第64話 大会新記録
「ストライーク」
初球から速球の真っ直ぐ。今日もその球速は衰えることなく走り、今までで一番早いんじゃないかという球を投げていた。振りかぶって、必死に投げる。背番号は99という予備の番号を背負って。九、九って数字、九郎九坂にぴったりだと思うけどな。端っこの方の、隅っこの方のギリギリの数字。九が二つ、自分の名前と同じ二つ。俺は補欠ではあるが、ここにいるメンバーに野球をさせてもらえている感謝を持って、そしてその恩を返すためにマウンドに立ったという強い気持ちを持っていた。そしてそれとは別に対戦には慎重に、冷静にあった。コントロールが乱れては試合を作れない。低めに。ギリギリいっぱいに速いストレートを投げ込む。時折インサイドを見せてバッターをビビらせる。
「ストライーク!」
「ストライーク!」
「ストライーク! バッターアウト!」
二者連続三振。ストレート一本の気迫のピッチングだった。声も出ていたかもしれない。叫んでいたかもしれない。球が何キロ出ているかなんて、そんな些細なことは気にならないほどだった。
三人目。三番バッター。こいつを押さえれば勝ち。そう思って投げた一球だった。ストレートが甘く入り、抜けて真ん中へ。
カキーン。
打球は一二塁間を抜けてライト前ヒット。ランナーは一塁二塁と二人に。同点のランナーが二塁、逆転サヨナラのランナーが一塁。
正捕手、国崎が駆け寄ってきた。
「今日、百三十キロ出てたぞ。体感だけど」
「まさか。剛速球じゃん、そんなの」
「冷静に、自信持って投げろ。そんな球誰も打てないぜ」
一喝もらって、俺はマウンドに戻った。
俺はキャッチャーのサイン交換をしっかりと見て、頷いた。
投げた。
「ストライーク」
この日最速の百三十六キロは大会新記録だそうだ。
俺は中学生がどれだけ早く投げられるのか調べたことがある。平均球速は軟式で百いかないくらい。九十キロとか。それこそ百二十キロを投げる俺は珍しいといえば珍しい方で、時折見せるその百三十キロ代なんて投げられるのは全国でも十数名らしい。全国には、中には百四十キロ超えの投手もいるそうで、やはり上には上がいくらでもいるんだなということが、調べてわかったことがある。俺なんて大したことない。ちょっと速いつもりのただのガキだ。
だからその時は大会新記録とか耳に入らなかった。チームが勝つために、精一杯だった。ランナーが居る。帰ってくれば、チームの勝ちが無くなり、最悪負けるかもしれない。何が起こるか分からないのが野球だ。最後の一球まで、ツーアウトからが野球の始まりなんて場合もある。そして今はそのツーアウト、ランナー、一塁二塁。得点圏にランナーを背負うピンチだ。
俺は冷静になろうと、タイムを取った。俺は野球部じゃない。だから、場数を踏んでいない。こういう場面を経験したことすら無いのだ。抑えをやったのは今年の球技大会のときが最初で最後。あの時は満塁での交代でいきなり満塁のピンチを背負っての投球だったな。確か、あのときも一点差リードだったな。
満塁サヨナラのピンチよりはマシだろ。
俺はキャッチャーに向き合い、バッターをちらりと見て、サインを交換して頷いた。
投げた。
腕を振り抜いた。
その速球はバッターへ向かい、そしてバットに当たった。
カキン。
鈍い音がした。一瞬、その時世界の全てが無音に思えた。何も聞こえない。無音。ボールの行方は、高く上がって、内野フライ。
どこだ、……セカンドか。
そのセカンドフライは、セカンドが落下点に構えると、ポスリとその球を捕球した。
「アウト! ゲームセット!」
試合終了。
イチタイゼロで、うちの勝ち。
ベンチからメンバーが一斉にでてきて、もみくちゃにされた。内野も外野もやってきて、みんなハイタッチしたり抱きついたりしている。俺はみんなに叩かれた。背中をバシバシ叩かれた。やったな、すごいなと言われた。すごいのはお前たち野球部だよ、と言いたかったが、しかし喜びと安堵が大きかったのも事実だった。安心したのだ、俺は。
俺たちはホームベースを境に相手と向かい合って並び、礼をしてゲームを締めた。そして外野に向かい、外野で応援してくれた応援席にお礼のために一礼した。内野に戻り、内野の声援にも応えた。俺はその時、この野球にとてつもない沢山の人が応援してくれていて、沢山の人が関わっていたことを改めて認識した。俺はその全てに感謝したい気持ちでいっぱいだった。
野球はやっぱり良いものだな!
それから俺は野球部のメンバーたちと言葉を交わした、互いに労を労い、褒め称え合った。
「これ、九郎九坂が持ってろよ」
そんな時、国崎とキャプテンから渡されたのは野球ボールだった。
「これは?」
「大会最速新記録の記念と地方大会優勝の、勝利のウイニングボールだ」
「あのセカンドフライの。いいのか、こんな大事なもの貰って」
キャプテンは、主将は言った。
「構わないさ。全国で優勝した時は俺がもらうから」
俺は主将の、部長の岡村と握手して、野球部に囲まれて居た。それから顧問の先生が来て、挨拶して解散となった。俺も荷物を持って球場を出た。
その時、声を掛けられた。
「九郎九坂くんですか」
「はい、そうですが」
腕には腕章、地方新聞の名前が書かれている。
「大会優勝と、そして大会新記録の百三十六キロおめでとうございます」
「ああ、ありがとうございます。そんなに出ていましたか」
「あまり、自覚はなかったですか?」
「ええ、チームが勝つことで必死でしたから。俺、補欠ですし」
「そうですか……記念ボールとかありますか?」
「? これなら、ありますけど」
俺は先ほどもらったばかりのボールを取り出す。
記者に握って、握ってと言われたので握った。
写真を取られた。
引きつった笑顔に違いない。
「本日はおめでとうございました」
記者は去っていった。
もしかしたら、たぶん気が向いたらだろうけど、地方新聞の隅の方に俺の名前が乗るかもしれない。それよりさっきの様子を遠くからスマホで撮っていた野球部による流出写真の方が怖いんだが。
「お兄ちゃん!」
「おお、茜か。悪い、待たせたな」
「ううん、全然だよ。それよりすごいね、大会新記録だって。新聞にも取材されて、すごいねお兄ちゃん!」
「たいしたことないよ。まあ、茜が喜んでくれたなら、それなら良いんだけど」
「ふたみん!」
渡良瀬か。それと……恋瀬川。
「見てたよ! 優勝おめでとう、ふたみん」
「ああ、それなら野球部の連中に言ってやってくれ。あいつらの功績だからな。俺はたまたまそこに居合わせたに過ぎない」
「あら、もしも今日ヒーローインタビューがあれば、きっとあなたがヒーローよ」
「そうか? 決勝タイムリーの岡村じゃないか。キャプテンだし」
「いいえ、あなたもヒーローよ。信頼されて、任されて、責任を果たしたじゃない。記録まで作って。ヒーローに値するわよ、十分」
恋瀬川にそこまでべた褒めされるとは思わなかったので、俺はなんて返事をしていいか分からなかった。どぎまぎとしてしまった。
「そうか、ありがとうよ」
「おめでとう、ふたみん」
「おう。サンキュな」
三人の、その独特の関係が、絶妙な雰囲気を出していたので、茜に「お兄ちゃん、どっちが彼女?」と聞かれたときには全力で否定した。
俺たちはそこで別れて、妹と二人で帰って行った。
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