<5・忘れ物を探しに>
熊野英玲奈と遭遇したのは、梟が自転車に乗って藤根宮小学校の正門まで来た時だった。彼女は何故か正門のところで、もじもじと様子を伺うように学校の中を覗きこんでいたのである。
「何してんのー英玲奈ちゃん」
「ひっ!
後ろから声をかけたのがまずかったのだろうか。彼女はぎょっとしたように肩を跳ねさせ、しかし振り返った先にいるのが梟であるとわかると安堵したように息を吐いた。
「な、なんだ……梟さんかあ」
「驚かせてごめんごめん。うーん後ろから声かけたのがまずかったかー」
「あ、いえ。私がびっくりしただけなので、気にしないでください!」
相変わらず礼儀正しい良い子である。夕方の風に、柔らかそうなボブヘアーがふわふわと揺れている。丸顔で少しぽっちゃりした体格。美人というより、可愛らしいという言葉が似合う少女だった。そして幼く見える見た目に反してしっかりした性格である。礼儀正しく、年上相手にちゃんと敬語で話すこともできる。――この様子だと、そんな彼女にも意外な弱点があったようだが。
「忘れ物?」
この時間に此処にいるということは、一度家に帰ってから戻ってきた可能性が高いだろう。思いつく原因など、そうそう多くはない。
案の定、そんなとこです、と彼女は曖昧に笑った。
「その、恥ずかしいんですけど。……中に入るの、ちょっと怖くて。もう日も傾いてて、校舎の中も暗くなってるから……。だからといって、先生に一緒に来てくださいっていうのも……」
「あーわかる」
まさに弟と同じ、であったというわけだ。
普段は強気に振舞っている弟の燕も、オバケは大の苦手である。彼に半ば泣きつかれて、忘れ物を取りに行ったりそれを手伝ったことが何度もあるのだ。卒業生が、先生の許可も得ずに頻繁に小学校に出入りしていていいものかと正直思うものだけれども。
「じゃあ俺と一緒に行く?俺も、弟探しに来たとこなんだわ。あいつ用事で学校に残ったみたいなんだけど、そのままいつまで経っても帰ってこないからさあ。ひょっとしたら、マジで怖がってどこかに隠れてんのかなあって思って。あいつビビリなくせに、オバケとかおまじないとか興味あって試したりするからさあ」
なるべく、英玲奈には燕が恋のおまじないを試したことを伝えたくない。彼も知られたくないだろう、ということくらい簡単に予想がつく。
ゆえに、彼が“恋愛成就どうのというより、面白半分でおまじないを試すこともある”という布石を打っておくことにしたのだった。それなら、彼に片思いの相手がいてもいなくても、恋愛成就のおまじないを試す理由にならなくもないだろう。それはそれ、燕が非常に不誠実な人間と誤解される可能性もないわけではなかったから尚更に。
「学校の七不思議知ってるだろ。何故か藤根宮小にはおまじない系の七不思議ばっかりあるって有名じゃん。そのいくつかを試すんだってはりきってたんだわ。英玲奈ちゃん、知ってる?」
「あ、はい。……首吊りのマリコさんとか、アキさんのピアノとかですよね?」
「お、そうそう。そのへんそのへん。だからおまじないやってそうなところ、見てまわろうと思って。まあ学校にまだいる保証ないんだけどな。こっそり寄り道してコンビニの雑誌コーナーにハマりこんでるだけかもしれねーし」
「かもしれないですね。燕君、漫画好きだし」
「そうそう。特に今は鬼殺の剣とかなー」
つらつらと喋りながら、正門のすぐ近くに自転車を置いて歩き出す。小学生の頃に履いていた上履きがまだ使えるので(悲しいかな、六年生の頃から今に至るまで、梟はあまり身長が伸びてないのだ。そのうち燕に抜かれるのではないかと戦々恐々としている)、それを持っていき昇降口から中に入った。
薄暗い南校舎の中は、他の校舎より新築とはいえ不気味であることに違いはない。それでも二人で、燕に関するくだらない話をしていれば怖いという気持ちも薄れるというものだ。梟は幽霊の類をさほど恐ろしいとは思わないが、英玲奈は別である。彼女が少しでも怖がらないように、と配慮するくらいの気遣いはできるつもりだった。
「……ありがとうございます、梟さん。一緒に来てくれて助かりました」
まずは彼女の忘れ物を取りに行く。教室に、よりにもよって今日の宿題を出された計算ドリルを忘れてしまったらしい。丁寧な手つきで、それでもどこか手早くドリルをランドセルに突っ込む英玲奈である。
「正直、怖かったんです。……七不思議に関してもそう。おまじないは興味があるものもいくつかあるし、試してみたい気持ちもないわけじゃないけど……怖い話も聞くし。特に……今は可愛いおまじないが多いとはいえ、七不思議の元になったのってみんな“そこで誰かが死んだ”って話ばっかりじゃないですか。実際死んだのは今の校舎じゃなくて、木造の旧校舎の時代だったって話ですけど」
「だなぁ」
自分がこの学校に通っていた時にはもう、南校舎は建て替えられた後だった。元々、日当たりを考えるなら南北に校舎を建てるというのはなかなかの悪手である。多少工夫されているので、北校舎にも全く日が入らないわけではないようだが、かつての南校舎はその配慮もあってだいぶおかしな形状をしていたというのだ。
ついでに、違法建築だったのではないかと専ら噂である。老朽化が進んで非常に危ない状態になっているのに、いつまでも予算をケチって旧校舎の建て替えをしないままにしていたせいで、建て替え直前の頃にもなると穴があいて生徒が落ちるような事故が多発していたらしかった。死人は出ていないが、結構の数の怪我人は出ていたという。また、その際には怪我人こそいなかったものの、朝礼でみんなが立ち上がった途端体育館の床がべっこり抜けたなんて事件もあったとか。
歴史のある学校、歴史のある校舎といっても限度はあるのである。校長は相当渋ったようだが、結局梟が入学する少し前に南校舎はまるっと綺麗に建て替えられたということらしかった。
「元の旧校舎って、天井が落ちるとか床が崩れるとか、事故も多かったみたいなんですけど。……建て替えする時も、結構いろいろあったって聞いてます。まるで、幽霊が校舎の建て替えを嫌がったみたいに」
クラスの教室を離れ、廊下を歩きながら英玲奈は言う。
「そもそ此処が北校舎、南校舎って変な形で建築されているのにも理由があったらしくて。此処の学校があった場所は元々墓地で、悪いものが溜まっていたのを、校舎を建てることによって封印したとかなんとか。特に南校舎のあった場所は、昔人をたくさん殺した怨霊が祀られていた場所だった、とかで」
そういう話は、一体何処から聞いてくるのだろう。梟は、父が調べたノートのことを思い出していた。まだ全部は読めていないが、この学校の校舎の形状が奇妙であることに言及した記述もあった気がする。此処に昔怨霊が、なんて話は自分も聞いたことがないが。
ただ。
「怨霊がいたかどうかはともかく。学校の敷地が元墓地でした、なんてのはよくある話なんだよな。なんでか知ってる?」
「え、そうなんですか?理由があるんですか?」
「そ。ぶっちゃけ、墓地だった土地って安いだろ」
「あ」
理解したのか、英玲奈が目をまんまるにした。
そう、墓地だった土地は安いし、不気味で人が寄り付かない。裏を返せば、国が買い取って学校を建てるのにはうってつけというわけだ。
学校の怪談に、やたらめったら“この場所は昔墓地で”なんて始まりが多いのは、つまりそういうことなのではないかと梟は考えている。
「元墓地にある学校だから幽霊が出るってなら、ほとんとの公立校はみんな幽霊だらけだわな。……まあ、そこは気にしなくていいんじゃねえか?確かに、普通北と南に、重なるようにして校舎を建てるのは避けるだろとは思うけどさ」
ふと、この学校の敷地の地図を頭に思い浮かべて、梟は思った。
正確には、この学校の校舎は真北、真南にあるわけではない。北校舎は北西の方向に側面を向けており、その長細い建物とT字を作るようにして南校舎が南西向きに佇んでいるのである。
つまり北校舎の長方形の、短い辺が向いている方角は――北東。
鬼門は、確か北東の方向のことではなかっただろうか。
――え、さすがに不吉なんですけど。これ、何か意味あるのか?
思ったが、口にするのはやめておくことにした。とにかく今は、燕を見つけて帰るのが先決だ。燕探しまで付き合ってくれるつもりであるらしい英玲奈を、過剰に不安にさせる必要もないだろう。
怪談を登り、三階へ。三階の西端の空き教室が、噂の“首吊りのマリコさん”がいるとされる場所である。
「ここでおまじないをやったんですか?」
鍵が開いたままの教室を覗きこみながら、英玲奈が言う。梟は“候補の一つだけどね”と言うに留めた。恋愛のおまじないだけ試した、と思われるのは本人の名誉のためにも避けておいた方が賢明だろう。
ガラガラと引き戸を開け、二人でオレンジ色の光が挿す教室の中に入る。現在使われていないということもあって、教室の壁際には大量の机と椅子が積み上げられた状態になっていた。がらん、とした中央部分に立つ自分。
「燕ー?いないのかー?」
念のため声をかけてはみるものの、返事らしきものが返ってくる気配はない。隠れる場所がないわけではないので、そこにふざけて身を潜めているのかとも思ったが、どうやらそういうわけではないようだ。
燕は一体何処に行ってしまったのだろう。梟が首を傾げていると、梟さん!と英玲奈が声を上げた。
「これ……!黒板に立てかけてあったんです!!」
「!!」
黒板に立てかけられていたのは、小さな赤くて丸い手鏡だった。梟は目を見開く。手鏡の裏には、なくさないように本人の名前入りシールが貼られているのだ。
“すずや つばめ”
間違いなく、燕の持ち物だった。
やはり燕は、恋のおまじないを試すべくこの教室にやってきていたのだ。
――鏡を置いたまま、何処に行ったんだ燕……!?
たまたま忘れていってしまっただけか、それとも。
梟が、背筋が凍るような感覚を覚えた、まさにその時であった。
ガラガラガラガラ、ガタン!!
自分達のすぐ横で。
二つある教室の入口の引き戸が、音を立てて閉まったのである。
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