anthology
森川めだか
狐顔の少女
狐顔の少女
ある山間の村落に、
私はフィールドワークの帰りのついでに、そこに寄ってみることにした。
私の職業は民俗学者で、名を
研究しているのは、神やその他の、形を持たないものたちと、人間との関わり。
人は古から、形の無いものと暮らしてきたのだ。
時には、物語を織り交ぜて。
それとは別に、趣味として「不思議探訪」と題して、全国にある「不思議」と出会うフィールドノートをつけている。
不思議は、身近にあるものだ。
不思議を願う者に、不思議は訪れる。
そう信じている。
山の麓から、その村落に通じる唯一の交通機関のバスに乗った。
日が照っているのに、ポツリポツリと雨粒が落ち始めた。
「狐の嫁入りか・・」これは良い兆しだと思った。
でこぼこ道を走るバスの中では、懐かしいアニメ映画の音楽が流されていた。
文字の塗装の剥げたバス停に降りると、バスはまた引き返して山道を上って行った。
村の人達に手近な宿と狐森のことを聞いていると、変わったイントネーションなので、東京から来た私のために、合わせてくれようとしているのが分かった。穏やかな人々なのだ。
狐森は村から見えるこんもりとした山状の森であった。その「森」は、狐様をお守りする、「守り」から来ているのだとか、昔、そこに
教えてもらった民宿に泊まると、夕方頃に、「今バラしたばかり」の猪の肉と採れたての山菜の料理が出された。どれも旨かった。
狐森の散策は、明日にすることにして、今日は寝た。
狐森に入った。
中は鬱蒼と木々が茂り、雑草に覆われていた。
葉は日光を遮り、朝の空気で満たされた森が、風が吹く度にちらりとその姿を現す。
立ち込める森の気配、濡れた岩壁、流木のような倒れ木、二股に別れた木、木の根でできた階段、押し黙った草花、密やかに湧き水が流れる音、濡れた葉を踏みしめる音。葉を揺らして、鳥が鳴きながら飛び立った。
巨木に手を掛けて跨ぐと、小さな稲荷神社があった。
「こんな所に・・」
朱色の禿げた古い小さな鳥居。両端にある白狐がこちらを静かに見ていた。
私はそっと、近寄った。
「お参りする人もいなくなったのか・・」
私は手を合わせ、一礼して、古びた賽銭箱に、財布にありったけの小銭を入れた。
「不思議さん、おいで」私は囁いた。
森は静かだった。
トントンと肩を叩かれたような気がして、振り向くと、誰も居なく、陽の当たっている高台が見えた。私は石を足掛かりにして、そこに登った。
ここで一休みさせてもらうか。私は岩に座り、それまでのことをフィールドノートにつけ始めた。
アリの行列が出来ているのを見付けた。
何だろうと思って、先を追っていくと、岩の上で、赤い飴玉で出来た首飾りが、日光を反射してキラキラと光っていた。
「それ、あたしの」声の方を振り向くと、赤い着物を着た少女がにこにこと笑って立っていた。手をこちらに差し出している。
私はその飴玉の首飾りを拾い上げると、少女に手渡した。
少女はくすくすと笑って、それを首にかけると、持っていた赤いうちわで、踊るまねをした。
そのまま少女はくるくると回って、森の中へと入って行った。
私が急いで、荷物をまとめていると、木の間からひらひらと手招きする手が見える。
私はリュックを背負い、そこに入って行った。
少女がこちらを見て、木の葉で作った狐の仮面を面白そうに顔に重ねた。
私が無駄と知りながら、「村の人かね?」と尋ねると、「村の人じゃないよ。でも、そうかもね。あたし、
少女はふわふわと舞うように森の奥へ奥へと分け入って行く。私も後を追っていった。
少女の周りをルリタテハが飛んでいる。
参列者のような木々。
森の
苔むした地面を足音もなく進んでゆく。
「クッキー、食べる?」少女は振り向いて掌に載せたクッキーを差し出す。
私はそれを受け取り、かじりながら、また後を追っていく。
当たり前だが、道に迷ってしまった。狐森はこんなに広くは見えなかったのだが。
「ここはどこかね?」私が尋ねると、少女はまたくすくすと笑って、答えなかった。
少女が木の陰に隠れた。
私は無駄と知りつつも、木の裏を覗いたが、もう誰もいなかった。
ただ、木の下に、袋に入れてあるチョコレートドーナッツが二つ、置いてあった。
私はそれを拾い上げ、リュックにしまった。
また、くすくす、くすくす、と少女のふざけるように笑う声が聞こえた。
見回すと、手招きする光。木々の間に隠れて日が射していた。
そこから出てみると、村が見えた。
もう黄昏時であった。
私は少し笑い、村へと帰って行った。
夜、宿で今回出逢ったことを「不思議探訪」につけ、リュックからあのドーナッツを取り出し、一口かじると、甘くて、あの娘の顔が浮かんだ。
狐顔の少女か・・。
ドーナッツを食べ終わると、遠くの山で、来おーん来おーーんと、狐が鳴いた。
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