3:お掃除は基本隠すもの
それはあまりにも大きなゴミの塊。ありとあらゆる生物の死肉を集めたのだろう身体は猛烈に不快な臭いを放ち、鼻の中が腐っていく。黒ずんだ体表に覆われたブタ顔は楽しげな笑みを浮かべ私達を見下すと、丸々とした胴体から伸びる足が大きく高く上げられ、一歩踏み出した途端に地面に衝撃が駆け抜けた。
あまりに大きな揺れが私を襲い、戦う準備ができていないこともあり身体が震えてしまう。
勝てるのか、こんな状態で……
「くっさぁーッ! アンタお風呂に入ったことあるの!?」
そんな私とは裏腹に、我が主は恐怖を抱いていない様子だ。それどころかあまりにもキツい臭いに鼻を押さえつつも睨みつけている。
いや、普通ここは臭いがキツくても大きな恐怖で身体が竦んでしまうものではないか?
『言っただろ、風呂なんて入ったことねぇって!』
「かぁー、だからアンタはダメなのよ! いいッ、男でも女でも身だしなみは大切なの。特に男は結構ズボラだから気をつけなきゃいけないわよ! だいたいそんなに太っちゃって。おばちゃんも言えたことじゃないけど、これでもダイエット頑張っているのよッ! お父ちゃんと一緒にランニングしているんだから! それに一汗かいた後のせんべいって美味しいのよ! 甘いものってホント罪深いわねッ。お茶と一緒に食べると止まらないわ!」
『何の話をしてんだよ!』
腐界の王よ、私もそれは思う。
「ちゃんと最後まで話を聞きぃッ! これだからアンタはダメなのよ。いいッ! 女の子にモテたいならちゃんと話を聞いてあげること。女の子はみんなお喋りなの。がーるずとーくってのが大好きなのよ! 最近は女子会ってのがあって、みんなそこで旦那のいいとこ悪とこ言いまくってるのッ。男ならそんな会話を聞いて笑ってあげなきゃいけないわ。そのぐらい懐が深くないといけないのッ! わかった、臭いがキツいブタくん」
『最初の話と全く関係ねぇじゃないか!』
ああ、腐界の王が苛ついている。おそらくもう話は聞いてくれないだろう。
だが、いい時間稼ぎにはなった。通用するかどうかわからないが、強烈な一撃が叩き込めるぞ。
『主よ! 協力してくれ!』
「ちょっと、まだ話してる途中なんだけど。後にしてくれない?」
『奴はもうあなたの話を聞かん。攻撃される前に先手を打つぞ!』
「だ・か・らッ! おばちゃんの話はまだ終わってないの! アンタそのことがわかってる?」
『ああ、もぉー! とにかくハンドルを握ってくれ!』
どうにか主を説得し、電動自転車のハンドルを握ってもらうと途端に彼女の身体が輝き始める。
これでどうにか攻撃準備が整った。あとは主にペダルを漕いでもらうだけだ。
「っで、握ったけどどうすればいいの?」
『思いっきり漕いでくれ。そうすれば攻撃ができる!』
「攻撃って物騒ねぇ。おばちゃん、暴力反対なんだけど」
『今はそんなこと言っている場合ではない!』
渋々、といった様子で主はペダルを漕ぎ始める。途端に私は加速し、彼女と共に光に包まれ始める。そう、これは我が秘技〈ルミナスアタック〉だ。浄化の光とともに不浄に包まれた魔物を滅する必殺技だ。
この突撃さえ決まれば例え腐界の王であろうとただでは済まないはずである。
「きゃーッ! 何よこれすごいスピードなんだけど! お父ちゃんのボロボロな軽トラより速いんだけどぉぉッッッ!」
『しっかり掴んでてくれ、主よ!』
「でもお父ちゃんも負けてないんだからね! 山道で真っ赤なスポーツカーに越された時、昔の血が騒いで勝負を仕掛けてたぐらいすごいんだからねッ! もうバリバリだったわ。びっくりするぐらい運転が上手いんだからッ! 軽トラでドリフトよドリフト! 死ぬかと思ったわよッッッ!」
『後でその話を聞かせてもらおう!』
喰らえ腐界の王よ! 我らが一撃で沈め!
全力、いや現在引き出せるありったけの力を使い、私は腐界の王に突撃した。どれほど準備不足でもこの一撃で倒せると信じて。
だが、戦いはそう甘くはない。
『あぁん? 何をしたぁぁ?』
持てる力を使った一撃。真正面からまともに直撃を与えたはずなのに、腐界の王は何事もなかったかのように立っている。
そんな、いくら準備不足でもダメージは与えられたはずだ。しかし、その様子が見られない。
『ククク、今のが全力か? 口ほどにもねぇな!』
私は蹴り飛ばされると地面を転がる。立ち上がろうとするが強烈な痛みが身体中を駆け抜けてしまいできない。あまりにもダメージが大きいのか電動自転車との憑依も解けてしまう。
くぅっ、やはり準備不足が響いたか。このままでは、奴にやられるっ!
『ガッハッハッ! 弱ぇ弱ぇ、こんなのが魔王に楯突いてたってのかよ。弱すぎてアクビが出るぜ!』
くそ、もはや勝ち目なし。せめて主である彼女だけでも逃さなければ。って、あれ? 主はどこに行ったんだ? 私と一緒に蹴り飛ばされたはずなんだが。
「くっさぁー! やっぱり足臭いじゃない!」
驚いたことに主は腐界の王の足元にいた。一体どうやってそんなところにいるのかわからないが、とにかくそこにいる。
彼女は何度も腐界の王の足を嗅いでは「臭い臭い」と騒ぐ。そんなに臭いなら嗅がなければいいのでは、と私は思う。
『うおっ! なんでてめぇはぶっ飛ばされてないんだよ!』
「もぉー、アンタやっぱり臭いわよ。ちゃんと洗いなさいよね」
『離れろ! 俺から離れやがれ!』
「ったく仕方ないわね。アタシが洗ってあげるわ。特別サービスよ、ホント」
そういって主はポケットから何かを取り出す。それは真っ白な石の写真が載っている袋だ。その袋を破り、写真と同じ代物を取り出すと彼女は何かを探し始める。
「水はないわね。仕方ない、買っておいた美味しいお水でも使いましょうかね」
突然、彼女の手が泡立ち始めどんどんと大きくなり、もはや彼女の手では収まらないほどのものに変わる。それは感じたことのない浄化の力が溢れており、泡を見た腐界の王はギョッとした顔になると途端に暴れ出す。
『お、お前! 何する気だ!』
「恥ずかしがらないの。おばちゃんが丹精込めて洗ってあげるから」
『やめろ! 俺の足を洗うんじゃねぇ!』
「もぉー、暴れないの。洗いにくいでしょ! こう見えてもおばちゃん、シャンプーとか上手いって評判なのよ」
『うぉぉぉぉぉ! 痛ぇぇぇぇぇ!』
まさか、これは、浄化の力か!? この泡に、私の力以上の浄化の力が。悔しい、だがこれならイケる!
「さ、綺麗さっぱりになったわ。足は真っ白になったし、臭いも取れたし、いいこと尽くめね!」
『いってぇぇぇぇぇ! 俺の足がぁぁぁぁぁ!!!』
「あら、どうしたのアンタ。足を抑えて転がっちゃって。あ、もしかして綺麗になったからめちゃくちゃ嬉しいのねッ! やったかいがあるわぁ」
『俺の足が、足がぁぁぁぁぁ!』
やはり腐界の王にダメージが入っている。よし、ここは主の持つアイテムを使ってこいつを倒そう。そうと決まれば、もっと大量の水がいる。この近くには確か、配下のフェアリーが住む泉があったはずだ。
『主よ、まだアイテムはあるか!?』
「アイテム? 石鹸のこと? まだまだあるわよ。あ、もしかして神様も身体を――」
『大量の水を用意する。そのアイテムで腐界の王を洗いつくせ!』
私の言葉に腐界の王は目を見開いた。慌てて這いつくばり、『ふざけんじゃねぇぇ!』と叫びながら逃げようとする。だが、片足を失った奴はもう自由に動けない。その隙を突き、私はフェアリーのいる泉へ飛び込んだ。
大量の水を空へ巻き上げ、そして雨のように降らせると途端に腐界の王の顔は絶望に染まる。あとは、主がめちゃくちゃやる気を出して泡をたくさん作るだけだ。
「雨の中で洗浄ねぇ。おばちゃん、あんまりそういうの好きじゃないんだけど仕方ないわね。デッカイし、ちょっとやる気を出すわよッ!」
『ひ、ひあぁああぁぁぁあああぁぁぁぁぁっっっ』
雨が降る中、白い泡が天高くへ立っていく。それは腐界の王の悲鳴が消えるまで、ずっと立ち昇り続ける。
ああ、不浄を取り払うとは無情なものだ。
私はそう感じ、白くなっていく敵を見つめ続けたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます