第29話 胸の苦しみと残像と幻聴
店を出て、2人で帰路に就く。途中までは一緒だ。
帰り道の分岐点で改めてアタシはお礼を言った。あのときと違って、今日は天気が良いので、もちろんシュージの家に立ち寄ることもしない。
結局、シュージは、アタシに教えるために自分の勉強がまったくできなかったわけだが、その不満をおくびにも出さなかった。申し訳ないと思うと同時に、ますます彼の存在が謎めいていた。第一印象とは、良い意味でガラリと変わった。
しかし、シュージと別れて、自分の家に向かって5分も経たないうちに、急にアタシに異変が訪れた。胸が苦しかった。
もちろん、息苦しいとか、何か痛みがあるとかそういうのではない。でも何かにキュッと心臓のあたりを軽く締め付けられるような苦しさだ。アタシがこれまで経験したことのない感覚だ。
「えっ? えっ?」気付くと独り言を呟いていた。
次第に苦しさの正体が分かってきた。あの男の、朝永修治の残像が目に焼き付いて離れない。あの妙に落ち着き払った低音ボイスが、幻聴のように耳の奥でこだましている。
──これが恋?
とうとうそれを自覚させられるまで、胸の苦しみと残像や幻聴は、際立っていった。
同時に、それを素直に受け入れられない自分がいた。
シュージは、アタシの好みの男性とは程遠い。
ジャネーズJr.『なごや男子』の
対するシュージは、仏頂面でカタブツ。いかにも勉強しか取り柄がなさそうな男だ。話し方もマジメ腐っていてお爺さんみたいで面白くないし、ノリも良くない。
そんな正反対な属性の男に、激しく心を揺さぶられている。もう一度シュージに会いたいと思う気持ちと、そんなはずじゃなかったのにと認めたくない気持ちとが、バチバチと
胸の苦しみはいっこうに消えないまま、家に着いてしまった。正直、家ではテンションが下がる。ボンクラな娘だと愛想をつかれているアタシは、家では、自分の部屋くらいしか居場所がない。さっさとご飯を食べて、お風呂に入って寝てしまおうか。
そう思っていた矢先に、急に現実に引き戻されるような報せが入った。
「明日の授業後、三者面談だって」
「えっ?」
「犬飼先生、忙しくなったらしくて、突然、明日くらいしか都合がつかないから、どうですか、と電話がかかってきたんよ」
「……」
唐突すぎる展開だ。いつかは来るものだと分かっていたものの、いきなり明日だなんて心の準備が整わない。
でも、決定事項をアタシがどうこうできるものじゃない。習い事も部活もしていないアタシが、その時間は都合が悪いなどと主張しても通用しない。仮病を使ったって、結局、別の日にずらされることだろう。
胸の苦しみは、別の種類の苦しみに成り代わっていった。そして、それはもっと精神まで蝕むような、心地の悪いものであった。
正直、晩ごはんを食べる気力もなかった。義務的に味のしない食事を済ませ、シャワーに打たれながら自らの肢体を流れ落ちる水滴を、ただじっと見つめていた。
布団の中で寝落ちする前に、幻聴ではなくて、本当のシュージの声が聞きたかった。でも、連絡先も交換できておらず、明日に差し迫った三者面談による憂鬱と葛藤に支配されていた。
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