第3話 人に優しくされた時
「あぁあああ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」
肺の息が出る限り俺は油断しきった声を漏らす。大きな部屋に反響する自分の声を楽しむ。
じんわりと体の端から熱が入っていく。全身に着ていた鉛の鎧を脱ぎ捨てていくようで変わっていないはずの体重が軽くなった錯覚すら覚える。
「こりゃまさに極楽ってか」
大きな湯船に足を延ばして思いっきり寛ぐ。こんな経験は未だかつてしたことがない。子供の時は基本的にシャワーだったし、旅人になってからは適当に川に行って体を拭いていた程度だったから。
「なるほど、孤児院ね」
元々、大人数で入ることを想定されているせいか、浴室はものすごくでかい。それこそ二十人単位で入っても問題ないといえる。
あの後、オーラにからかわれてリファがリスのように頬を膨らませながら俺は孤児院に招かれた。開口一番にオーラが言ったのは「風呂に行ってこい」だった。
確かにリファからも臭いといわれていたし、服も汚れていたから見かねたオーラがすぐに入れるようにいてくれた。
いや、いい人たちすぎないか。
しかも、こんなにいい風呂だぜ。
こんなのは王城しかないんじゃないのか。実際、俺は王城でしか見たことないな。くそ~、貴族どもはいい生活してんな。
そんな憎たらしさも全身の力を抜いて湯船に漂えばお湯の中に融解していく。
「ギル、代わりの服を置いておきます」
「おう、ありがと」
「多分、サイズは大丈夫だと思うんですけど」
「いいよ、ここまで世話になっているんだ。文句言うことはない」
「わかりました。では、ゆっくり」
「はいよ~~」
「こっちの服は回収しておきます。すぐに必要ってわけじゃないのなら選択しておきますよ」
「いいのか」
「ええもちろん。遠慮はしないでください。どうにもうちのお義母さんはお節介病みたいで、ギルみたいに困った人を見るとなんでもしたくなるんです」
「それはリファにも言えることじゃないのか」
「ははは、そうかもしれません」
リファも優しい。
何がどうなってんだよ。
よく考えてみろ。
俺はさっきまで行き倒れて死に淵を彷徨っていたんだぞ。なのに、パンを恵んでもらって風呂に入らせてもらって、本当に死にそうな俺が見ている錯覚だといわれても信じてしまうな。
な~んてことを考えていたら曇りガラスの向こうに見えるリファの影が大きく動く。俺の服を回収してくれているんだろう。こう、なんかむず痒いな。実家にいた時は俺が下っ端だったからな。
リファの優しさがの骨身に染みるぜ。
「あっ……」
「どうした?」
外から聞こえた声に即座に反応する。
「ねえ、ギル。高そうな指輪が出てきましたけど、これもギルのですか?」
「ああそうそう。それ俺のだわ。俺の命より大切な奴」
「ちょっと、こんな適当にポケットに入れて置いたらだめじゃないですか! いつか落としますよ」
「大丈夫、落としたことないから」
「後で後悔しても遅いですよ」
「にしても命よりか、これってすっごく高い品物なんですか」
「んなわけあるか、指輪(それ)自体は子供のおもちゃだ」
リファはどこか納得していなさそうな声で返事をして指輪も一緒に回収してくれた。
※
「お風呂、ありがとうございます」
用意してくれていた着替えの袖に腕を通す。大人物のラフな格好だ。長袖にシャツはいつもの厚手のロングコートに比べて薄すぎて気持ち違和感があるが問題ない。
「ギル、こっち」
リファが手招きをしてくれる。
近づくにつれて良い匂いが鼻孔を擽る。肉、野菜、香辛料、それらが複雑に絡まって相乗的に俺の食欲を掻き立てた。ただ香しい匂いってわけじゃない。なんというか優しく一般家庭の匂いと呼べばいいのか、どこか心落ち着く。
「おや、来たねギル。うん、いい男になったじゃないか」
「どうも、何から何までありがとうございます」
「ははは! いいって気にすんな」
キッチンで料理をしていたオーラが豪快に笑う。テーブルにはすでにパンと水が置かれている。
「ギル、あんた行き倒れていたんだって。なら、腹もまだまだ減っているんだろ。ごはん、食べていくだろ」
「でも」
「でもも、案山子もないさ。腹が減っている時が人間一番不幸なんだ。どんな状況であれ腹が膨れていれば問題なしってね」
「あきらめてギル。さっきも言ったでしょ。お義母さんはお節介なの。自分よりも他人を優先してしまうから。そうでないと、この国で孤児院なんてやっていられないですから」
「それじゃ、お言葉に甘えて」
急かされるようにテーブルに案内された。大きくなはいテーブルだ。大きく見積もっても五人程度が限界か。
そういえば、孤児院っていう割には物が少ないな。
院自体は大きくて三十人が住んでも問題ない面積を誇っているのに、備え付けられている家具に関していえばリファとオーラの分しかない。
……。
「ほ~ら、出来上がったよ」
そこまで考えていると、オーラが大きな鍋をテーブルに上に持ってきた。寸動鍋に入った白い液体。鼻に伝わってくる甘い牛乳の匂い。白の海に漂う大きめにカットした野菜たち。
「やったー! お義母さんのシチュー好き!」
「そうだろ、自信作さ」
リファがウキウキしながらテーブルに着く。
「ほら、ぼ~とすんな。ギル、お前さんのスプーンだよ」
「どうも」
「さ、食べるよ」
オーラからスプーンを受け取ってほとんど無理やり椅子に座らされる。呆けている間に、小皿にシチューを取り分けていく。
「いっただっきまーす!」
「いただきます」
「おう、お食べ」
元気のいいリファに気おされるようにギルも手を合わせる。そして、ゆっくりとスプーンをシチューに沈めていく。そして、一口、口に運んでみる。
「うま……」
それしか言えない。
細かな味の違いとか、口にした時の風味の広がり方とか、美食家たちはよくわからんことを豪語しているけど、そんなに高性能な舌を持っていない俺からすれば十分すぎるほどおいしい。
変に言葉で飾り付けるのは無粋だ。
決して、この味を表現する言葉を持ち合わせていないわけじゃないぞ。
「ね、お義母さんのシチューはおいしいでしょ」
「ああ、予想以上だ」
「嬉しいね」
少しばかりリファからパンを恵んでもらっていたとはいえ少量だ。まさに、シチューはどんどん飲めていく。止まらないスプーンが次々に口へと運ばれていった。ギルがスプーンを置いたとき、十リットルは入りそうな鍋が底をついていた。
「おいしかった、ありがとう、ごちそうさま」
「すごい食欲だったね。もっと作ったほうがよかったね」
「いいや、十分だ。元々、俺は少食だから」
「いや、ギル、これを見て少食とは言えないですよ」
「はははは、いいさ、リファ。男っていうのは食べすぎるくらいがいいんだ。食べない男なんて私が無理して食べさせていたからね」
「そういや、お義母さんはそういう人でした」
笑うオーラに失笑気味のリファを横目に俺は遠い目になる。この空間はまさに家族そのものだ。ずっと昔、俺もそうだった。だけど、もう叶うことはない。当時は何とも思うことはなかったのに手に入らないとわかれば欲しがってしまう。
なんだっけな……隣の芝生は青く見えるんだっけ。
「片付けは俺がやる」
「いいの、座っていきなさい」
「されるがままっていうのは性に合わない。受けた恩は少しでも返す」
「そうかい、ならお願いしようか」
「ええ」
とまあ、ほとんど無理やり二人から食器を奪い取ると片づけを始める。どこに何があるから聞きながら食器を洗い拭いてしまっていく。
「ギルは家事もできるんですね」
「大家族だったから。日によって分担してやっていたんだよ」
横からリファが聞いてくる。見られるとやりづらいが、我慢しよう。
「ギルは旅人でしょ。出身はどこに国?」
「……ロンドリアだ」
バタン!
言った瞬間に椅子の上で本を読んでいたオーラの手から本が滑り落ちた。
「ああ……すまないね」
「お義母さん大丈夫!?」
「ちょっと驚いただけさ」
そういうとオーラは床に落ちた本を回収するが、その手は酷く震えていた。その目もどこか動揺しているように見える。
荒くなった呼吸をゆっくり整える。リファがオーラのもとに駆け付けて背中をさすっていた。そうこうしている間に俺も食器の殻付けを終えてリビングのほうへ移動する。
「本当にロンドリアの出身なのかい?」
俺が椅子に座ったタイミングを見計らってオーラが語り掛けてくる。決して俺の目を見ることなく両手を組んで顔を伏せたまま。
「まあ、ええ」
「そうかい」
「お義母さん、一体どうしたの?」
納得した様子のオーラとは対照的にリファだけが慌てている。俺のほうはなんとなくわかった。ロンドリアを飛び出して世界を歩いていると基本的に誰かと深く付き合うことはない。
少なくとも出身地を聞かれることは、ここ五年無かった。だから、世界的に見れば『ロンドリアの悲劇』と呼ばれる、あの事件はこんな風な印象を受けるんだ。
「リファはきちんと話したことはなかったね。この際、きちんと世界史の勉強をしておくとしようか。せっかく、当事者がいるんだ」
悲し気な目で俺のほうを見る。
世間が思っているほどのロンドリアで起きたことは仰々しいことじゃないんだけど。
そして、語りだす。
世界を。
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