第16話 番外編 戦姫と彼が作る共和国
▫︎◇▫︎
日々激化する戦争によって、国は、世界はいとも簡単に滅んでいく。
ヴィクトリア公国の最新兵器である核兵器は、何もかもを消し炭にしていった。遺体さえも残らない残虐な武器は、敵味方関係なく、全てをも破壊する。
美しい花々が咲き誇っていた山々は更地になり、生き物の生を支える清らかな水は赤黒く血と泥に染まる。
私は彼と住む小さな家の中でそんな光景を見つめながらも、何もできなかった。
否、しなかった。
自己防衛のために、アンソニーを守るために、私は“戦姫”である私を捨てた。こんなにも簡単に捨てられるとは思っても見なかった。でも、私はこれが最も正しい道だとちゃんと理解していた。
ーーー最前線で指揮をとる人間を失った部隊は、手負の獣となって、戦場を、全てを、思うがままに破壊していく。
そこに正義なんて清く正しいものは存在していない。
あるのはやるせない感情の吐口として使用したことによって破壊された自然や殺された生き物の亡骸のみた。私はこの道こそが正しいと知っていた。
だって、こうすれば最も早く戦争が終結するから。
全ての軍は、ディステニー帝国も、ヴァルキリー王国も、ヴィクトリア公国も、指揮者を失った全ての軍は、もうヤケクソになっているだろう。
そうなればもう総力戦だ。
持ち得る全ての武器を使って、世界を破壊して、敵兵を殺していく。いとも簡単で残虐なゲームだ。
「はっ、」
乾いた笑いと共に自虐が溢れて、私は首を横に振る。
どこまでいっても、どんなに逃げても、所詮私は戦争によって感情を歪めてしまった人間なのだろう。
自然の破壊が、生き物の死が、人間の死が、ただのボードゲーム上のやりとりのように思えてしまう。実際に切り刻むと罪悪感が湧くことも、指示を出すだけになると何も思えないとは、とても不思議なことだ。
「フローラ」
今しがた帰宅したであろう彼を振り返って、私は淡く微笑む。
「………アンソニー」
悲しそうに顔を歪めた彼の手は、血に染まっている。
今日も優しい彼は、亡くなった兵士たちを密かに弔ってきたのだろう。手伝えないことへの歯痒さを感じながら、私は動かなくなってしまった右手を左手で撫でた。
1人でも多くの、無惨な死を遂げてしまった兵士たちを弔ってやりたい。
でも、今の私にはそれさえも叶わない。
動かない手では、昔、共に戦った仲間を弔うことすらも、満足にはできない。
「………右手さえあれば………」
叶わぬ望みを呟いて、私は首を横に振る。
叶わぬ望みを呟いたところで、現状は変わらない。私が今しなければならないことは、現状をより良くするために思考すること。
生き延びた者は、生き延びた者の責務を果たさなければならない。
母が口酸っぱく言っていた言葉を思い出しながら、私はあの過酷で残虐な戦場で生き残った者としての責務を果たすために、思考する。1人でも多くの人を助けるために、無惨に散った命の花を弔うために、私は前を見つめなければならない。
失ったものは戻ってこない。
けれど、私にはたくさんのできることが存在している。
だからこそ、私はその時を待って、じっと息を潜めている。彼とここに来て数日で決めたこと。
戦争が終結した時、おそらく3カ国は同時に消滅する。
その時、私たちは道標になる。
主君なき国民は、おそらく、否、ほとんど全ての確率で路頭に迷うことになってしまう。その時、もしも戦場で死んだと思われていた英雄が大怪我を負って生き残っていたら、民衆はどう思うだろうか。
その答えは簡単。
藁にもすがる思いで、頼ってくるだろう。
反対に、誰もいなければ、民衆はもっと困ることになる。
だからこそ、もう戦いに出ることができない私とアンソニーは、こうして息を顰めて生き残り、そして、終戦後に民衆を導いていくことに決定した。
「………アンソニー、」
「どうした?フローラ」
「いつ、………戦争は終わるのかしら」
「ーーー………」
無言で無表情の彼は、多分ものすごいスピードで頭脳を回転させているのだろう。私には一切できない芸当は、彼だからこそできることだ。
私が右手を失った戦場で魔法回路を破損してしまったらしい彼は、今までの4分の1しか魔法が使えないらしい。私よりも100倍魔法の扱いが器用な彼は、4分の1になったところで、私の20倍は上手に魔法を操ってみせる。本当に、器用で完璧な旦那さまだ。
「ねえ、フローラ。この暮らしはあと1週間なんだけど、フローラは何がしたい?」
「え………?」
唐突な問いに驚いていると、彼は苦笑して寂しげに瞳を閉じた。
「1週間後には、終戦すると思う。だからこそ、僕は君と2人っきりでいられる最後の時間を大事にしたいんだ」
「アンソニー………、」
彼の頬に左手を伸ばすと、彼は苦笑した。まるで自分に疲れ切っているかのような表情をしている彼はなんだじゃ危なげで、私は不安になる。どこまでも強くて真っ直ぐな彼は、けれど、本当はとても優しくて繊細だ。
「じゃあ、一緒に集落地候補を見て回りましょう。ここの周辺に、集落を作って、人を受け入れるのでしょう?」
「あぁ」
「ふふふっ、楽しみ」
自分達の家を中心にして作る予定の国は、集落は、どこまで大きくなるのだろうか。今の私には、全くもって想像もつかない。
でも、これだけは言える。
この先、私たちにはたくさんの試練が待っているとーーー。
▫︎◇▫︎
それから1週間後、アンソニーの宣言通りに長きにわたって行われてきた世界をも破壊する大きな戦争は、無事終戦を迎えた。
山は消え失せ、自然は燃え尽くされ、水は汚泥に塗れた世界に、人々は涙し、恐怖に慄いた。誰も予想だにしなかった、そこらかしこに血や肉片が転がっているという光景は、周囲に不安を煽り、新たな狂乱を招く。
けれど、私とアンソニーはそうなる前に行動に出た。
単純かもしれない。
無謀かもしれない。
けれど、私たちはがむしゃらに人々の前に立って、先人を切って新たな人々が住む場所を作り上げた。
2人が3人になって、3人が5人になって、集落はやがて大きな国をかたどっていく。
共和国制を敷くという意見に対する反論を木っ端微塵にする作業は、人生で1番大変だったかもしれない。
でも、アンソニーとだからこそ乗り越えられた。
戦後10年の今、私の腕の中にはふにふにした赤子が抱かれている。
幼き頃に失った母からしか愛情をもらえなかった私が母になるというのは、正直に言ってとても怖いことだった。
愛する自信がなかった。
大事に育てられる自信がなかった。
でも、彼との子供だからどうしても欲しかった。
「ローレル」
『平和』を意味する月桂樹の名を持つ愛おしい息子は、自分と同じ純白の髪に彼と同じ海色の瞳を持っている。
「フローラ!ここにいたのか。探したよ」
穏やかに笑う彼には、あの頃のような溌剌とした若さはない。けれど、渋みのある安定感が醸し出されていた。
名付け親たる父によく懐いているアイザック・ローレル・ヴァルキリーは、『あばぁ』と言いながら、父に両手を伸ばして甘える。
そんな幸せな空間で空を見上げながら、ふと私は呟く。
「共和国が実現するなんて、思ってもみなかったわ………」
「………そうだね。ここは間違いなく、僕たちが紡いだ歴史の1ページだ」
さあっと吹き上げた風に乗って、軽やかな花びらが舞い上がる。
悲惨な戦争を繰り返さないために後世へとつなぐ歴史の1ページ。
そのページには、必ず戦争後に活躍した花に満ちた共和国と、戦場では仲間を守るために武器を握り続けた2つの敵国の王族と皇族の血を引く、仲睦まじい創始者夫婦の名前があったーーー。
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