第62話:獅子奮迅

 母上の誘いに乗せられたクラウディウス王国軍二万は、我が家に友好的な侯王領を襲って略奪の限りを尽くそうとしていました。


 指揮官がその痴夢をかなえるべく、襲撃を命じようとした直後に四方八方から亜竜の威嚇が聞こえてきたのです。


 純血種竜が放つ威圧の咆哮ほどではありませんが、亜竜の威嚇にも並の魔獣なら金縛りにするくらいの威力はあるのです。


 母上は急いで襲い掛かるような真似はされませんでした。

 配下の者達には戦意を高める言葉をかけられましたが、自ら攻撃を始めるような事はされず、敵軍が自壊するのを待たれたのです。


「ギャアアアアア」

「逃げろ、逃げるんだ」

「たすけてくれ、喰わないでくれ!」

「どけ、どきやがれ!」

「ギャアアアアア」


 戦場は阿鼻叫喚の地獄絵図でした。

 どれほど訓練をした軍馬であろうと、亜竜を前にしては耐えられません。

 いや、僅かな気配を感じただけで、恐慌状態に陥ってしまいます。


 軍馬は背に乗せた騎士を振り落として逃げようとしました。

 ほんとどの騎士は落馬して重傷を負いました。

 中には首の骨を折って即死する者もいました。


 七十キロ前後の鉄製の鎧兜を装備しているのです、

 軍馬の上から振り落とされた時の衝撃は、並大抵ではありません。

 更に恐慌状態になって飛び跳ねる軍馬に踏みつけられたら……


 軍馬に殺されるのは主人である騎士だけではありません。

 近くにいた騎士の従者も暴れ回る軍馬に蹴られて死傷していきます。


 軍馬がどこかに走り出すと、その被害は大きく拡散していきます。

 自分が傷つく事も考えずに、馬装をまとった体重千キロの獣が暴れるのです。

 ろくな装備もない強制徴募兵に耐えられる訳がないのです。


 母上は非情に徹しられました。

 最初から捕虜を取る事を考えず、抵抗する敵は討ち取られました。

 降伏を申し出る敵兵を、情け容赦なく殺されました。


「母なる連邦を裏切ってクラウディウス王国軍を引き入れた売国奴は許せません。

 侯王一族はもちろん、家臣領民も皆殺しにします!」


 二万の敵軍の皆殺しにした母上は、裏切者を皆殺しにすると宣言されたのに、その場に止まって戦場掃除をされました。


 この世界の戦場掃除とは、地球の近代軍が言う戦場掃除とは違います。

 遺体を放置すると疫病が発生せるので、敵味方関係なく遺体を火葬か土葬にするのが地球近代軍の言う戦場掃除です。


 ですがこの世界の傭兵である母上が言う戦場掃除とは、殺した敵兵の武具防具はもちろん、下着に至るまで剥ぎ取って戦利品にする行為です。


 普段はとても優しい母上ですが、いざ戦いとなれば、そんな事が平気でできる百戦錬磨の傭兵なのです。


 だから、安心してお任せすればいいのですが、どうしても心配で、ついゲートを使って後詰をしてしまいました。


 もちろん、敵に見つからないようにひっそりとです。

 母上を始めとした味方にも秘密です。

 最悪の事態にならない限り、助けに入ったりしません。


「公王母殿下、我らを救ってくださり感謝の言葉もありません」


「いえ、いえ、息子が同じ連邦の公王ならば、侯王殿下も同じ連邦軍です。

 卑怯な調略で攻め込んできた敵を一致団結して防ぐのは当然の事。

 お礼には及びません」


「とんでもありません。

 同じ連邦の侯国や公国とはいえ、普通なら自国を優先するもの。

 東方のオピミウス大公国と対峙している時に、貴重な亜竜を公王母殿下直々に率いて援軍に来てくださるなど、普通では考えられない事です。

 どれほどお礼を言っても言い足らないくらいです。

 私にできる事なら何でも言ってください」


「そこまで言ってくださるのなら、お願いしたい事があります」


「何でしょうか、私ができる事なら何でもさせていただきます」


「この領内の戦いで、二万の敵を斃したのですが、そのまま放置しておくと、疫病が広まってしまいます。

 全て焼くか埋めるかしなければいけないのですが、私達は急いで逃げた敵を追わなければいけません」


 母上は傭兵でしたので、必要なら平気で嘘もつかれます。

 敵の総数が二万ではなくもっと多かったと言われただけでなく、存在しない逃亡兵をでっちあげられて、追撃が必要と言われたのです。


 本当に追撃が必要なら、斃した敵を身包み剥いだりしません。

 負担になるだけの余分な重労働を、挨拶に来た侯王のやらせるためです。


「それはいけない。

 素直に逃げてくれればいいが、処罰を恐れて連邦に居座るかもしれない。

 追い込まれた敗残兵が、他の侯王領を襲うかもしれない。

 分かりました、敵兵の遺体は我々で処分させていただきます」


 母上も侯王は狐と狸です。

 それは母上も侯王も互いに理解しています。

 

 母上は、侯王が少しでも俺との縁をつなごうとしている事を知っておられます。

 同時に、俺と自分の名声を高めた方が良いのも理解されています。


 侯王は、母上が何も言わずに遺体を放置して行ったとしても、文句が言えないのを自覚しています。


 互いが利と名誉を天秤に掛けて、分かっている事を知らない振りをしつつ、少しでも利を得るか、損を回避するかを考えているのです。


「では、後の事は頼みます」


 戦場掃除と噂の伝播を待つのに二日をかけた母上は、ゆっくりと亜竜軍団を西に向かわされました。


 連邦を裏切った侯国は、侯王一族だけでなく、家臣領民も皆殺しにすると言う母上の宣言は、燎原の火のように広がりました。


 クラウディウス王国が必勝を期して送って来た二万もの大軍が、為す術もなく皆殺しにされたのですから、勝ち目がない事など誰の目にも明らかでした。


 連邦内に行き場の無くなった裏切者達は、クラウディウス王国を頼って西に西へと逃げて行きました。


 クラウディウス王国としても、自分達が裏切りを誘った侯国を見殺しにする事は、絶対にできませんでした。


 そんな事をしたら、もう二度とクラウディウス王国の誘いに乗る者がいなくなるだけでなく、国内貴族の信用も失ってしまいます。


 ですがそれは、クラウディウス王国にとって途轍もない負担です。

 侵攻後半の兵糧は、連邦の村や町から略奪する予定のようでしたが、当初の兵糧と軍資金は持ち出しなのです。


 その兵糧と軍資金を母上に奪われた上に、着の身着のままで逃げてきた二十九もの侯王一族と家臣領民を養わなければいけないのです。


 凶作とまでは行かなくても、不作に苦しんでいたクラウディウス王国では、多くの王家直轄領で餓死者を出しかねない負担です。


「私、マクネイア公王母でありマクネイア侯王妃であるパトリツィアは、ここにオルディントン侯国を占領併合した事を宣言します。

 異議のある者は戦いをもって私からこの地を奪って見せなさい。

 口舌で異議を唱える者も容赦しません。

 私自ら亜竜軍団を率いて思知らせてあげます」


 母上は侯王も家臣も領民もいなくなった、無住の侯国領を次々と無血占領していかれました。


「クラウディウス王国が攻め込んできた時は、卑怯憶病にも城に籠って震えていたくせに、私達が命懸けで二万もの敵兵を斃し、数万の敵兵を追い払った途端、こそ泥宜しく我らが手に入れるべき土地を奪った恥知らず共!

 正義の鉄槌を下して皆殺しにして、竜の餌にしてくれる!」


 ですが無住になった侯国領の中には、近隣の公国や大公国が兵を差し向けて占領していた所もありましたが、母上の激怒を受けて平身低頭詫びて来ました。


 母上は今後の事も考えて、どれほど詫びても許されませんでした。

 流石に走竜の餌にはされませんでしたが、髪を丸坊主に切り、身包み剥いで裸にした上で、戦場には出ずに命懸けで連邦を守った勇士の土地を奪った恥知らず。


 そう高札を掲げて磔にしたのです。

 それも奪った侯王領でだけで晒したのではありません。

 当人達の領地はもちろん、他の連邦領に引きずり回して晒し続けたのです。


 卑怯者達の名誉と威勢は地に落ちました。

 単に戦って捕虜になっただけでも恥なのに、丸裸で晒し続けられたのです。


 これで連邦会議に出席したら、恥の上塗り以外の何者でもありません。

 全ての連邦加盟国家代表から唾棄されるでしょう。


 それは火事場泥棒を命じられた民からの信頼も同じでした。

 侯王と一緒に捕虜にされ、生まれてきた事を後悔するほどの恥をかかされ、悪口雑言の嵐を浴びせられながら連邦内を連れ回されたのです。


 国に戻る事を許されても、戻ろうとする民は極少数でした。

 ごく僅かに戻った民の中には、侯王に剣を向けて命を奪った者もいました。

 返り討ちにした侯王もいましたが、内乱状態になっています。


 国に戻った大人しい民も、領内だけで自給自足できるのならいいのですが、僅かでも他所から物資が必要なら商人に頼るしかないのですが、肝心の商人が来ません。


 最初に連邦最大の商人都市を完膚なきまでに破壊し、占領した我が家を敵に回す覚悟で、母上の怒りを買った侯国を相手に商売する者はいません。


 民が激減しては国を維持する事はできません。

 蓄えていた富は母上に身代金として支払って残っていません。

 結局、国を捨ててどこかに逃げるしか残された道はありませんでした。

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