのにと……
ため息は後から後から止めどなく、とにかく息苦しくて、嫌悪感に押しつぶされてしまいそう。目を閉じる。荷物を足元にまとめてしばらく寝ようと思った。昨日の夜、善ちゃんが置いていってくれたカセットをウォークマンにセットしてイヤフォンを耳に入れた。
外を流れていく景色と、頭の中を流れるバラードが心地好い眠りを誘っている。善ちゃんの曲、みんなを眠らせてしまうのかな……次の駅に着く前にもう眠っていた。
北海道についてからの毎日は朝の散歩と、犬の世話と、勉強と母さんの話し相手の繰り返しだった。
あんなに星に憧れて、見上げればこぼれるほどの星空が頭の上にあるはずなのに、ゆっくり夜空を眺めることさえもしないでいた。
父さんの仕事は華やかでもなく、ドラマチックでもなく、静かで根気のいる毎日の繰り返しだった。助手の宏輔さんが家族同様に暮らしている。明るい人で母さんの手料理が気に入っている。何を作っても美味しいと言ってくれるから嬉しいと母さんが喜んでいた。
平凡で穏やかな日々。時々、足を伸ばして近くの牧場の馬を見に行った。風にさわさわと揺れる緑の大地に包まれて、心の中にぽっかりとあいた穴を、どうやって埋めればいいのか考えていた。
「芳野ー!」
突然何処からか私を呼ぶ声に驚いて目をこらすと、そこに、山井君が立っていた。
「山井君、まさか……」
目を疑った。なんでそんなに思いっきり良く手を振ってるの?山井君は軽い足取りで、タッタッタッと走ってきて二メートル前で止まった。
「きちゃったよ!どうしても会いたくて。広い牧場だな、探すのに苦労したよ」
「……」
気が動転して返事も出来ずに、黙ったままとまどっていた。
「ちぇ!またこの前の続きかよ。なんとか言えよ」
「信じられないよ……」
消え入りそうな声で言うと、
「何だって聞こえないよ。芳野、人生は短いってお前知ってる。ボサボサしてるとなにも手に入れられないままドンドン時は過ぎて行くんだよ。俺は決心したんだ。この夏かけてお前をくどくってさ」
くど…山井君は惜し気もなく言葉を使って、十年分くらいの心をあっと言う間に伝えてしまう。その勢いに返事なんてできず、彼に背中を向けて歩きだした。
「待てよ!逃げるなよ」
「……」
「晴子!」
そうだ、そのとおり走って逃げた。山井君のイメージが頭の中でどんどん変わっていく。もっと奥ゆかしい人と思っていたのに。とか、こんな軽はずみな奴じゃないとか、自分の憧れてたイメージをかき乱されて混乱しながら、だけど……
目の前にいるこっちの山井君が本物の山井君に違いない。そう思うと勝手に作り上げた山井君の方が消えて無くなるしかない。そんなことわかっている。
「き、急に止まるなよ」
現実の山井君を確かめるように上目づかいに顔を見た。
「どうした?」
ひるんだ山井君が申し訳なさそうに、そこに突っ立っていた。
「……」
「また沈黙かよ」
この混乱はすぐにどうなるものでもない。でも、どっか場違いに『よく、北海道まできたよな』なんて、頬を赤らめて山井君の勇気を讃えている自分がいた。この夏休みの間で星の研究をするとか親から許可をもらってこの町にやってきたらしい。
「此処で修業させてください」
と、父に頼んでいた。高校三年のこの時期にそんなことを許可する親が家の親以外にいるなんて信じられない。非常識な親は家の親くらいだろうと思っていたからまた驚いた。すったもんだの果てに父さんが向こうの親に連絡をとって、
「しばらくこっちで面倒見ます」
と、言った時には山井君嬉しそうだったな。こっちは反対に、これから毎日、三度、三度、顔を合わせて食事をするのかと思うととても憂鬱だった。
どっさりと大きな鞄に勉強道具が詰まってる。それを横目に見ながら、どうするつもりなんだろうと人事ながら心配になった。
父さんの話を身を乗り出して聞いている。宏輔さんの話にも反応が良くて、三人はすっかり意気投合していた。
それを遠巻きに見ながら浮かない顔。母さんは私の気持ちなんかそっちのけで、よそ様の息子を預かった事の重大さに少々気負い気味。これから始まる毎日は想像もつかない。いいかげん常識はずれな我が家に、その上をいく珍客を迎えた、なんとも形容し難い夜だった。
しかも、妙に慣れ慣れしい。まともに会ったのは七夕の夜と、学校でのやりとりと、今日で三回目。ほとんど会話すらない二人なのにどう考えてもこの展開は過激過ぎる。目のやり場がなくて茶碗に顔をうずめながらご飯を食べた。
まるで、ちいさい頃の父さんに叱られた後の食事風景のように。性格もなにもわからない山井君が元気に目の前にいる。
そうだ、憧れてた山井君……その人とちゃぶ台をはさんで向き合って、こんな日常的にご飯を食べているなんて。
山井君が理想の人だと勝手に作り上げてきたイメージ。本当は勉強が出来るのか?学年でどのくらいのところにいるのか?志望校は何処なのか?私は何一つ知らなかった。
「晴子。あんたそう言えば大学見てきたの」
ボッーとしてる横で母さんが世間話みたいなテンポで聞いた。
「止めてよ!そんなこと今は良いよ」
とはぐらかそうとすると、
「晴子、何処の大学見て来るんだって?」
と、山井君が聞いた。
「いいよ、もう」
悲しくなった。
「良いわけないだろう。大切なことだ」
と、父さんまで言い出して、
「お前、こっちの大学受けるの?」
と、遂に桜井君にバレてしまった。
「うん」
力なく…
「あ、でも希望してるだけ、今のとこ」
と答えた。
「へー、そうだよな。そうじゃなきゃこの時期北海道なんて来てられないよな」
と笑う山井君を、私も、父も、母も、じゃあ君はいったい?と言う顔で眺めた。調子狂いっぱなしの最初の食事。
食事をすますと山井君は父さんについて仕事場に消えた。後ろ姿を確かめながら大きなため息をつくと、母さんは横で笑って、
「大したものよね。あんたも山井君も余裕だよね。若いってすごいわ」
となんか的外れに感心した。
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