第一〇話 『一歩踏み出すために』
美甘と愁に彼女との距離感について話してから早五日。
俺は……何も出来ずにいた。
というのも本当にタイミングが悪く、学校や人目があるところでは当然彼女に話しかけることは出来ず。チャンスとしては展望台での練習時間なのだが、あの日から彼女は呼び出しに振り回されていて、展望台に来るとイライラしている状態で、大声を出すような演技を一人で行い、その迫力に、話しかけることが出来ず、時間だけが過ぎていっている。そんな状態だ。
「来てくれると良いんだけどな」
だから今日は、休日だけれど彼女が来るかもしれないという希望にかけて展望台に来ていた。
一人で練習をしたり、ベンチに腰掛け小説をよんだりと時間を潰していたら時刻は既に昼過ぎ、そろそろ帰ろうかと考えているときだった。
土を蹴るような誰かの足音。彼女かと思って視線をそちらへ向けると、白いブラウスに、靴の縁に触れるほどの長さをした、黒いフレアスカート。身長や顔立ちもあって社会人かな? と判断しそうになるほど大人びてみえる女性が一人。
こちらへと向ってきていた。ファッションとは不思議なものだ。見慣れた制服姿ではなく、私服になるだけで一瞬誰だか分らなかった。でも、雰囲気や凜と佇むその姿勢から、彼女以外にはあり得ない。
「葉月さん、来てたのですね……」
僅かに、申し訳なさそうな表情を浮かべている。彼女が一人で演技をしていた五日間でも感じたが、やっぱりあの日から少しずつ彼女は距離を開けようとしている。
今日は来て正解だった。そして、今日彼女との距離を詰めなきゃいけない。詰めて、唯のクラスメイト意外の良好な関係にならないと彼女はここから離れていく、そんな予感がどこか胸の内にある。
「なぁ、あわせで練習しないか」
「え、かまいませんけど、何をやりますか?」
「最後に会わせした時のあの小説の三章冒頭はどうだ?」
「今日、その小説を持ってきてないから、一度よませてもらってもいいかしら」
彼女の提案に、カバンから本を取り出して見せ、読み終わるまでを待つ。
演技を通して彼女との距離をまず戻す。そうすればきっと何処かでタイミングを掴めるはずだ。
あの日の夜——
『距離の詰め方を迷ってる奴と距離を縮めるのはどうしたら良いかな』
そうメッセージを打った後。二人は本当に親身になってくれた。
『まずさ、楓はその人とどうなりたいの? それが重要なんじゃ無い?』
どうなりたいか。早々に悩む案件だ。
最初は本当に面倒としか思っていなかったが、気づけば今の一緒に演技をするだけの関係がここちよく、彼女とはずっとこのままでいたいと思っていた。けど多分、神無月はそうじゃないから、そうすることが難しいから、なんて答えて良いのか悩む。
俺に対して彼女は、潜在的に何かを求めている。それが分らないから、思考が定まらない。
『とりあえず、アンタが今考えてるもの、気持ち全部ここに書きなさい!』
チャット画面を開いたまま、思考にふけっていたら美甘からそんなメッセージが飛んできた。
どことなく、怒っているような、呆れているような雰囲気がある。多分、俺が考え込んでいるのがバレているのだろう。俺は彼女の指示に従って、今考えていた物をそのまま、打ち込んだ。
『なるほどな。楓は彼女との関係が心地よいのってなんでなんだ?』
『演技っていう共通項で、互いに何も考えずにいれるからかな』
『その友達もそう思っていると思うの?』
神無月もきっとそう思ってくれていると思う。思うけど訂正しないとな。
『いや、友達ってわけじゃ無い。共に演技をしたり、それに関する話をする関係だよ』
『そういうのが友達って言うんじゃ無いのか?』
でも、俺達は唯のクラスメイト……あぁ、そっか間違えてたんだ。
最初に俺達の関係は唯のクラスメイトだと銘打ったから、そこから変われなくなったんだ。
そこから間違えていたんだ。だから、彼女は不安なんだろう。
「友達か……」
———
「大まかですが、覚えたので、可能だと思います」
成すべき事を思い出していたら、神無月は小説を俺に返し、適当な位置へと歩き始めた。
良い位置が見つかったのか、途端に彼女の空気が変わる。まるで別人へと切り替わったようだ。
何度見ても憧れる。彼女の瞳が俺を捉え、台詞を言えと訴えかける。
応えるように一呼吸して、台詞を話す。
久しぶりだから、楽しい。彼女の演技力が凄いのもあるけれど、やっぱり共に演技する相手の趣向が会っているからなのか、会わせやすい。
俺達は、流れるように演技を続け、そして……。
「あれ、雨?」
いつのまにか空は真っ黒に染まり、打ち付けるような雨が降ってきていた。
あ、やばい。本とかしまわないと。
演技に入っていたせいで、思考が遅れたが、急いでカバンから出していたものをしまう。
「葉月さん、傘とかもっていたら差し出してくれても良いのですよ」
「悪い、俺の方もない……」
この展望台は日よけ程度の屋根しかなく、雨を避けることは出来ない。
「とりあえず公園を出て、コンビニでもなんでも雨宿り出来そうな場所まで走りますよ」
焦り声を上げながら、神無月は先に走って行ってしまった。
雨宿りできそうな場所って……このへんそんなの無いぞ……。
俺も濡れない為と、その事実を伝えようと全速力で彼女へ向って走り、叫ぶ。
「公園抜けても住宅地だから、雨宿りできる場所なんて人ん家の軒下くらいだぞ」
「え……そうなの? なら公園内の方がいいかしら……」
俺の声に足を止めた神無月。どうするべきか不安そうに、こちらを覗いている。
「今濡れてる状態だろ? そんな長いこと外にいたら風邪引くぞ」
「確かにそうだけど、じゃあどうすればいいのよ」
頭に浮ぶ一つの選択肢、というかある意味では解決方法。
だけど、内容が内容のため言うべきかどうか悩む。
「くちゅん……」
寒そうにくしゃみをした彼女を見て、そんな悩みなんて吹っ飛んでいった。
「公園を出てすぐの所に俺の家があるからそこに行くぞ」
「っつ……。葉月さんの家ですか……行きましょう。濡れちゃいけない荷物たくさんありますから」
一瞬悩んだようだが、背に腹はかえられないと思ったのか荷物止めた足を動かし、道を指示しながら彼女を自宅前に案内し、家の鍵を開けたところで先程かなぐり捨てた緊張が戻ってきた。神無月を家に入れる。そう考えたらいつもは何気なく開けるドアが重々しい、けれど神無月をまたせるわけにはいかない。となんとかか扉をあけ、彼女を屋内へ誘導する。
「えっと……おしゃま、お邪魔し、します」
緊張していたせいで見えていなかった。彼女は全身を小刻みに震わせ、目もキョロキョロ、あちらこちらと彷徨わせている。借りてきた猫ということわざがあるがまさにそんな感じの印象であった。
自分より慌てている人がいると、冷静になれるなんていう人がいるが、緊張でも同じなのだろう。自分よりも緊張した様子の神無月に、とても冷静になれた。
「えっとそんなに緊張しなくても……」
「無茶言わないでください。初めて」
食い気味に否定する神無月。あの公開告白拒否のときの印象、威圧は何処へやら、完全に雨に濡れる猫か犬か愛らしい動物にしか見えない。
「くしゅんっ」
くしゃみの音に彼女へと反射的に視線が向い、そして見えてしまった。
雨に濡れ半透明になったブラウスに浮ぶ色を。
「ど、何処を見てるんですか!」
視線に気づいたのか、彼女の怒りの声と、圧が飛んできた。
「あ、ごめんととりあえず、何か着替え持ってくる」
彼女を見ないようにと駆け出そうとしたが、彼女に服の袖を掴まれ思いとどまる。
「体操着があるので着替える場所だけ貸していただければ大丈夫よ」
言葉と視線で慌てないでと諭されてしまった。
「とりあえず、タオルだけ持ってくるから待ってて、その後俺の自室に案内するから」
そう言って脱衣所に駆け込み、動悸を落ち着ける。
――色……か。
あ、だめだ全然落ち着きそうにない。
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