4-3
……なんで、だよ――
なるみもの背後ろをただ目で追いながら、僕はギュッと拳を強くにぎりこんでいた。
周囲には、心配そうな顔で僕を見つめるエーデル。満足気な表情で勝ち誇った笑みを浮かべている赤倉。柳田をはじめ、教室の入り口で野次馬のごとく僕らのやり取りを眺めているだけのクラス連中の姿。
やがてポンッと、誰かが僕の肩を叩いた。ゆっくり振り返り僕はソイツの顔を視認する。
瞬間――マグマと化した血流が脳天に流れ込む。
「コレ、『廊下に落ちてた』から拾っておいてやったぜ」
薄っすらと微笑を浮かべている犬塚が、僕に向かって何かを山なりに投げた。僕が受け取り目をやると、紛れもない『僕のスマホ』だった。
「……藤吉。アイドルとデートできて、誰かに自慢したい気持ちはわかるけど、さ」
犬塚樹が困ったように目をたゆませる。
「高校生なんだから。やっていいことと悪いことの分別はつけなきゃ、ダメだろ?」
僕の全身が沸騰する。心のブレーキが、派手な音を立てて瓦解した。
「……お前がッ――」
お前が、お前が、お前が、お前が、お前が……ッ!
「――お前が全ッッ部、仕組んだんじゃないかッ!?」
自分のものとも思えないほどの咆哮を吐き出しながら、僕は一切の自制心を捨て去っていた。本能のままに右手を振りかぶる。身体の中を暴れまわる感情を制御できなかった。
僕が犬塚の顔面を殴りつけようとしたその瞬間――
「やめておけ」
振り上げた僕の右腕が、誰かに強く握りこまれた。
ハッ――と我に返った僕が首を後ろに向けると、灰色の瞳が僕の両目を射抜いていた。
「お前がソレをしたところで事態は好転しない。むしろ、最後の勝機を捨てることになる」
シレネが淡々と、しかし鋭い声で言い放つ。脳に溜まった血流が全身に流れ落ちていく感覚があった。僕から腕を離した彼女が徐に、
「それより、お前には他にすべきことがあるんじゃないか? 今から追えばまだ間に合うぞ」
彼女の言葉を受けて、僕は怒りという感情からようやく自我を取り戻していた。
……そうだ、そうだよ――
今を逃したら、僕はなるみもと対話をするチャンスを本当に失ってしまう。
僕は脇目も振らず、一切の視線をおきざりにして廊下の直路を全速力で駆けた。
階段を二段飛ばしで降り、昇降口に辿りつくもなるみもの姿は見えない。上靴のまま校舎の外に飛び出しさらに駆けると、大通りを早足で歩く彼女の後姿を視界が捉えた。
「なるみもッ!?」
僕が大声を投げると、足を止めたなるみもがこちらを向く。
いつもの彼女とは思えないほど、虚ろな表情だった。
「……藤吉くん」
僕は彼女に歩み寄り、焦ったように声をまくし立てる。
「しゃ、写真のことなんだけど。実は僕のスマホに、盗聴アプリがしかけられていたんだ。ええと、だからツーショット撮ったことはそこから漏れて、それで今日の朝、僕が自転車に置きっぱなしにしてた鞄から勝手にスマホを取られて、それで――」
「もう、いいよ」
支離滅裂な僕の弁明を、絶対零度の彼女の声が抑止した。
なるみもがフッと乾いた息をこぼす。すべてを諦めたような音がした。
「単純にさ、アイドルなのに男の子とツーショットなんか撮った私の、プロ意識が低かったってだけの話だよ。藤吉くんは、何も悪くない」
「……で、でも――」
話を繋ごうと声をあげた僕だったがほぼ同時、喉の奥がキュッと絞り込められた。
僕に向けられる彼女の目つきが、あまりにも冷え切っていたから。
「ゴメン。ちょっと今はキミの顔、見たくないんだ」
そう言うと、再び前を向いた彼女がスタスタと歩みを再開させる。
徐々に、徐々に小さくなるその背中が、やがて全く見えなくなった。
四輪自動車が僕の横を過ぎ去り、エンジン音が右耳を撫でる。僕は呆けていた。
呆けたまま、バカみたいに突っ立っていた。時間の流れる感覚がわからなくなるほど、意識が遠く彼方へ飛ばされてしまっていた。
「なんでだよ……」勝手に声が、こぼれ落ちる。
「なんでだよ、なんでだよ、なんでだよ……ッ!」止まらない。止められない。
「――うわああああああああああああッッ!!」
全身をくの字に曲げながら、僕は叫んでいた。何度も、何度も、呼吸すら忘れて。
頭を両手で抱えて、ひじで耳を塞いで、強く目を瞑って、
一切の五感が、頭の中に入り込まないようにして、
「あああああああッ! ああああああああッッ!!」
意味を持たない金切り声だけが、脳内で響くように。
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