<18・燕の仮説>

 分かってはいたものの、いざ実際に目にするとショックが大きかった。


「んしょっ……ああもうっ!」


 ユリさんから命からがら逃げ切ったところで、やっぱり一度一階から出られないものかと試してみようと思った燕だったが。思った通り、いくら引っ張っても押しても昇降口が開く気配はない。そのへんの窓、別の出口も片っ端から試しているが全て駄目だった。

 先ほどから、手元を照らすのは外から差し込んでくる月明かりと、ランドセルにつけていた小さなミニペンライトのキーホルダーの灯のみ。完全に夜になってしまった。さきほど勇気を出してトイレだけは済ませたし水も飲んだが、さすがに空腹で目が回りそうである。食いしん坊だなとわかっていたが、いつもならとっくに夕食にありついている時間なのだから尚更だ。


――やっぱり、気のせいじゃないし!……靴箱はまだ辛うじて現代のままだけど……廊下とか他の教室とか、みんなボロボロの木造に変わっちゃってるし!これ、本気で異世界に行っちゃったバージョン……!


 こんな夢も希望もない異世界転移とかマジでいらない、と燕は思う。よくアニメとかで語られるのは、異世界に飛ばされてチート能力を貰い、美少女にモテモテになるコースだ。現在、美少女どころかまともな人間らしい人間に一人も遭遇しない状況である。モテモテになるならばせめて生きた人間でお願いしたいと切に思う。しかも、襲われたら最期ハーレムやら結婚やらの幸せエンドではなく、そのまま地獄へご招待されそうな勢いだから尚更だ。

 やっぱり、あのおまじないがいけなかったとしか思えない。

 ただ、恋のおまじないだから口にする者が少ないとはいえ、自分の他に試さなかった者がいないとは思えないのだ。その大半は、普通に学校生活に戻ってきているし、このような嬉しくない異世界転移など経験していないと聞いている。何故、自分だけがこのような学校(?)に閉じ込められて、幽霊に襲われる結果になっているのだろう。


――俺は兄ちゃんみたいな霊能力とか無いんだよ!こういうのまったく歓迎してないんだからぁ!


 泣くな泣くな、と言い聞かせ、燕は目元をごしごしと擦る。おまじないが原因でこんな状況に陥ってしまったというのなら、同じおまじないをもう一度試せば元の世界に戻れるのかもしれない。あるいは、先ほど見かけた人形が何かの鍵になっているのか。いずれにせよ、途方に暮れるのはやれることを全部試してみてからの方がいいだろう。

 鍵が開いているように見えるのに、ドアが開かない。幽霊が出てその空間に閉じ込められるというのは、ホラーの定番ではある。ただ闇雲に出口を探し回っても大抵は見つからないものだ。兄はそういう現象を“霊障”と呼ぶのだと言っていた。まさに書いて如しの現象であると。


『俺もそんなに頻繁に経験したことがあるわけじゃない。いつもならバリバリに電波立つような場所で携帯が圏外になるとか。電話かかるけど、相手との通話がノイズで一切聞こえないとか。屋内なら閉じ込められるのも定番だな。鍵開いてるのに、全然ドアが動かなくなるっていうやつ』


 まあ携帯が圏外云々は現状一切関係がない。なんといっても、今日に限って自分は携帯電話を家に忘れてきてしまっているのだから。圏外だとしても、ライトに使うなりメモに使うなり使い道はいろいろある。我ながら不運というか、不憫としか言い様がない。


『霊障を起こせる霊ってのは、それだけでそこそこ力が強い存在ってことになるな。浮遊霊の類じゃない。悪霊化した地縛霊か、あるいは流れ着いてきたあやかしの類ってところか。霊障を起こして生きている人間の行動を妨害するのは、多くの場合“そこに人間を留めおきたい理由がある”からだ。メッセージを伝えたいから逃げないで欲しい、あるいは憎たらしくて殺したいから逃がしたくない……みたいな』

『に、逃がさないようにするために閉じ込めたり、外と連絡を取れないようにするってこと?』

『そゆことー。で、そういうのを解決するためにはどうすればいいかっていうと、元凶見つけてぶっ叩くしかないんだよな。あるいは、何らかの“条件”から外れるようにするとか、封印するとか逆に解くとか』

『ええ、難しい……』

『悪ぃ、俺もうまく説明できてる自信ねーわ……』


 語彙が貧困なわけではないだろう。ただ、兄は自らが見えるものや感じることを、他人がわかる言語で説明するのがあまり得意ではないのだった。というか、霊能力というものそのものが煩雑で、一言で説明できるようなものでもないに違いない。悪霊が傍にいるとなんとなくわかると言っていたが、それも“何でわかるの?”と問われるとうまく語れないと言っていた。

 ぞわぞわというか、ざわざわというか、痛いというか冷たいというか苦しいというか、そんなよくわからない感覚がして逃げろやばいってなる!――みたい言い方をされて、頭の上に大量のハテナを浮かべたのは記憶に新しい。


『ま、霊障を起こせる条件があるってことなんだよ。ほら、前にも説明しただろ。生きてる人間の力は想像以上に強い。招かれない限り害を成せない幽霊は多いんだって。……そんな相手に、ただ干渉するのみならず、露骨で間接的な妨害を仕掛けるのって、幽霊にとっても相当エネルギーが必要なんだよな。だから、“発動条件”が限られる。ほら、某漫画とかでもあっただろ。発動条件が強ければ強いほど強い能力を発動できる!みたいな。いつでもどこでも使える能力、なんてもんでは基本的に大したことはできないんだ。現実は、異世界アニメみたいに甘いもんじゃないからな。それは幽霊にとっても変わらないっつーの?』


――条件……。


 兄の言葉を思い返しながら、思い切り息を吸って、吐いた。少しだけ落ち着いてきた。強い能力――おまじないを試した人間を異世界に引きずり込む、なんて技が簡単なものであるとは到底思えない。いわばそれは、神隠しにも近い力だ。生きた人間はそのままならば壁を乗り越えたり、次元を飛び越えたりできるものではないのだから。つまり幽霊の力で、人間をすり抜けられる物質に変えるとか、空間を捻じ曲げるくらいのことをしなければならないということである。素人判断でも、それがどれほど凄まじいエネルギーであるのかはたやすく想像がつくというものだ。

 恐らく、おまじないはきっかけだが、それだけではなかったはずである。

 おまじないを行ったことで燕はこのよくわからない学校の世界に閉じ込められてしまった。だが、燕より以前におまじないを試した子供達の多くは特に怪異に見舞われてなどいない。ならば、その子たちと自分の違いはなんであったのだろう?

 考えられるのは、最初からマリコさんの能力が発動確率が低く、かつランダムであったこと。彼女が引きずり込める人間が、それこそ百人に一人とかであったとしたら。今まで殆ど誰も神隠しされなかったのにも納得がいくというものだ。まあ、自分はよっぽど運が悪かったとしか言えない。

 もう一つの可能性は。自分がおまじないをやる少し前に、なんらかの“条件の変更”があった場合だ。例えば、今まではなんらかの理由でマリコが悪事を働けない状況だったが、それが変わった。だから神隠しなんて恐ろしいことができるようになった、とか。


――俺がおまじないをする前に、変わったこと?あったっけ?


 封印なら、何かが壊れると解かれるというのがテンプレートだ。最近何かが壊されたなんて話はあっただろうか。あるいは、違和感のある失踪者とか、不気味な出来事とか――。




『ホームルームの前に、ちょっとみんなにお知らせがあります。六年三組の千代田真姫さんという女の子が、一週間前から行方不明になっているというのは聞いていますね?でも、残念ながらまだ見つかっていません。先生たちはみんな、どこか友達の家にこっそり泊まってるか、ネットカフェにいるんじゃないかと思って探しています……!』




 そういえば、先生が今朝もそんなことを言っていた。一週間前に、行方不明になった六年生。先生たちは彼女を家出したものと決め付けているようだが、口さがない生徒たちはひそひそと噂していたのをよく覚えている。

 つまり。彼女は七不思議のおまじないを行った結果、行方不明になったのではないかと。受験生だった彼女が試したおまじないは、五階西端の女子トイレ――勉学に励む少年少女を応援し学問の運を上げてくれるという、“幸運を呼ぶ双子の鏡”であると。


――!おまじないで行方不明になったの、俺だけじゃない!?


 はっとした。もしや、七不思議全てが、試すことで神隠しを行うようなものに変わってしまっているのだろうか。つまり、害があるのは首吊りのマリコさんだけではなく、他のおまじないもそうであった、と。

 もう一つ。一週間前には、既におまじないの“条件”が変わっていた可能性がある。もちろん、本当に千代田真姫という少女がおまじないを試した確証があるわけではないが――彼女が実際に試していたと仮定した場合、一つの仮説は立つのだ。

 つまり、彼女か、あるいは彼女の少し前に誰かが“条件”を変更するようなことをした可能性、だ。


――条件ってなんだ?……何が、今までと今で変わっちゃったんだろ……?


 もしかして、と思い当たったのは人形のことだ。

 自分を、“ユリさん”のところまで誘導したあの人形。あれが、七不思議と無関係の存在だとは思えない。恐らくあれが災厄を招く青い服のお人形、だったもの。だが、何故か服が赤い色に変わっていた。まるで、その意味が反転したことを示すかのように。




『お人形が何処にあるのかは誰も知らない。

 仮に見つけても、拾ってはいけない。

 その場所から動かしてはいけない。

 絶対に校舎から出そうとしてはいけない。

 禁を破った場合、恐ろしい災厄が降りかかることになる。』




――人形を見つけるには、六つの七不思議を試す必要があるんじゃないか?なんて安斎は仮説を言っていた。なら、霊能力とかがない普通の人間でも人形を見つけることはできるし……もしかしたら運がよければその人形を見つけることもできなくはないのかもしれない。どっちにしても……。


 誰かが人形の“禁”を破ったから、可愛い七不思議の内容が悪意あるものに変わってしまった。その可能性は、充分有り得るのではないだろうか。

 ということは、この状況を打破し、七不思議を再び無害なものにするためには――。


『くすくす……』


「!」


 まるで、燕の考えが正しいことを示すように。先ほどと同じ笑い声が、響き渡った。見れば廊下のすぐ近くに、こちらを見つめてちょこんと佇む赤い服の人形の姿があるではないか。


「で、出てくる時は、出るって教えてくれないかな……!?」


 引きつった顔でそう告げれば、彼女は笑い声をあげながら踵を返し、そのまますたすたと廊下を歩き始めてしまった。


「ちょ、待ってってば!」


 自分の考えが正しいのなら、あの人形を“元あった場所”に戻すことが解決の鍵であるはずである。元あった場所がどこなのかが全くわからないが、少なくともアレを捕まえないことにはどうにもならない。

 すたすた歩いて行く人形を、燕は慌てて追いかけた。彼女は階段を素通りし、一階の廊下を東の端までてとてとと進んでいく。

 まさか、と思った。人形がその小さな手を駆使してガラリとドアを開き、進んだその先は。


――ほ、保健室……。


 よりにもよって怪談の、定番スポットの一つであったからである。

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