業務日誌#01

大魔王の新しい朝


「――これからどうするの?」


「長く続いた戦乱で、同胞たちもみな疲れ果てている……俺たちを争わせていた〝彼の者〟が消えた今、もはや人とモンスターで争う必要もあるまい」


 それは、今から十年前。


 大魔王ロード・エクスと、救世の勇者フィオレシア・ソルレオンの最後の決戦が行われた時のこと。

 戦いの果てに崩れゆく魔王城の中。傷だらけになったエクスとフィオは、共に疲れ果てた様子で言葉を交わしていた。


「でも、人とモンスターはそんな簡単には……」


「この世界にかけられていた〝やつの呪い〟は俺が引き受ける。その後の問題は貴様が片付けろ、勇者よ」


「な、なに言ってるの……っ!? 呪いを君が引き受けるって……そんなことをしたら、君はっ!」


「案ずることはない……俺は無敵の大魔王だ。呪いの一つや二つ、どうということはない。むしろ俺からすれば、貴様に任せる戦後の後始末の方がよほど困難に見えるがな」


「大魔王……っ」


「フッ……だが俺は貴様を信じるぞ、勇者フィオレシア。貴様は俺がこの世でただ一人、その魂の輝きを認めた人間なのだからな」


 そう言うと、エクスは傷だらけのままふらつく足取りで立ち上がり、フィオに背を向けた。


「せいぜいうまくやれ。俺も貴様も、そのために今日まで戦ってきたのだろう。頼んだぞ、勇者よ……」 


「待って……! 待ってよエクスっ!」


 最後の時。瓦礫の中を去って行くエクスの背に、傷ついたフィオは必死に呼び掛けた。


「約束する……それで世界の全てが君の敵になっても、私はずっと君と一緒にいる……! これから先……この世界が君を受け入れなくても、私が君の居場所を作ってみせる! だから待ってて……私がもっと強い大人になったら、絶対に君を迎えに行くからっ!」


「ファーッハッハッハ! ならば十年待ってやる。十年後……もし本当に貴様がそれを成し遂げていたならば、望み通り貴様のものになってやろうではないか! 俺もそれまでに、やつの呪いを自力で打ち砕いておくとしよう!」


「約束だよエクス! 絶対に、忘れちゃダメだからねっ!?」


「良かろう! 大魔王に二言はない!」


 約束。

 それは確かに、二人が交わした約束だった。


 この後……エクスは人とモンスターが生まれながらに持っていた、互いへの憎悪と恐怖を嘘のように消し去ってみせた。

 そして対等な講和条件だったにも関わらず、全モンスターに戦乱の指示を出したのは自分であるとして、彼は戦後一切の権力も富も受け取らずに姿を消した。

 一方の勇者フィオレシアもまた、欲望渦巻く人類を硬軟織り交ぜた交渉術でまとめ上げ、争いに疲弊した人々の世論を味方に、奇跡的とも言える平和を実現したのであった――。


 ――――――

 ――――

 ――


「――それなのに、どうして私と君で別々の部屋で寝ないといけないんだい!? 私は立派に君との約束を果たしたじゃないかっ!」


「だ、黙れこの肉食系勇者め! まさか本当に大魔王をモノにしようとするやつがあるか!? そ、それに……そういうことはまず正式な夫婦になってからであろう!?」


 そして時は現代。

 世界最大のタワーマンション、ソルレオーネの低層階にあるエクスの居室には、朝も早くからスーツ姿のフィオレシアが押しかけていた。


「なら夫婦になればいいじゃないか! 今! ここで! そして血湧き肉躍る愛の営みを!」


「だーかーらー! 今の俺にはその甲斐性がないと言っておるのだ! このマンションで立派に働き、身を立てて稼ぎを得る……そうすればこの大魔王エクス、必ず約束は守る! その……俺も貴様のことは好き……ではなくて、嫌いではないのでなァ!?」


「ぶぅ……相変わらず脳みそ大魔王なんだから。お金のことなんて気にしなくても、私がいくらでも養ってあげるのに。前のアパートだって、私が探してあげた物件だったじゃないか」


「その申し出はこの十年でさんざん断ってきたであろう! 結果として貴様に仕事を与えられはしたが、俺にも越えられないラインというものがあるのだ!」


「ニャー」


 朝からじゃれ合う二人の横で、エクスの飼い猫である子猫のクロがかわいらしい鳴き声を上げる。


 フィオに拉致され、ソルレオーネの管理人として無事就職した元大魔王のエクス。

 結局、彼はその日のうちに長年住んでいたボロアパートを引き払い、完成したばかりの新居へと移り住んでいた。

 管理人用とは思えないほどに広々とした清潔な室内には、今もまだ梱包されたままのエクスの私物が散乱している。

 カーテンが取り付けられていない大きな窓からは暖かな日の光が差し込み、傷一つないフローリングを優しく照らす。


「そんなこと言って、私と違って君はまだ〝あの呪い〟を完全には解いてないじゃないか。私は約束を守った、君はダメだった。戦う前から勝負はついてると思うんだけど?」


「ぐぬぬ……黙れ黙れ! 完全にとはいかなくても、もはやその効力は見る影もないではないか! 貴様もそう思ったからこそ、今このタイミングで俺を社会復帰させたのではないのか!?」


「ふふ、まあね」


 十年前に行われた勇者と大魔王の最終決戦。

 互いに深く思うところのある当時の話に華を咲かせながら、二人は長年連れ添った夫婦のような様子で朝の食事を終える。


「さて、と……そろそろ時間だ。私は仕事に行くから、エクスも今日から頑張ってね」


「そういえば貴様は社長ではないか。このようにゆっくりしていて良かったのか?」


「へーきへーき。本当に有能な経営者は、お金も時間も自由なのさ。もちろん……必ず手に入れると決めたパートナーだってね」


 時計を確認したフィオは不意に挑発的な笑みを浮かべると、一切の迷いなく、流れるようにエクスの頬に口づける。


「ぬわーーーー!? いきなりなにをする貴様ーーーーっ!?」


「あはははっ。じゃあねエクス。もし仕事中に私のことが恋しくなったら、いつでも連絡していいからね」


「さっさと行ってこい! 気をつけてな!」


「はーい」


 突然のことに驚愕するエクスに、フィオはその美しい笑みをさらに深めると、上機嫌のまま手を振って去っていく。

 残されたエクスはまだフィオのぬくもりが残る頬を片手で押さえ、苦々しい表情で見送ることしかできない。


「ぐぬぬ……! 初めて会った時はまだ十歳かそこらの小娘だったというのに、すっかりこの俺を手玉にとるようになりおって!」

 

「ミャー?」


「て、照れてなどおらんぞ!? 突然のことに少々驚いただけだ! さて……俺も仕事の準備を始めなくてはな!」


 十年の求職活動を終え、ついに初仕事へと臨む大魔王エクス。

 しかしそれと時を同じくして。

 希望に満ちた彼をあざ笑うかのように、マンション住民からの恐るべき苦情が管理人室に届こうとしていたのだった――。 

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