<7・封じられた校舎>

 息を切らして階段を降りる、降りる。それこそ、転げ落ちるかと思うような勢いだった。こういう時、体力を消耗しているはずの英玲奈を抱えてやれるだけの腕力がない自分が恨めしい。もっと体を大きければ、体育会系であれば、年下の女の子一人守るくらい余裕でできたかもしれないというのに。

 靴を履き替えるのもそこそこに、昇降口に駆け込んだ。英玲奈が下駄箱で靴を出しているのを横目で見ながら、出口のガラス扉に縋り付く。

 何故こういう時に限って、嫌な予感というものは的中するのだろう。


「嘘だろふざけんなよ!?なんで此処も開かねぇんだよ!」


 オレンジ色に染まる校庭は、すぐ目の前にある。それなのに、いくらバンバンとガラス戸を叩いてみても開く気配がない。先ほどの空き教室と同じだ。ぴったりと空間に固定されてしまったかのよう。

 確認してみたら、やはりこの昇降口の扉も、内側からはツマミ一つで鍵を開け閉めできるようになっていた。鍵が必要なのは外側だけ。そして、ロックは現在開いた状態である。本来ならば、つっかえ棒でもされていない限り開かないなんてことあるはずがないというのに。

 ガラス戸の向こうを覗き込むものの、何かおかしなものがある様子はない。何かが引っかかっているようにも見えない。


「畜生!」


 やはり、これも霊障なのか。しかし空き教室を脱出したのに何故校舎全体が封じられた状態になっているのだろう。さきほどの“マリコ”さんの影響なのか。それとも、他にも何か原因があるのか。


「梟さん?……まさか、開かないの?」


 梟の様子を見て、英玲奈が茫然としたように告げた。その顔色は青い、を通り越して既に紙のように白い。先ほどは殺されかけて、今度は再び校舎の中に閉じ込められている。狭い空き教室に限定された状態でないだけマシ――なんてことが考えられる状態ではないだろう。

 しかももし、マリコの噂話が“父の時代のそれ”に何故だか逆戻りしているという説が真実ならば。マリコを倒せたわけではないし、まだ何も終わっていないということになってしまう。

 そもそもの大前提、あの霊は空き教室を脱出したら終わり、というタイプではないのだ。




『以来、マリコさんは恋人達を妬む悪霊となってしまった。

 空き教室に、男女ひと組で行ってはいけない。恋人同士であってもなくても関係なく、マリコさんは嫉妬を募らせて襲ってくるだろう。

 マリコさんに目をつけられた人物は、教室を離れても逃げることができない。

 どこまでも執念深く追いかけて行き、片方が“消える”ことによって恋が分かられるまで追撃をやめないのだという。

 消された人間はあの世に飛ばされ、二度と戻って来ることはない。』




 今はまだ、階段に彼女らしき影は見えない。梟の攻撃が聞いているのか、あるいはまだこちらに到達していないだけなのか。

 いずれにせよ、その特性から考えて、まだまだ追われる可能性は相当高いと思っておいた方が良さそうだ。


――思ったよりやばい状態だろ、これ。なんとか、この怪異を作ってる原因を見つけ出さないと……!


 同時に、これ以上英玲奈に不安な思いをさせるわけにはいかない。まだ小学五年生の女の子なのだ。それを考えられるだけの余裕が、梟にはまだ辛うじて残っていた。


「……他の出口なら開くかもしれないし、最悪窓からだな。靴、袋に入れて持っておきなよ。昇降口で履き替えられなさそーだし」


 なるべく優しい声を作って、彼女に告げる。


「何処でもいいから、開いているところがないか探してみよう。今の時間なら職員室に先生残ってるはずだし、どうしても見つからなかったら説教覚悟で先生に声かけに行くか。それが駄目なら、最終手段は窓ガラス割って出るかー、絶対すっげー雷落ちるからほんとこれ最終手段だけどな!」


 空元気であるのは英玲奈にも伝わってしまっただろうが、それでも最後のジョークが聞いたのか“そうですね”と彼女にも小さく笑顔が戻った。こういう時、年上の人間が少しでも落ち着いているだけで、子供は安心できるものである。自分もまだ中学二年生のガキではあるが、それでも小学生の彼女より年上に違いないのだ。ここは、自分が責任を持って彼女を守らなければ。実質、あの空き教室に彼女を連れてくる必要は本来なかったのである。巻き込んだのは、自分の方だ。

 そう、恐らくは自分が英玲奈を空き教室に連れていかなければ、マリコさんの怪異の条件を満たすこともなく、あのような恐ろしい目に遭うこともきっとなかったはずなのだから。


「ガラス割るとか、梟さん見た目によらず脳筋ですね。見た目だけならクールな文化系ってかんじなのに、やることがひと昔前の不良みたいー」

「え、英玲奈ちゃん“ひと昔前の不良”とやら知ってるの?」

「お父さんがなんか昔の歌をよくカラオケで歌うんですよー。盗んだバイクで走り出すーだの。校舎の窓ガラス割って回ったーだの。窓割ったら普通に自分が危ないと思うし、なんでそんなことするんだろーっていつも思ってた」

「まあ、昔の不良は情熱的だったらしいからねえ」


 明らかに犯罪行為であるそれらを、果たして“ジョーネツテキ”と呼んでいいものか定かではないが。

 どうやら、彼女も冗談を言う余裕が出てきたらしい。とりあえず窓や他の入口を確認しながら、脱出方法を探ろうという話になった。マリコさん、あるいはこの状況を作っている元凶をなんとかしなければ恐らく霊障は解除されないが、このままじっとしていてもラチがあかないだろう。何より、どこかは開いているかもしれない、という希望は必要だ。自分としても、己はともかく彼女だけでもこの校舎から一刻も早く脱出させたいのが本心だった。

 マリコさん、をどうにかしない限り。校舎から脱出できたとて、彼女の安全が確保されないかもしれないのが最大の懸念材料ではあるのだが。


――しかし、一体何がどうなってるんだ?ここ、変な七不思議があるだけの学校だぞ。しかも建て替えられて数年、北校舎よりも新しい。そんな場所で、なんで急にこんなわけのわからんことばっかり起きるんだ?


 歩きながら、梟は考察する。生きることとは、考えることだ。生き延びることを諦めないのならば、頭を回す続けるのは必須であると梟は思っている。さっきだって、短い時間に“マリコ”に襲われた原因と彼女への攻撃方法を思いついたからこそ、ギリギリのところで英玲奈を助けることもできたのだから。


――まず第一に。……あの鏡が落ちていて、燕がいなくなったってことは。燕もあの教室で、姿を消した可能性が高いってことだよな。ただし、もしマリコに殺されたんなら、多分あの教室で首吊り死体になってる……んだと思う。英玲奈の時みたいにな。ってことは、殺されてはないけど神隠しされた?おまじないの後に?


 とりあえず、燕は生きていてどこかに隠されたのだと仮定しよう。でないと自分の心が折れる。

 隠された原因があるとしたら、自分が勧めたおまじないである可能性が極めて高い。ただ、その場合疑問なのは、何故“燕だけが神隠しに遭ったのか”だ。恋愛成就のおまじないなんてありきたりなもの、噂ができてから試したのが燕だけだったとは到底思えない。おまじないを試した生徒が軒並み神隠しされているなら、流石に事態はすぐ発覚し大騒ぎになっていたことだろう。

 勿論、“生徒が消えると、その存在そのものが周囲の記憶から抹消されてしまう”なんて恐ろしいケースもあるにはあるだろうが。少なくとも今、燕のことは自分も英玲奈もばっちり覚えているわけで。ならば、神隠し=記憶抹消系ではないはずである。つまり、今まではおまじないを試しても、消えた生徒はごく少数か、あるいはほぼいなかったと思うのが妥当だ。にもかかわらず、燕が消えたのはどういうわけだったのか。


――俺達が条件を満たしてしまったのは、“旧七不思議”の方のマリコさんの話。燕が条件を満たしたのは、“新七不思議”の方のマリコさん。前者は首吊りで殺されそうになり、後者は神隠し。満たした条件が違うのだから、状況が違うのも筋が通ると言えば通る。が。


 結局、ただのおまじないでしかなかったはずの“マリコさん”の話が、神隠しを引き起こすような害のあるものに変わってしまった原因がわからない。

 そう、一番ネックであるのはそこなのだ。旧七不思議の方もそう。男女ひと組であの教室に入るという行為をした生徒が、今までいなかったとは到底思えないというのに。何故こちらも復活し、露骨に危害を齎してくるようになったのか。


――そして第二に。……燕は何処に行ってしまったのか、だ。霊障によって閉じ込められた俺達も、既に現実とは隔絶された“異界”にいる可能性は充分ある。もしそうならば、同じ空間のどこかに燕がいてもおかしくないと思うんだが……。


 英玲奈の安全を確保しても、自分は此処から逃げるわけにはいかない。弟を見つけるまで帰らないと決めている。よほどのことがない限り、燕を自力で助けることを諦めるつもりはなかった。臆病な弟のこと、今もどこかで自分の助けを待っているかもしれないのだから。


「あの、梟さん」

「ん」


 ぼんやりと歩いているうちに、一階の東端まで来てしまった。こちらにも、職員用の玄関があるはずなのだが――やはり開く気配がない。予想していたことなのでそこまでがっかりしなかった。後ろにいる英玲奈には、非常に申し訳ない気持ちになるが。


「何か、考え事してますよね。……私、今何が起きてるのか全然わからなくて……だから不安で」


 何か知ってるなら教えてください。そう告げる彼女の声は、思っているよりしっかりしたものだった。梟は振り返る。目が少し赤かったが、英玲奈は泣いていなかった。しっかりとした視線をこちらに向けている。まるで、覚悟を決めたように。


「……知ったらもっと不安になっちゃうかもよ?それでもいい?」


 何もわからないことと、わかって絶望すること、果たしてどちらがマシなのかはわからない。

 それでも英玲奈が選んだのなら、きっと自分は、それを可能な限り尊重するべきなのだ。

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